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クラシックを一言で「つまらない」と片付けるには、まだ早い

クラシックを聴いて、「これは非常に素晴らしい曲だ!」と感銘を受ける小学生は、極僅かだと思われる。周りはその子の感性に共感できず、肩を竦めてしまうのではないだろうか。

私の場合、大人を相手に
ジャズが好き!
クラシックが好き!
と話せば
「高尚だねぇ(要はついて行けない)」
で、片付けられる。不幸にも、私の出会う人の多くが日本の歌謡曲またはJPOP好きで、ひとりだけバッハの曲を愛する人が居るぐらいだ。山間地域の田舎でクラシック好きを捜すのは、希少価値の高い三毛猫のオスを捜すのと同じハイレベルなことかもしれないと、最近は諦めモードである。

この場を借りて、借りなくても私はクラシックを好きだと公言しているが、知識は音大生ほどもなく乏しい。「それでよくもまぁ好きだなんて言えるわ、アホかお前は」と罵られようとも、好きなものは好きなのだ。

しかし、例外もある。ドビュッシー作曲『月の光』。この曲については、誰の演奏で聴こうが私は好きだ、とは絶対に言わない。

クラシックなんてどれ聴いても一緒じゃん。

って思った?

これがポイント。


私がnoteで公開している連載小説【ストロベリー狂詩曲】の第06話では「違い」について触れている。クラシックが「つまらない」と思っている人は、何故つまらなく感じるのか?この発見がもしも的外れだったら、申し訳ない。

高校生の時に出会って以来、現在も大好きな『月の光』を小説でどう表現すべきか。聴いてみて感じたことを文章にすれば良いのだと考え、Youtubeを開き、演奏者を変えながら、ピアノ伴奏の『月の光』をいくつか聴いてみた。

日本で話題になったフジ子・ヘミング。音楽クリエイター、谷真人。月の光を好きになる切っ掛けを与えてくれたゲーム『ペルソナ』シリーズのバージョン。sonyのゲーム『rain』でコニー・タルボットの可愛らしい歌声が紡ぐバージョンも聴いた。

聴き比べをするうちに、弾く時のテンポも音量の大きさも違うことに気付く。微かに違う程度で済まされる部分もあるし、明らかに指を速く動かして颯爽と駆け抜ける演奏の人も居た。

これは違う。これもイメージとは違う。これは合っている……。

つまり、聴いていてつまらないと思うのは、技術の問題は除き、
演奏者の弾き方や表現の仕方に、聴き手が興味を持てないのではないかと思ったのだ。

聴き手にも好みはある。
それが「つまらない」の理由かもしれない。

【ストロベリー狂詩曲】での聴き比べシーンは、当初は予定していなかったシーンである。私自身、此処まで同じ曲を聴き比べをしたのは人生史上、初めてだ。

ヴァイオリンとピアノがセットになって奏でる『月の光』に関しては、実際可能か、打ち込みを始めた当初は半信半疑だった。小説は妄想であると割り切れば良いのだろうが、最近は思考が現実的になって、可能か否か気になる。

検索してみて可能だと判明し、ヴァイオリン奏者がダヴィッド・オイストラフの動画を、期待せずに視聴してみた。そう、映像の古さイコール劣化した音だと、私は誤った認識をしていたのだ。

ゆえに聴いた瞬間、

「これはヤバい!」と感じた。

ピアノ伴奏だけの情緒ある『月の光』も素晴らしいが、オイストラフのヴァイオリン演奏は、本当に歌うような旋律を生み出しているのだから、これはもう驚きものであった。別の楽器が加わることでこんなにも印象が変わるのかと酷く感動した。

視聴後はwikiを開き、オイストラフがトップクラスの奏者であることを知る。納得だった。

聴き手の好みもあるが、クラシックをつまらないと思っている人はぜひ1度、自分好みの曲を探してみては如何だろうか。ひょっとしたら、好きな曲が見つかるかもしれない。

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