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第3章【13】戦々恐々の室内楽

注)写真は私が音大入学前にアフリカで働いていた時のものです。記事とは関係ないのですが、たくさんあるので、毎回紹介させて頂きます。これは水がめで、小学校の教室にあったものです。水源のない、井戸のない学校では、この中にためられた水が飲料水になります。(撮影:いちあ)


やっと週末一歩手前の金曜が来たのではあるが、金曜には、もうひとつ、私の難関があった。室内楽の授業である。

室内楽の授業は、1年生の時には、その学年の履修生を1つのグループにして、クラス単位で実技のレッスンをしていた。そして、2年生から4年生は、学生が春休み前に、次の年度に向け、それぞれ声をかけあって、室内楽の3人、4人、5人など、学びたい曲の楽器編成によってグループを組み、自分たちのグループがつきたい先生を選び、1年間20回くらいレッスンを受ける、という形態だった。

なので、1年時には、同級生の弦楽器コースのみんなと同じレッスンとなった。

履修は選択制だったので、チェロパートは、E君とHちゃんは履修しておらず、なんとチェロは私ひとりだった。コントラバスのS君とAちゃんが履修していたので、低弦パートがいてくれて、とても助かった。

室内楽、といっても、私は音大入学前までは、アフリカのオーケストラで弾かせてもらったほかは、ABRSMのチェロのグレード試験で、ピアノ伴奏付のチェロ曲を3回ほど演奏し、そして、当時、同じようにアフリカ勤務していた日本人で、オーボエを吹く方とピアノを弾く方がいて、私と、3人でなぜか、現地の大使館の新年会で演奏したり(ピアソラの”Oblivion”を弾いたのが思い出)、そのあと、クラリネットを吹く日本人のボランティアの方もみつかって、4人でレストランで演奏するなど、をしていただけだった。。。今から思うと、あの下手さ加減でよく、とは思うのだが、当時の私のピアノの先生が、音楽は場数を踏まなくては!!と、強力に私の背なかを押してくれたのである。

さて、なので、室内楽といわれても、弦楽四重奏などはやったことがなく、でも2年生以降は、ピアノトリオや弦楽四重奏をやりたいと思っていたので、頑張って受けなくては、と張り切って履修したのであった。

先生は、安藤先生という、プロオケでヴィオラを弾いていらっしゃる女性の先生だった。安藤先生は、歯に衣着せぬ物言いで、快活な先生であったのだが、できない私をすごく面倒をみてくれ、いちあさん、大学で学ぶこと、いっぱいね、とできない私をいつも励ましてくれた。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの構成であったので、安藤先生が選んだ曲は、モーツアルトの ”Grande Sestetto Concertante(KV364)” だった。

この曲は、なぜかYOUTUBEで上がっている録画も少なく、やっと大学の図書館でCDを1枚見つけた。それぞれのパートに主役になる箇所があり、とても美しい曲で、第二楽章の美しさは比類なき美しさだった。

しかし、、、当時の私には、チェロパートがとても難しく、準備が進まないので、K先生のチェロレッスンでは、チェロレッスンでやることがあり、室内楽の曲までみてもらう時間がなく、私はしばらく、受験前に習っていたチェロの先生のところに行って、室内楽の曲を教えてもらっていた。

なんせ、9人しか受講生がいなかったため、私の音程のまずさは隠れるところがなく、なおかつ弾けなくてつまずくと落ちまくり(全体がどこを弾いているかわからなくなること)、オーケストラの授業以上に冷や汗だったのである。

安藤先生は私のできなさ加減を知っていて、それでも鍛えてくださり、たまに私にチェロパートをひとりで弾かせて、みなさん、どうですか、などと訊かれることがあったのだが、ヴィオラの、ものすごくうまいKちゃんが、『音がちがーう』と言ったりして、私には、冷や汗も凍り付くような授業であったのである。

しかし、回数を重ねるごとに、少しは要領がわかってきて、落ちる回数は少しづつ減ったけれども、音程のまずさは変わらなかった。安藤先生は、私が少しでも弾けるところがあると、『いちあさん、よかった、楽しくなってきた?』などと声をかけてくれた。しかし、あまりに弾けないと、『いちあさん、そこ、弾かないで。私が弾くから。ハーモニーがわからなくなるから。』と私のパートを弾いてくれた。。。。『弾かないで』と言われる私って。。。と思うのだが、現実なので、仕方がなかった。

そうなのである、私が音程悪く弾くと、たちまちハーモニーが崩壊するのである。みんなに申し訳なく、途中何度も履修をやめようかと思ったのだが、安藤先生が授業で私にとても気にかけてくれていることや、2年生からやりたい小グループ編成の室内楽を考えると、やめるわけにはいかなかった。

しかし、まあ本当に履修生のみんなには迷惑をかけて申し訳なく、今も思い出すと目が伏せがちになるのだが、私は、この室内楽で(もちろんこの室内楽だけが理由でないと思うのだが)、コンマスをやっていたO君にひどく嫌われ、ある日、室内楽が終わり、ろうかでO君がいたので、『お疲れさま~』と声をかけて帰ろうとしたら、O君に、ものすごぉぉぉぉく嫌そうな顔をされたことがあった。そしてその瞬間、そうか、私が下手なせいでこんなに迷惑をかけて嫌われているんだな、と悟ったのである。

しかし、だからと言って、私も音大に趣味がてらに遊びに来ているわけでは決してなく(私立音大の授業料は4年間で総額800万円、、、これで遊びでは来れません。)、ここでひくわけにはいかなかったのである。

とにかくまともに弾けなかった私なのだが、履修してよかったことはたくさんあった。

まず、室内楽のグループでの弾き方を学んだこと、パート楽譜への書き込みの仕方を学んだこと、アインザッツの出し方、他の奏者が移弦するかしないかまでボーイングをみて、はいるタイミングを計ること、など多くを学んだ。それに、この曲は各パートが主役になるところがあり、ヴィオラが主役になるとこんな美しさなのか、と目がさめたり、コントラバスの重厚な響きや、S君、Aちゃんのうまさに感動したり、各パートが伴奏にまわり、その伴奏形によって主旋律の浮かび上がり方はこんなにちがうのだ、と学べたのは、本当に勉強になった。もちろん、これらはオーケストラでも学べるのだが、小編成だと聴きやすいという利点があった。

この曲のスコアは今も大切に保管して、たまに、自分が作曲をする時に見直しているが、見るたびに、涙がでるのはなぜか、、、、

私にたくさんを教えてくれた安藤先生、同級生のみんなに本当に感謝なのである。


次回はサックスのあの平野公崇先生が登場します!!

チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!