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学びの形は人それぞれだけど

オンラインサロン?

コミュニティ参加と言っても、実は友だちは少ないし、人見知りであり、人との距離感がわかりにくい自分には、とってもハードルが高かった。
初めは、人との無理なお付き合いが不要不急となり、ゆとりの時間が増えたことから、学びの場を探していた。GLOBIS知見録や、通信制大学を覗いて、YouTubeの情報など見つめていた。

そのとき、衝撃を受けた動画が二つあった。
一つ目は、教育改革実践家の藤原和博さんの「たった一度の人生を変える勉強をしよう」
二つ目は、工学博士 多摩大学院名誉教授 田坂広志さんの「すべては導かれている」

この動画から、この先の見えない将来に向けて、残りの人生どうしたものかと考えたのだった。
自分を変える、自分に還ると決めた。
そんな私はコロナ禍の恩恵?でオンラインサロンに入るという一番安易な方法を選んだ。大学院は金銭的、時間的にもちょっとしんどい。今までも通信教育はかじったばかりで終えていない。これなら仕事をしながらでも、学びたい気持ちは継続できるのではと思ったのだ。
藤原和博さんが校長となる「朝礼だけの学校」に入学することにした。

学びの形

「朝礼だけの学校」は毎日カズ校長こと藤原先生の朝礼とお題で始まる。
 先生=生徒として、生徒のわたしたちが勝手にブログを書いたり、リレー小説を書いたり、部活をしたり、悩みを打ち明けたりとオンラインなのに開かれた空間。私もこの安心安全な場で、ブログを書くこと、コメントを書き意見を交換し合うことなど学んでいる。
 コメントを書くには、知識も必要で、読書量が増え、紹介された場所を確かめに旅に出るなど、情報編集力を他の生徒さんの知恵を借りながら、自分で自分を育てている。それが私の育ち直しなのだ。
「朝礼だけの学校」では読書家が多く、たくさんの本を手にすることになった。
中でも発想の転換を仕掛けてくれた本は「マイパブリックとグランドレベル」
こんな豊かな発想したことがない!

できることから始めてみよう

自分のマイパブリックとして、公園の花壇整備とまちライブラリーを始めた。
市のみどりの課が行っている市民参加型の花いっぱい運動にひとり参加してみることにしたのだ。狙っている公共の公園は二つあり、まずは住宅地にある公園からお試しすることにした。春と秋に花苗の配布があり、申告書、苗の引き取り、花植え、手入れ、報告書作成などちょっと手間はかかるがまずはやってみた。
隣保班で交代番で春秋の草取りをする程度しか使われていない公園には人気がないく、我が子たちが幼い頃使った程度だが、お試しにはもってこいの大きさだった。

開墾した花壇


水やりと草取りは週末に行い、庭先での、ぼかしコンポストで育てた土とミミズを堆肥代わりに公園に撒いた。庭先パーマカルチャーと称してひとりニンマリしてた。ひとり手入れに気づいた近所の方が水撒きを手伝ってくださり、ほっこりとすることもあった。地道に続けている。

もう一つのマイパブリックは、巣箱型ライブラリーの設置だ。まちライブラリー提唱者の磯井さんに感化して、夫に協力してもらいDIYで犬小屋程度の本箱を庭先に置いた。
大好きな絵本を並べてお客さんを待つのも楽しい。小さなお客さんが本を借りに来てくれている。
ついでに、庭のカリンの実やイチゴの苗を「ご自由にどうぞ」と置いて。
道ゆく人にとっては、庭のインテリアかと思っているのかもしれないのだが。

DIYはたのし

自分事にすることとは

Voicyでよく言われているのは、自分事、自分の頭で考えること、発信するなどだ。まあやってみると、意外と手間がかかるし、人の手も借りないとできないことが多いことに気づく。
オンラインでは、安心安全な場での学習が定着し、肩書きや世間体など気にせず、自分らしくあることに徹していられることがわかった。
マイパブリックでは、まだやってみていない街づくりの一歩しか進めていない。
狙っているあの場所を自分ごとにしていきたい気持ちは変わらない。
しかし、木下さんさんはこんなふうに言っていた。「場所ではない 人だ!!」

次の打ち手をどうして行こうか
続きはまた今度。


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