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【Sviatoslav Richter, 1915-1997🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ2】

20世紀最高のピアニストの一人と言われるリヒテル(1915-1997)はジトーミル(ロシア帝国,現ウクライナ)で生まれ,幼少期をオデッサで過ごす。オデッサ育ちのギレリスの1歳年上なので,同時期にオデッサに住んでいたわけだが,この時期に交流があったかはよくわからない。

父親がドイツ系ピアニストとのことなので,基本的な手ほどきは父親から受けたようだが本格的に習ったわけではなく,独学で腕前を上げてリサイタルを開くようになった。ちなみにだが,父親は第二次大戦直前にドイツのスパイ容疑でソ連当局に処刑されている。

リヒテルは1937年にモスクワ音楽院に入学してネイガウスに師事。これがリヒテルの本格的なピアノのお勉強の開始。入学のためのオーディションで弾いたショパンのバラード4番を聞いたネイガウスが「天才だね」と言ったという逸話が残っている。ギレリスはリヒテルより2年早い1935年から1937年までネイガウスに師事していた。双方に互いの腕前をかなり評価していたらしく,ギレリスについての記事で書いたように,リヒテルはギレリスの演奏が素晴らしかったという理由でプロコフィエフの3番のソナタを弾くのを止めたらしい。

リヒテルは日本にも何度もリサイタルに来ている。私自身も,リヒテルが晩年に来日したときコンサートに何度か通った。 リヒテルは開演時間の直前かは,少し遅刻して到着してそそくさと弾き出すのが通例。ホールはステージ上も暗くし,スポットライトで下から譜面台を照らしていたので,そこにリヒテルの姿も浮かび上がっていた。

演奏の出来栄えにはムラがあり,今日はどうしたんだろうねという日もあった一方で,素晴らしい日は息をするタイミングも困るような演奏を聴かせてくれた。そんな日はアンコールもたっぷり弾いてくれた。 ブラームスのパガニーニ練習曲の第一部の演奏が圧巻だった日には,アンコールには第二部を弾いてくれたっけ。

リヒテル自身は,事前に決めたスケジュール通りホールで弾くというより,ふらりと立ち寄った教会や小さなホールでちょっと弾くというのが好きで,実際にそのような演奏会を時々していたらしい。今の時代に生きていたらストリートピアノで演奏を披露してくれたのではないかと想像するが,動画のような激しい演奏が駅構内とかで響くとちょっとたじろぎそうだ。

wikipedia: https://en.wikipedia.org/wiki/Sviatoslav_Richter


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