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第3章【22】1年生の後期がはじまった!

注)私が音大入学前にアフリカで働いていた時の写真です。記事とは関係ないのですが、沢山あるので毎回紹介しています。写真は、小学校の保護者会に集まった人々。給食や、学校のインフラ不足をどうするか、などを話し合っている会です。ブルキナファソの写真です(撮影:いちあ)


8月の1か月間の休みが終わり、後期がやってきた。

夏休みは、後期のオーケストラの楽譜を練習したりで、心配で落ち着かず、結局、アルバイトもせず、ずっと朝から晩まで練習したり、師事しているK先生のご厚意で、ずっとレッスンも週1でみて頂いていて、K先生のご自宅までお伺いして、レッスンをして頂いた。

後期のハイライトは、副科レッスン(自分の専攻のチェロとは別の楽器の実技レッスンのこと。)が始まり、私は、平野公崇先生のサックスを希望して、9月から実技レッスンをしていただくことになっていた(これは、また後の記事で別途記載)。

そして、後期のハイライト中のハイライトは、なんといっても、後期のオーケストラのクリスマス演奏会の指揮者が、秋山和慶先生だということで、みんな、ドキドキしていた。同級生のチェロの沖縄出身のHちゃんは、『秋山先生って、”第二ヴァイオリンの何列目の右の人、音程気をつけて”、なんておっしゃるらしいですよぉーーーーーこわくないですか・・・』などと言って、私をさらに震えあがらせてくれた。

後期のオケでは、『くるみわり人形』や、ベートーヴェンの第5番交響曲の『運命』の全楽章、『威風堂々』などがプログラムとされていた。

夏休み明けの、緊張の第一回目のオケの授業では、なぜか、低弦だけの分奏ではじまった。教室には、チェロのA先生、Eくん、Hちゃん、コントラバスのAちゃん、Sくんがいた。

あいかわらず、Eくんがトップで弾いていたのだが、緊張の新曲の練習の日、なぜか、Eくんが弾く前にうしろにいる私のほうをふりかえり、なぜか、にやっとした。????何???と思ったが、いざ演奏がはじまると、、、、、なぜか、Eくんは夏休み中、あまり練習してきていないようで、A先生から、『チェロ!!!!!』と怒られる始末。いつもA先生は穏やかで怒ったりしないのだが、あまりのできなさに叱られ、、、

と、、、波乱含みで後期がはじまったのだった。

大学の授業は、前期15週、後期15週にくわえ、試験期間がある。なかなか、たかが15回なのであるが、15回を消化するのは結構きついわぁぁぁと思い、前期が終わってほっとしたのもつかの間、後期に突入した。この頃、電車通学中に、オケのある日に、チェロを持って電車に乗ると、人身事故で、振り替え輸送になった。完全に遅刻で、その朝むかっていた授業は、説明をきかないとすぐわからなくなる和声学の授業だった。重い荷物をもって、混む電車、授業に遅刻、それもわからなくなる和声学、和声学のノートも、写させて、と気軽にお願いできるのは、チェロのHちゃんか、コントラバスのAちゃんくらいしかいないのに、どうしよう、、、、そして今日は精神的にヘビーなオケ、、、、と考えると、なぜか、気分は超ブルー、、、、

電車のつり革につかまってそんなことを考えていると、なぜか、前にすわった初老のおばあさんが、怪訝な顔をして私を見上げているのに気が付いた。

????なんだろう???私の前にしょったリュックがあたってるのかな???と心配していたら、おばあさんは『かばん、持ってあげる』といって、私に手を差し出してくださったのである。

いえいえ、大丈夫です、ありがとうございます。。。と丁重に御礼を言って、電車を降りたのだが、あとで考えると、私は、憂鬱でヘビーな授業を思って、きっとものすごくひどい顔をしていたのを、おばあさんは心配して手を差し出してくださったのだろうなー、と思い、急に自分が情けなく、おかしく、笑ってしまった。

朱美さんという、同じ年代で、大学の同級生になった、音響デザインコースの方ともその頃知り合いになり、朱美さんにこの朝のことを話すと『よっぽどひどい顔してたんだねーーー!!』と笑われた。(朱美さんのことはまた別の回に!!)

とにもかくにも、9月のさわやかな秋がはじまったのだった。


次回につづく!!

チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!