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第1章【1】赤道直下の孤独なチェロ弾き

はなしは2010年にさかのぼり、そして、日本からひどく遠くはなれたところに飛ぶ。2010年、私は赤道直下のアフリカのある国に、仕事の関係で赴任することになった。仕事でのアフリカ滞在はもう数回経験していて、慣れていた。しかし、なにぶん、不自由が多い生活の中で、仕事以外に心にうるおいをもたらすのは趣味で、私は海外に仕事で赴任すると必ず、キーボードやギターを入手して練習することにしていた。

2010年、このときも、どこか音楽がやれるところはないかな、と探していたら、驚いたことに、1校、音楽学校らしきものがみつかった。そしてなんと、チェロの先生もいるという。えっ、アフリカでクラシック音楽をやれるところがあるの?と思われるかもしれないが、この国は旧イギリスの植民地であったことから、イギリス人が多く滞在していて、そんな彼らと現地の人々が協力してたちあげた、プライベートの学校があった。

調べると、1レッスン1200円くらいで、3か月ごとの学期制で、個人レッスンを主にやっているという。これは!と思った私は、学校をみつけた週、早速仕事帰りに学校を訪れた。迎えてくれた先生は私より少しわかい、シャロンという30代のアメリカ人の女性だった。シャロンはボランティア活動でこの国に来て、縁あって、この国の人と結婚したばかりだと言った。その日から、学校が貸し出してくれるチェロをレッスンで使用し、毎月のレンタル料を払えば家でも使用してもいいというので、早速借りることにした。

チェロは2002年に1か月半くらい、8回ほどレッスンをうけたことがあったけれど、それからはずっと海外赴任続きで、その当時買った安いチェロは、何年も実家の棚に置き去りにされていて、私が海外から帰国して実家に戻るたび、『これどうするん?はぁぁぁー。置いといても別に邪魔やないから、かまんけど。』と毎回母が同じように、愚痴をこぼすのを聞き流していた。さすがに7年も置き去りにしていて、もう習うこともないだろうと、その当時は思っていた。でも、そのチェロが私の人生を大きくくるわしてくれるなどとは、まったく思っていなかったのだ。

シャロンとの初めてのレッスンの日、レッスンを終えて、意気揚々と家にかえって、練習をはじめた。なんと楽しいではないか。シャロンが子供のころ使っていたという、SUZUKIのチェロ教本を使ってレッスンをしたので、夜遅くまで、その練習をしていた。しかし、恐ろしいことに、その時、まだ私は音程を合わすということが、まったくできていなかった。しかし、とにもかくにも、このシャロンとの出会いが、そして、この音楽学校の存在、そこで出会った人々が、その後、大きく私の生活をかえていったのは間違いなく、いま私がチェロを弾いているのも、そのおかげである。

そして、その夜から、夜な夜な、音程はずれのチェロが夜中まで響き、それは5年間、ほぼ毎日続いたのであった。

チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!