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第3章【19】オーケストラの授業 A先生とH川先生

注)写真は私が音大入学前にアフリカで勤務していたころの写真です。記事とは関係ないのですが、たくさんあるので毎回紹介しています。小学校の始業式で踊る女子生徒たち。アフリカのこどもたちは本当にリズム感よく、踊りもさえていました~!!(撮影:いちあ)


1年生の前期も、6月になり、7月には、外部からもお客様がいらっしゃるオーケストラの演奏会があった。演奏会は年2回、7月とクリスマスの12月だった。

だんだん大学生活にも慣れ、オーケストラの授業も、最初は分奏といって、弦だけ、弦でも、チェロだけ、などと、パートに分かれて練習していたのが、演奏会もちかくなると、ほとんどが、オーケストラの全体練習になった。

私はあいかわらず、音程も定まらず、オーケストラでチェロの指導をしてくださるH川先生には、分奏の授業で、『いちあさん、間違った音を大きく弾かない!』と怒られたりしていた。間違って弾こうとは思っておらず、間違って弾いても、間違っていると気が付かないことが、まだこの頃は多く、そう怒られても、もうにっちもさっちも、だったのだ。

オーケストラには、チェロの先生が、男性のH川先生とA先生という女性のチェロ奏者の先生がいらした。どちらの先生も有名なチェロ奏者で、その先生方に、毎回どちらかの先生が隣で弾いてくれる贅沢!! あー音大に来てよかった!!と毎回思っていた。

私の師事教官のK先生は、有名なオケの首席チェリストであったけれど、それゆえか、なぜか、『でたらめ弾くより、個人技術の習得に集中したら?』というスタンスで、私がオーケストラの授業を履修するには否定的だった。

K先生の言わんとすることももっともなのだが、だからといって、オーケストラの授業は多くを学ぶ場であったから、あーそうですか、とK先生の言うことを訊いて、履修を取りやめる気にはならなかった。

オーケストラの曲のチェロパートには、オケの曲の独特のパッセージがたくさんあったし、そこから学ぶことがとても多かった。そして、A先生とH川先生が私のダメなところをいつも指導してくださるのは、本当にありがたかった。実のところ、私はA先生とH川先生に多くを教えてもらったし、このあと、2年生、3年生になった時、私がオケや室内楽でつまづいた際、精神的にも励ましてくれたのは、K先生よりもむしろ、A先生とH川先生だった。A先生は私のできないところをよく指摘してくれて、K先生には言われないことも指摘してくれたおかげで、そこができてないんだ、と理解することが多かった。K先生がどう思っていたのかはわかりかねるが、ちがうチェロの先生にみてもらうことは、やっぱり非常に有効だと、私は強く思った。

それに、オーケストラの授業は、自分が弾くだけが勉強ではなかったのだ。

オーケストラの全体練習になり、一番面白かったのは、管楽器のソロや、管楽器、木管楽器の組み合わせはこんな音色なんだな、とか、チューバっていうのはこんなに深い音がするのか、と感動したり、ファゴットのソロはこんなに感情表現できるのか、と驚いたり、どの楽器が伴奏に回り、どの楽器が旋律を弾いたらどんな効果があるのか、といった音を聴くのが、本当に勉強になった。

全体練習では、指揮者が、『はい、そこ、ファゴットとクラだけー』とか、指定されて弾いたりしていたが、いつもなら全体に埋もれて聴きにくい音が、実はこんなことになって全体を支えていたのだ、と理解したり、この楽器の組み合わせはこんなに感動的なんだ、と思ったり、オケの勉強は奥が深いのだった。

音大にはいる前、オーボエ奏者の茂木大輔さんの書かれた、オケに関する本を読んだのだが、そこに、茂木さんが若かりし学生の頃、大学に作曲科で入学を目指していたら、ちょうど、作曲科で音大に通っていた茂木さんの従兄が、『作曲科なんて、これをやってはいけないという禁則を学ぶところなんだ。作曲を勉強したければ、作曲科に進むより、器楽でオーケストラで演奏して、通奏低音の響きを聴くことのほうが勉強になるよ』と言われたそうで、結局、茂木さんは器楽コースに進んだ、というような話を読んだ。

なるほど、そんな考え方もあるのか!!!と私は目から鱗だったのだ。

もちろん、作曲科がそのようなコースだ、と言いたいのではない。つまり、作曲をするなら、自分でオケの音を弾いたり、聴いたりすることが本当に役に立つ、ということなのだ。そして、茂木さんの従兄の言葉を、何年もあとになって私もそうだな~と思うようになった。

そんなこんなで、6月、7月になり、いよいよ演奏会本番へと突入するのでした。

次回、お楽しみに!!


チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!