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【転職】教師を辞めようと思った理由

30代中盤で転職活動を行い、
3ヶ月で内定をGETした現役教師Kurin(くりん)です。

今回は大学卒業後、
10年以上勤めた教師を辞めることを決めた理由について綴っていきたいと思います。

私Kurinについてはこちらの記事をお読みください。

転職活動をするにあたり
最初に取り組んだのは教師という職業の分析でした。

その際に、教師のやりがいや苦しさについてまとめたものがあるので、
それを紐解きながら見ていきたいと思います。



教師の苦しみ一覧


今回は辞めようと思った理由ということですので、
ネガティブなものを箇条書きで挙げたいと思います。

【勤労感】
・仕事に意義ややりがいを感じない
・他人の子どものために家庭を犠牲にしている
【勤務形態】
・1〜3年間のルーティンがマンネリ
・過労死ラインを超える勤務状況
・副業ができない
【評価・給与】
・努力や実績が評価に繋がらない
・業務の種類の多さ・終わりがない
【職場環境】
・同僚も生徒も保護者も変な人が多い

〜勤労感編〜

【勤労感】
・仕事に意義ややりがいを感じない
・他人の子どものために家庭を犠牲にしている

月並みな表現ですが、教師のやりがいの1つに

生徒の自己実現に寄り添うことができる

というものがあると思います。
進路実現だけでなく、学校生活の様々な場面で生徒のブレイクスルーに出会うことができ、
そんな瞬間に教師としての矜持を感じますよね。

それは私も同様なのですが、
これらの経験が感情や記憶としてしか残らないことに一種の虚しさを感じ、そこに違和感を持ってしまっていました。

あんなに時間を共に過ごして、
尽くした(語弊があるかもしれません)にも関わらず、残るのは

よかったなぁ

という思い。
教師は慈善事業ではなく、仕事です。
業務には対価が必要です。

年単位で積み上げてきた業務の対価が記憶のみ、ということ
それだけではモチベーションが上がらなくなっているのが、現職としての苦しみになってしまいました。

この点は【評価・給与】にも関わってくる部分ですよね。
また、【勤務形態】の項目にも関わってしまいますが、
教師としての働く中で、家族をおろそかにしてしまったと感じることが多くなりました。

特に土日祝日の部活動の指導のために、
他界した父に会う回数が少なくなってしまったことが本当に心残りです。

そういう背景を抱えながら、
よそ様の子どもに接していることも私の中の違和感を大きくしていきました。

〜勤務形態編〜

・1〜3年間のルーティンがマンネリ
・過労死ラインを超える勤務状況
・副業ができない

年単位で生徒と深く付き合う教師のルーティンもまた
私のモチベーションを下げる要因のひとつでした。

深い人間関係を構築できること
長い時間をかけて関係を築けること

というものは、
人と接する職業には魅力的なのかもしれません。

私にとっては、

知りすぎるが故の別れの辛さ
辛い別れの後にすぐ新たな関係を築かなければならないこと

が繰り返されることが負担でした。
最短で1年、最長で3年も一緒に過ごした子ども達との別れの寂しさは、
前向きに旅立っていったとしてもどうしても感じてしまいます。

また自分自身が同じところにとどまる一方で
教え子達輝かしい未来に前進していく。

そのような「置いていかれる」感覚も苦しさのひとつでした。

業務自体に目を向けると、
教師という職業ではよく話される通り多忙であることは否めません。

業務の多様さと追究していくと終わりがない内容によって
1ヶ月の時間外勤務は簡単に80時間を超えてしまいます。

【勤労感】の部分でも話をした家族を蔑ろにしていることにも繋がり、
この勤務形態から抜け出さなければならないと強く思うようになりました。

そしてもうひとつ、
私にとって重要な事項である「副業」に関してです。

公務員はいわゆる「全体の奉仕者」ですので、
職務に専念する義務が生じています。

国家公務員にしろ、地方公務員にしろ、
それぞれの公務員法が副業禁止の根拠となり、
これを無視して副業をしてしまうことが

違法

となってしまいます。

企業勤めの場合は、
副業禁止の規定はあってもそれはあくまで社内の規定であって、
法的な拘束力はありません。

副業を行うことによるリスクが全く違うということです。

もちろん教師を続けたとしても
転職をして企業に勤めたとしても
任された職務を全うするつもりではいますが、

それとは別に
自らの力で利益を生み出す仕掛けを作ることができる環境に
身を置きたいと考えるようになりました。

〜評価・給与編〜

・努力や実績が評価に繋がらない
・業務の種類の多さ・終わりがない

次に評価や給与などの待遇についてです。

学校という場は営利組織ではない

とよく言われますが
子供達が明るい未来に踏み出すことを利益と呼ぶ
と考えるのが適切ではないでしょうか。

その内容は異なっても、
それぞれにとっての利益を求める時点でどちらも営利組織と言えますよね。

しかし
企業と学校で決定的に違うのは
取り組みに対する評価です。

企業の場合は、
それぞれの実績が評価=給与にダイレクトに影響するのに対し、

教師の場合は
どれだけ実績を出そうが給与には反映されない年功序列の世界です。

それを良しとする人いますし、
頑張っても変わらないなら手を抜いて過ごす人もいます。

私はそういった働き方ができず、
全力を注いでしまうタチなので、
そういった人たちと同じ待遇であり、
さらに年功序列によって給与は自分の方が低い
ということに納得がいきません。

また職務に励んだ結果得られるのは
自分ではない子ども達が前向きに巣立っていったことに対する
満足という精神的なものです。

私はそうではなく、
頑張ったのだから、頑張った分だけ具体的な評価をしてほしい
と思います。

そして
本来評価されるべき業務も多種多様で、
しかも正解のないものが多いです。

そのため頑張りを評価するためのモノサシがなく、
努力が評価に反映できないということもモヤモヤのひとつです。

〜職場環境編〜

同僚も生徒も保護者も変な人が多い

最後に仕事をする上で関わる人に変な人が多い
ということがずっと私を悩ませています。

授業に遅れていくのが当たり前
締切を守らない
挨拶できない
間違いを認め謝れない
片付けられない

短時間で簡単に挙げられる同僚の特徴です。
こういったところが
教師の常識は社会の非常識と言われる所以なのではないでしょうか。

また預かる子供やその保護者達にも違和感が多く募ります。
この点に関して多くは語りませんが、

どうしたらそのような感覚で過ごせるのか
なぜ自分の子供のことなのに親が責任を持たないのか
理屈として通らない要求をなぜ平然とできるのか

といったことに日々直面しています。

ういった人たちと同じ仲間であること
こういった人たちに尽くさなければならないこと

に苦しさを感じています。
これが私の中でかなり大きな点かもしれません。

さいごに

ここまでネガティブなことをかなり多く書き連ねました。

教師を辞めて転職をしようと考えるくらいですから、
これほどまでの思いを抱えているのは当たり前かもしれません。

とはいえ、
自分にとってストレスと言えるもの全てが
教師を辞める理由になるとは限りません。

教師を辞め、転職をしたところで解消しないことも多くあります。
それらを分析することで転職すべきかどうかを見極める必要がありますね。

今後はそういったお話をしていければ、と思います。
そのためにさしあたり、
私という人間がどうして教師を辞そうと考えたのを知ってもらおうと思い記しました。

今後も教師からの転職にまつわる記事を書いていきたいと思います。
同じような悩みを抱えている方の参考になれば幸いです。

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