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第3章【18】1年生の前期 実技試験

注)写真は私が音大入学前にアフリカで働いていた時の写真です。たくさんあるので毎回紹介しています。写真は小学校。学校のインフラ不足で、1クラスに100人以上がひしめきあい、椅子や机が足りず、床に座って授業を受ける小学生たちです(撮影:いちあ)


前期試験は、弦楽器コースは遅く、9月にあった。1年生の前期は、任意の練習曲で、伴奏なし、暗譜だった。

Leeの練習曲から1曲、K先生が選んだものを弾いた。5分くらいの曲だった。

はじめての実技試験で、当日は緊張マックス!

前期は、大きな教室で、授業がすべて終了した夜間の時間が試験だった。

Eくんがはじめに入り、次は私、、、廊下で待つ間、沖縄出身のHちゃんが、この雰囲気いやですね~なんて言うのにうなずきながら、私は本当にいくつになっても試験というのは嫌なもんだよな、と思っていた。

いったい何人の試験官がいるのかも、はじめての実技試験だからよくわからず、開始前にコントラバスの先生がお二人くらい教室に入られるのをみたけれど、あとは何人なのかもわからず、、、

おなか痛い、、、と思っていたら、ついにEくんが満面の笑顔で出てきた。

私の番、、、

試験教室に入ると、椅子が真ん中に置かれていて、その前にかなり離れて、先生方がおそらく、15人くらい座られていた。チェロのA先生、H川先生、コントラバスのY先生、ヴィオラの先生、あと、大学の教務部の方々。

私の指導教官のK先生は、来ていない、、、ようだ。よかった。

エンドピンをのばし、ストッパーを床に置いて、椅子の高さを調節して、、、そして名前を言って、お辞儀。

今思い起こせば、本当に、下手だったので、赤っ恥なのだが、それでも弾かねばならないのである。私は、ほかの学生より下手だけど、聴いてくれるプロの先生方がいらっしゃるんだから、と心を奮い立たせて弾いた。

なんとか、一か所、緊張で指がからまったところをごまかし、なんとか弾いた。

暗記も飛ばず、あーよかった、、、

帰りの電車は、心晴れ晴れ、、、、というわけではなかったけれど、なんとか崩壊しなかった安堵でいっぱいだった。

本当なら、みんなが試験終了したあと、希望者は最後まで残って、試験官の先生に講評やコメントをもらいに行くのだが、おそらく、私以外はみんな残って聴いていったのだろうと思うが、私は批評をもらうようなレベルでもなし、と思い、早々に帰宅した。

師事しているK先生は、結局、1年から4年まで、ただの一度も試験官として聴きにこなかった。K先生は、私の大学以外にも、かなり優秀な人が通う別の音大でも教えていらしたのだが、K先生いわく、『ピアノと音程あってない人たちがいっぱいいて、試験で聴いてると、耳栓がいるの』らしく、その大学での実技試験にも、ここ10年くらい行ってない、とのことだった。

私も、K先生はそんな人なんだな、というのがだんだんわかってきて、K先生が試験どうだった?と試験後に尋ねてくれたのだが、どうせ聴きにくるつもりもないのに、と思った私は、『いつもレッスンで聴いていただいている通りです』と答え、K先生のお顔に一瞬、怒りマークが刻まれたりした。それは4年間、なぜか毎回、同じやりとりを繰り返した。

思えば、1年生の前期と後期は、4年間の実技試験の中で、もっとも平和だった。後の回で述べていくが、2年生からは、前期は必ずバッハの無伴奏チェロ組曲からの課題、後期はあいかわらず、ピアノ伴奏もしくは無伴奏の自由曲だったが、私はいろんな失敗をしていくのである。そして、試験のたびに、私は本当はチェロをやめたほうがいいのではないか、という思いがさく裂して、そのたびにK先生に泣き言を言っていた。

今思えば、いつも泣き言をきかされるK先生の心痛はいかに、ということなのだが、それを理解するのは、もっとずっと後になってからだった。


次回は、オーケストラの授業の続きです!

チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!