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【ストロベリー狂詩曲】07

 川嶋忍、ピアノ専攻の十六歳、入学したての高校一年生。好きな花は、道端や野原に咲く雑草のナズナ。葉っぱと勘違いしがちな三角形の果実は、三味線を弾くバチにそっくりなことからぺんぺん草の異称を持つが、オレは「撫でたいほど可愛い」の説が好きだ。花言葉「あなたに私のすべてを捧げます」にぴったり合う。
 皮肉にも片思いの相手は、今はぺんぺん草の状態で、オレは手が出し難い状態にある。


 小学二年生までは、親に勧められてピアノ教室に通っていた。将来は店にグランドピアノを設置し、息子に演奏させて客引きをする計算だったのだ。何とも欲深い親め。
 早い段階で投げ出した姉貴と違い、オレはピアノが好きだ。鍵盤を押したら音の粒が跳ねていく。自宅の一室に設置してくれた時は大きなオモチャを手にした喜びのあまり無我夢中に弾き、夜は早く寝ろと散々叱られた。
 教室での成績はそこそこ優秀だったが、同級生の男子達にからかわれてピアノを辞め、地元の野球クラブに入る。打者として頼りにされ、女子にモテた。クラスでオレを好きだと言ってきた可愛い子は居たけど
 不思議なまでに、あの子以外に気になる子は居なかった。
 中学は野球部を選択。二年生へ進級し、レギュラー入りが決定した直後、人生は急展開を迎える。
 上手にピアノを弾く音楽部の女子生徒が骨折。オレは幼馴染の凛から「県予選を控えてるの!お願い!」と頼まれ、初めは断り、最後は泣き落とされて転部をした。どうにかこうにか全国大会で準決勝にまで進出。この時は音楽科を受験しようとは一瞬たりとも視野に入れていなかった。
 そして、翌年の麗らかな春。合唱コンクールの全国大会で上位に入り、他校のピアノ奏者で出場した二葉タケルと遭遇する。これが大きな転機だった。
 弟子を探していた朝倉センセーと桜馬センセにスカウトされ、大学受験が終わるまでは彼等の下で指導を受ける約束を交わした。目指すは一流ピアニスト。
 ……の、前に。オレはベッドの上で仰向けになり、音楽から離れて今日一日の出来事を振り返る、平凡な一人の男子学生と化していた。

(あの子がレッスンに来る。有り得ねぇ)

 ドアを開けた時に信じられない物を見る目をしていたあっちも、プライベートでの再会は想定外だった。馴れ馴れしくしないでと拒まれた矢先に、仲良くね、と、先生達は背中を突き飛ばすように言葉と態度で押して来る。無神経な大人達だ。

(気持ち悪い、か)

 日本では不倫を許せる人は少数派で、許せない人が大多数だ。彼女はその、許せないの度合いを超えている。普通はあんなにも心を乱した拒絶反応は起こさない。口から出た嫌悪感は、何かがあったことを有り有りと表していた。
 理事長か、母親が不倫?ストーカーの時よりも手強い昼ドラ級の問題に、何処まで踏み込んでいいのだろうか。

(オレに出来ること)

 睡魔が誘う暗闇に、思考はかき消されていく……。




(…………眠い。起きるの面倒くせぇ……)

 意識がぼんやり戻って頭元の置時計を寝ぼけ眼で見たら……、六時。秒針は電池切れで止まっていた。カーテンの隙間から差し込む光は強い。

「何時だよ!!」

 がばっと掛布団を捲って起き上がり、急いで一階のリビングに駆け込むと、縁が赤い壁掛け時計は七時を指している。オレは自分の部屋に戻って制服に着替え、準備に怠りはないか確認をする。朝飯を抜き、タケルとの待ち合わせ場所へ走った。運動量が減ると前よりも体が重く感じる。

「ま、間に合った……」
「おはよう。熟睡してたんだ?」
「はよ。なかなか、眠れなかった」

 息を整えて歩き出す。左に居るタケルは昨夜の件について

「彼女、友達作るの苦手なのかな」

 と、気にしている。

「狙ってんのか?」
「それ、忍でしょ」
「繰り返すけどさ、馴れ馴れしくするなって言われたんだっつーの」

 タケルはオレの左頬をぎゅっとつねった。

「痛って!何すんだよ、いきなり!」
「目、覚めた?」
「覚めてるよ」
「本当は仲良くしたいのに出来ないの裏返しだとしたら?」
「!」



 校門の前まで来ると、前方から水無月チサカが、友達らしき女子と横並びになって話をしながら登校する姿が目に留まる。鉢合わせに、お互い足を止めた。

「おはよう」

 タケルが普通に挨拶をする。肝の据わった奴だ。
 彼女の隣に居る女子は手のひらの上に、拳を縦にしてぽんと置く。

「対面式の時に演奏していた子だよね。チサと知り合いだったんだぁーー。アタシはチサの友達、小金城杏里。よろしくねっ」
「音楽科の二葉タケル、一年生。よろしく、小金城さん」

