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2度と帰らないと決めた土地

私はその場所で、万年転校生のような立ち位置だった。

母が関東の人間で、父がそれに気を使ってか家庭では標準語で話していたため、
学校でみんなが当たり前に話すその方言を、私は話すことができなかった。

まるで私の周りだけ透明な箱で囲まれているように、静かに無視されていた。
18年暮らしたその土地で、私は常に余所者だったのだ。

演劇部で知り合った友人が、私をなんとか高校に通わせてくれた。
不登校になどなっている暇はない。
とにかく早く高校を卒業して、早くここを出よう。

冬は登下校の景色が全て真っ白になり、
自分の足あとだけが生きた証のようになる。

友人たちの言葉は体に馴染まず(馴染まないのは友人達の方だっただろうけど)、
排他的で、同調することが正しいという暗黙の了解に押しつぶされるような毎日。

“学校”で過ごしたほとんどの時間が、思い出したくもない、もはや覚えてもいないというのは、少し不幸だとは思う。

ただ、それがなければ東京でここまで踏ん張ることもできなかったとも思う。
何しろ帰る場所はもうないのだから、踏ん張るしかなかったのだ。


これから先のことは分からないが、おかげで今は人生で一番幸せな時を過ごしている。そしてスーパーで地元の食材を見るたびに懐かしくなり、毎年秋になるとふるさとの郷土料理を作るくらいには、地元を愛せるようになった。

もうすぐ数年ぶりに帰省する。
あの山は元気にしているだろうか。

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