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【Heinrich Neuhaus, 1888-1964🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ3】

リヒテルギレリスを育てた名ピアニストのゲンリフ・グスタヴォヴィチ・ネイガウス(Heinrich Gustavovich Neuhaus, 1888-1964)はロシア帝国エリザベトグラード(現ウクライナ,クロピヴニツキー)出身のドイツ系ピアニスト。母方の伯父は名ピアニスト・作曲家のブルーメンフェルト(Felix Brumenfeld),従兄弟に作曲家のシマノフスキ(Karol Szymanowski)がいる。子どものスタニスラフ・ネイガウス(Stanislav Neuhaus)も名ピアニスト,孫にはスタニスラフ・ブーニン(Stanislav Bunin)がいて,餅は餅屋というか,音楽の才能のDNAってあるんだよと言わんばかりの家系。
ちなみに,見出し写真の真ん中がゲンリフ,両側はゲンリフの両親だ。

11歳の時(1899年)にデビュー,3年後にはミッシャ・エルマンと共演,16歳の時(1904年)にはドイツ各地で演奏会をする。その後,ベルリンでゴドフスキーに師事している。

1912年に,アルトゥール・ルビンシュタインが弾くシマノフスキーのピアノソナタ2番を聞き,自身のピアニストや作曲家としての才能に絶望して遺書をしたためイタリアで手首を切って自殺を図ったが,このとき(多分遺書を見て)慌てたシマノフスキーとルービンシュタインがイタリアの病院に駆けつけたとか。

1914年頃からウクライナの現ウクライナの各地で教鞭をとるがキーフにいた際に,伯父のBlumefeldに師事していたホロヴィッツとも親しくなっている。
1922年からはモスクワ音楽院で教鞭をとる。

第二次世界大戦時にはドイツのスパイ容疑で一時期投獄された。ショスタコーヴィチやギレリスらの働きかけで8ヶ月で解放されたが,その間に栄養失調で壊血病を患い,歯のほとんどを失ったとのこと。この時期,無実の罪で何年間も投獄され亡くなった人,生き延びても健康を著しく害した人は多かったようで,似た話はいろいろな伝記等に出てくる。

48歳頃にはジフテリアでピアノを弾けなくなった。演奏活動はその後も行なっているが,右手の薬指と小指には麻痺が残ったらしい。この頃から教育活動に専念するようになったとのことだが,もともと名教師の評判に多くの生徒が集まっていた。弟子にはギレリスやリヒテルの他,ヴェデルニコフ,ギンスブルク,ラドゥ・ルプー,モギレフスキーなど,大成した多くの芸術家がいるが,かなり広く弟子を受け入れたことで自身の演奏活動の時間が少なくなったという側面もあったらしい。このことを残念に思うリヒテルがネイガウスに「弟子にするのは見どころあるやつだけにしたほうがええんちゃう?」と苦言を呈している。

動画はネイガウス特集番組。ネイガウスについての貴重なインタビューが詰まっている。 ロシア語だが英語字幕はわかりやすかった。自動翻訳で出てくる日本語でも結構わかる。ネイガウスの人となりを知ることができる素晴らしい特番だ。

ネイガウスの言葉
「自分は教師ではない。アドバイスをしているだけだ 」
「教育方法のようなものは持っていない。ただ音楽が好きで,生徒が好きなだけだ」

証言
「誰もがネイガウスを敬愛していた。女性も男性も音楽家も芸術家も哲学者も,さらには掃除係の女性も」
「戦争で全てを失い,全てが終わったと感じた女性から手紙をもらった。『ネイガウスの弾くショパンを聴き,その瞬間,何も終わっておらず,新しい人生を始めることもできると感じた』とあった。」

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