 二人はフレンドリーに握手を交わして繋がりを得た。今度はオレが握手を求められる。

「髪の赤い子もよろしくね」
「どーも。音楽科の川嶋忍」
「あだ名はシノブンにしよう」
「カナブンと同じ発音で言うのやめてくれ」
「えへへ」

 変な女友達と握手しながら水無月チサカをチラッと見る。表情は澄まし顔だけど、機嫌が悪そうなオーラを漂わせていて、警戒されているのは明らかだった。
 オレは遅刻する前に早く校舎へ行くよう話を進めた。
 小金城とタケルが並んで仲良く話をしている後ろのほうで、オレと彼女は気まずい雰囲気で歩く。シャンプーか香水の、お菓子のような甘い匂いが微かに鼻を掠める。
 タケルの言った通り、裏返しの言葉だとしたら。本当の彼女は何処に行った?何処にも行っていないのではないか?
 鎌を、かけてみた。

「水無月。今日から水無月って呼ぶ。遠慮しない。友達らしく、お前って呼ぶ」

 玉砕覚悟。土足で心の中に踏み込む勢いで話し掛けたら

「…………幻滅させるの、嫌なの」

 彼女は目を細ませ、聞き取りにくい大人しい声で返した。
 タケルの勘は当たっている、そう確信した。今なら本音を聞き出せそうな気がする。

「何に幻滅するんだよ」
「無機質に生きてきたから、また酷いことを言うだろうし、私のこと嫌いになるよ」
「昨年の秋と同じで、水無月を見捨てたりしない」

 オレは言葉で押した。

「暇な時にまた、店に来いよ。本、良かったら見せるし」
「もういい。お店は行っても本は、もういいの」

 二人きりになるのが嫌だってことか?それは、軽く傷付く。でも、店には来てくれるかもしれない。
 もっと話をしようにも、終点の昇降口に着いてしまった。

「オレ、こっち。じゃあな」
「うん」

 彼女はオレを見ずに愛想なく、短く返した。


* チサカ視点 *


 母はファッション誌のモデルをしていた。綺麗に着飾ってカメラの前でポーズをキメる母の姿は、幼い私にとって憧れの対象だった。自慢の、母親だった。
 当時の私はよく笑っていた。母も父も笑っていた。
 幸福な時間が一生続くと信じていた。
 親戚一同が集まるパーティーに参加して以降、母が部屋で啜り泣きをすることが増え、何があったか心配になって尋ねても、笑顔で「何もない」の一点張り。仕事に追われる父は対処出来ず困り果て、問題を放置した。
 私が小学校から帰ってきたある日のこと。母が背の高い門扉の前で立ち尽くし、涙の粒をコンクリートの上にぽとぽと落とす姿は、精神が極限に達していたことを子どもながらに察した。
『お母さん、大丈夫?』
 心配して尋ねても、
『採用されたよ!』
 子役のモデルを頑張ったら喜んで貰えると思って行動に移しても、幼い力は非力だった。声を発しても届かない。
 やがて両親の仲に本格的な亀裂が入り、耳を塞ぎたくなる口論が絶え間なく続いた。母は男性との不倫に走って頻繁に家を空け、居たとしても、私とも顔を合わさない。
 相手の男性と電話をしている時だけは幸せそうに笑う。声を弾ませている。独身ぶった態度が、私は心底気持ち悪かった。
 母に何を言っても無駄だとわかり、父に修復を頼んだことがある。
『子どものお前には関係ない』
 岩のように顔も心も固くなった父の冷酷な判決。悲しみで押し潰された子どもの訴えを一言でばっさり棄却。夫婦だけの問題に子どもは含まず、場外へ追放した。
 七都宮の理事長を祖父から引き継いだ父は、娘の進路についてだけは唯一うるさかった。高校受験は此処しか認めないと突っ撥ねたのである。モデルの仕事を辞めろとは口にしないけれど、快く思っていないのは伝わってくる。仕事に干渉はしない、プライベートもうるさく言わない、無言の圧力を掛けるだけ。食事は擦れ違いが多く、顔を合わせても会話という会話をせず、重い沈黙で不愉快な気分を味わう毎日。愛なき時間で私は無機質で居ることを覚えた。何も感じないほうが楽に生きれる。
 それなのに、近頃は周りに調子を狂わされている。

