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大谷翔平と同じ時代に生きるということ

 昨年の秋に亡くなられた6代目三遊亭円楽が晩年、ことある事に大師匠にあたる6代目三遊亭円生の名前を口にしていたが、それは彼が若い頃に間近で見ていた達人の技を忘れられなかったからだろう。これに代表されるように、若い頃に実際に見たり、体験したことは生涯忘れられないものだ。今回は、僕と同世代の方々が大谷を見るということはどう言ったことなのかを前述の事例に沿って書いていくととする。

不世出の名選手を見られる喜び

 言うまでもなく、大谷はロサンゼルス・エンゼルスの所属であるため、現物を見るには今回のWBCのように日本にやってくる際にチケット争奪紛争に勝ち抜くか、莫大なお金と時間をかけてアメリカに飛ぶかの2択となっている。ただ、彼の迫力、スケールはテレビの衛星中継でもって十分に事足りるのではないか。

 おそらく、彼は前述の円生と同じように野球というスポーツが続く限り未来永劫に語り継がれる選手であるはずだ。それも世界規模で、人種や地域を超越して語られる存在となった日本人は彼と王貞治現ソフトバンク会長、そしてイチロー氏の3人だけなのではないか。それと同時に、「日本人選手は非力である」というMLB球界のステレオタイプを一蹴したと言えるだろう。こうした選手をリアルタイムで見られるということは本当に幸せな事だ。

一歩間違えると「老害」に…?

 冒頭で述した三遊亭円楽は「笑点」を筆頭に芸風を時代に合わせ、その時々の若者の心をつかむ落語家だったので「老害」とは対極に位置していた方であったが、昔話ばかりしていたらそうなってしまうものだ。

 皆様も自分よりも上の年齢の方がSNSで現役選手とON砲等を比べて、「今の選手には華がない」と文句を言っている光景を1度は見たことがあるだろう。特に、巨人を贔屓している中高年の方に多く見られると感じる。例を挙げるとするならば高橋由伸前監督の時代に、「巨人軍の監督がアレでは華がない」と散々の言われようであったことだろう。ただ、それは彼に華がないのではなく、純粋な心を失い「華」を受け取る能力が衰えてしまっているとも考えられるのではないか。

 僕も何十年かしたら、「大谷は良かった」というのが口癖になっているかもしれないが、その時は容赦なく批判してほしいものだ。最も、そうなったあかつきには物事を発信することを辞めてしまうだろうが。

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