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でも魔法使いってよびたい:吉澤嘉代子


あたりめです。

いくつかのnoteを読んでくださっている方からすれば、「このくだり何回目よ」という感じだと思うのだけど、私は何か特別な事情がない限り、急いで歌詞を確認しないタイプである。音楽においてはもっぱらサウンドやメロディ・リズムなどの "響き" を好んで楽しむことが多い。



そんな私が唯一『いちばん好きなところは歌詞(言葉)』と自分のなかで位置づけしていたのが、ロックバンドのSUPER BEAVERスーパービーバーだった。

彼らの音楽は、耳に入ってくるメロディを "歌詞" として意識していなかったとしても( "音" として楽しもうとしても)、問答無用で "言葉" として脳みそへ乗り込んでくるのだ。言葉の意味をあんなにもエッジの効いた原色のまま届けられるのは、ボーカル・ぶーやん(渋谷)の声の緩急と滑舌の良さ、ギター・やなぎ(柳沢)の綴る "易しい語彙" のみで構成された歌詞、このへんの力がめちゃくちゃ大きいからなのだと思う。



ヤッッッバ、どんだけ喋るんだ。
若干話に関連するからって冒頭から他のアーティストのこと書きすぎだろ。もうこの文章スタイルも変えられないんだろうな。好きです、SUPER BEAVER。


とにかく(?)、基本的に音楽は響き重視で楽しむタイプの私が、ビーバー以外で初めて強烈に "歌詞" に惹きこまれたのが、シンガーソングライター・吉澤嘉代子よしざわかよこだったのである。彼女の音楽に初めて触れたときの衝撃を、毎度ながら勝手に書き残していこうと思います。




細かく言えばサウンド面から入って、何度か聴くうちにその歌詞のヤバさに打ちのめされたという感じ。

普段の私の聴き方、『音』にピントを合わせた状態で初めて彼女の音楽を聴いたとき、めちゃくちゃ絵本みたいだな〜〜〜と思った。子どもの頃 母親に絵本を読んでもらった、読んでもらっているまさにそのときの感覚というか。


実際 母親に読み聞かせをしてもらっていたときの記憶は全く残っていないので、その感覚がどうだったかなんて本来ここに並べることは出来ないのだけど、なんかそんな感じがしたんだよなぁ。


見開きのページのなかで繰り広げられているその世界は当然現実ではなくて、でも不思議と目の前にあるような。これはわたしがその世界に飛び込んだのか、それともその世界がここに現れたのか、そんなことを考える回路もなく、ちいさなわたしは夢に誘われて瞼を下ろす日々だっただろう。




吉澤嘉代子さんの音楽は、絵本の読み聞かせがひとを夢へ誘いこむような、そういう感触の魔法に近いなぁと感じた。
とは言っても私は今この文章を '氷菓子' だけを聴いた状態で書き殴っているので、『吉澤嘉代子さんの音楽』と括ってこんなことを言うのは、ほんとはちょっとマズイのかもしれない。これ、'氷菓子' の感想です。(逃げ道の確保)




長ったらしく質感を綴ったけれど、めちゃくちゃ端的に言ってしまえば『浮遊感』がものすごいのである。サウンド・メロディ・リズム、そして彼女のボーカルまで、どこにも重力を感じないのだ。

一生宙に浮いていられるような、夢のなかに漂えるような、子どものままでいられるような。バーっと羅列するとそんな要素がつよい。うつくしくてやわらかくてあたたかくて、つい甘えたくなってしまう。私はまんまとやられ、この楽曲をプレイリストに入れて何度も聴くようになった。



そうして何度も聴くうちに、私は '氷菓子' に再び魅せられることになった。先述した、"歌詞" である。



どのアーティストでも、何度か聴くうちに "歌詞" としてスッと身体に入ってくるフレーズが出てくることがある。ただ、それが出てきても、普段はその意味を特別意識したりはしない。私のなかでは "言葉" ではなく、あくまでも "音" だからだ。



冒頭に書いたSUPER BEAVERは 私のこのヘンテコな聴き方を押し退け、正面突破で脳みそに言葉の意味を投げつけてきたが、吉澤嘉代子さんはそれとは全く違った。完全に奇襲だったのだ。



こおりをほおばる ねつがはしる


サビはメロディが際立つこともあり、より歌詞が浮かび上がりやすい。このフレーズもサビで出てきたため、ここが最初に耳に止まった。


氷を口に含んだときの感覚をこう表現するのか〜〜と、その視点のうつくしさに惹かれた。
凍っているものが触れたときの「冷たっ」を、彼女は感覚の終点ではなく起点として、奥深くまで掘りすすめたのだ。その中間地点がおそらく "痛み"、さらに深くすすみ 辿り着いた表現が『ねつがはしる』だったのだろう。結果的に対比表現のようにもなっていて、このワンフレーズだけでもいろんな楽しみ方が出来てとても面白い。