「シノブンてからかい甲斐がありそう。アタシ、タイプかも」

 教室へ行く途中、廊下で杏里の悪い癖が出た。

「協力してよ。ねっ、ねっ、友達作戦!」
「事務所に怒られても私は知らない」
「だーーかーーらーー、友達だってばぁーー」

 杏里が私の片腕に抱き付き、揺らして駄々を捏ねる。

「振り回して困らせるのはやめてよ」
「チサ一番!」
「サッ〇ロ一番に聞こえる」

 杏里はわざと恋に恋して、外見も中身も魅力的になろうと磨き、アイドルの仕事に活かしている。好きな相手が自分の出演番組を見てくれていると思えばテンションは上がり、嫌なことがあってもテレビの前で応援してくれると妄想したり、「頑張ってね」の短文メールだけでも頑張れるんだそうだ。
 彼のために可愛く在りたい乙女のときめきが、アイドルパワーに繋がるとも言っていた。実際に、大根役者の女優が異性と付き合い始めた途端、表情が明るくなって見違えたケースはある。
 ファンでは駄目なのか質問したら「個人的に誰かを好きになるのと、ファンを大切にしたい気持ちでは全く違うの!」と怒られた。
 好みのターゲットに恋をして、相手に伝えず勝手に終わり、また次を探す。自己完結型。
 私も誰かを好きになれば、PVの仕事に活かせるのだろうか?

(無理。杏里みたいに容易く恋愛に走れない)

 走ったら、溺れて惨めになりそうで怖い。取り返しがつかなくなった母の姿を思い出す。
 午前の授業が終わって昼の休憩時間に入り、杏里も一緒に購買部へ向かう。今日はあまり混んでいない。

「あ!シノブン発見!」

 購買部の前でパンを選んでいる川嶋くんの姿を杏里が見つけ、私は運命を司る神様に文句を言いたくなった。
 中庭のベンチに座り、膝の上でサンドイッチを開ける。塩分が食欲をそそるピンク色のハムと、柔らかくて黄色いまろやかなチェダーチーズのスライス。この二つの濃厚な味を、シャキッとした歯触りの瑞々しいレタスがバランス良く纏める。脂質を考えるとニキビ予防で控えたいけど、たまになら許されるよねとコンビニで手を伸ばしたくなることが月に一度はある。

「チサのこと知らなかったんだ?」
「女子が読む雑誌に興味ねーもん。芸能は、俳優と芸人の一部だけ知ってる」

 左から私、川嶋くん、杏里の順に真新しい黒いベンチの上でサンドイッチ。杏里の横に座って退避するつもりが、何を企んでいるのか、川嶋くんを真ん中に据えられてしまった。

「アタシが出演する番組、一度はチェックしてね」
「新聞とらねーから、わかんねーよ」
「メールでお知らせする。アドレス教えて」
「てか、水無月のもついでに教えてくれよ」

 二人だけで会話が盛り上がっていれば良かったのに、此方に話を振られるとは。

(遠慮してよ)

 話を中断してまで視線を注いでくる二人に私は根負けし、嫌と言えず、食べかけのサンドイッチを置き、スカートのポケットからスマホを取り出して画面を開く。

「……どうぞ」

 川嶋くんは二人分の連絡先を追加登録した。

「スケジュール空いたらタケルくんも誘って、みんなで一緒に遊びに行こうね!」

 暫くは杏里の自由奔放ラブストーリーに付き合わなければいけないようだ。
 他は特に絡まれることなく休憩時間を消費し、芸能科と音楽科に分かれて校舎へ戻る途中、花を背負ってうきうきしながら前を歩く杏里に言う。

「上機嫌ね」
「チサ、友達作るの下手じゃん。クラスでも適当に合わせてるでしょ?学科は別でも、露骨に顔に出せる相手が居るって大事だよ?」

 その言葉に、私は階段の一段目で足を止め、はた、とする。杏里は四段上から笑顔で見下ろしてきた。

「うん」

 彼女が川嶋くんと二葉くんに絡んだのは、私のためだったのだ。そのことに、ただただ驚く。
 杏里は一段ずつ降りて私の両手を握る。

「アタシはこれぐらいしか出来ないけど、楽しい高校生活にしようよ。家じゃないんだから」

 光差す言葉に感謝こそすれど、眩しくて戸惑ってしまう。不安定な感情の波に引き摺りこまれてしまいそうで。



(続く)



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