いよいよ全体の歌詞が気になってきたため ここでネット検索をしたのだけど、あまりのことに椅子から転げ落ちそうになってしまった。



氷を頬張る 熱が疾走る


『疾走る』



まじすか………………………………………

『はしる』のこと、『疾走る』って書くんだ……………ヤバいな視点、うつくしいだけじゃなくてめちゃくちゃ繊細で鋭いわ……………今 私の口内で感触が鮮明すぎるほどに描かれている……………



他にも、

おんなじ映画の燈に 恋焦がれるいたみ

口吻だけで 僕を幽じこめて


完全にドエライ パレードだった。
なんなんだこの描写は。日本語の魅力溢れすぎだろ。

今挙げたものとはまたタイプが違うのだけど、フレーズ全体が含む感触として 私がいちばん惹かれたのはここ。


青春の渦に心を冷やしていたい
夏の雪は幻になるの



エ〜〜〜良すぎん〜〜〜〜〜???????


分からんよ!ここが具体的に何を表現しているのかなんて ワタシャちっとも分かってない!なぜなら読解力がカスなので!!!(開き直るな)


冷やすのか………冷やすんだね………なんだろうほんと惹かれるわ………ここもうちょい時間かけて自分なりに深く見つめてみたいな。特に何かを探したいわけではないけれど、なんか楽しそうなので。




こういった表現に騒いでいると あちこちからユーミン!松本隆!などと声をあげる方が居そうだが、大丈夫分かってる!!!彼女以外にも ものすごい方が山程いらっしゃることは重々承知してる!!!!!


ただタイミングだったり 自身の身の乗り出し方なんかも含めて、結局のところ これが出会いというものであり、今の私にとってはこのひとが特別だったと、そういうことなのだ。



言葉としての歌詞の魅力に触れたので、やはり音としての歌詞、の話もしたい。


私は最近 "演技らしいボーカル" の魅力に沸くことが多いのだけど、吉澤嘉代子さん、'氷菓子'、まっっっじっっっで好きすぎた。こんなもん『語り』じゃん。ほぼセリフなんよ。

節々に散りばめられている裏声のタイミングや質感もすべて最高すぎるほどに好きなのだけど、サビの声、たまげた。なんてたいせつに歌うんだこのひとは。

口吻だけで 僕を幽じこめて
氷を頬張る 熱が疾走る
霜焼けの指 絡めて笑った
どんなに寂しい恋でも
百万年 きみを愛す



このサビの『絡めて』、『笑った』、『寂しい』、聴いて。お願いだから聴いて。こればっかりは聴いてもらわなきゃ伝わんないんだ。いや、ここまでくると共倒れを防ぐために もはや聴かないほうがいいのかもしれない。聴くな。(どっちだよ)


まじで絡めてるし、まじで笑ってるし、まじで寂しいんだよ。え?何言ってんのって?これが興奮した人間から出る語彙だよ。おれは謝らねぇかんな!!!!!受け止めろ!!!!!!!



吉澤嘉代子さんはそのすべてから、すっごく丁寧に音楽をしているのがひしひしと伝わってくる。まるで一つひとつ、可愛らしい柄の包装紙と すこし透き通ったリボンでラッピングされているみたいだ。どきどきしながら丁寧に開けたい。



もしアトリエ(作業室などではなくあえてアトリエと呼びたい)があって その名前の案を募集しますと言われたら、私は「『金平糖』でお願いします」と送るだろう。ちいさいわたしが初めて金平糖なるものと出会ったとき、あの空気は、なんだか彼女の音楽に出会ったときとどこか似ている。


ずっと彼女の存在が近くにある方たちからすれば、こういう質問はどうしても『魔女』というキーワードに引っ張られてしまいそうな気もするけれど、どんな案が出るんだろうか。




あっ、あとそれから、『吉澤嘉代子の音楽を聴きたくなるのはどんなときか?』も聞いてまわってみたい。ものすっごい色彩数の色鉛筆セットが出来上がりそうな予感がする。

ちなみに私は今のところ「子どもに戻りたいとき」。無邪気さを渇望するときというか。ア〜〜でもなんか、子どもに戻りたい より、子どものままでいたい、のほうが近いかも。そしておそらくこれが、わたしのなかに潜む『魔法が使えたら望むもの』なのだろう。ヘッドホンから「僕は魔法使いなんかじゃない」と声がしている。


にこ



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