ハートの体積が広がる

「信じる」ってもっと強固なものだと思っていた。
意外に脆いということを今、次々と体験している。

これは、面白いと思った。


例えば10年以上も自分の中でこれが頂点でゴールだろうと思っていたものがある。
これ以上のものはないと信じていた。
それが、あることをきっかけにこれってゴールでもなかったのかなと思うようになった。

その自分自身の信じていたものを手放した瞬間、次の大きな扉が、勢いよくパーンと開いた。
今までいた自分の世界の隣には、ちゃんと次なる広い世界が誰にも用意されていることも知った。
「信じているもの」・・・それは、私自身が作り出している「固定概念」に過ぎないのかもしれない。

私は、残念ながら、とても飽きっぽい部分がある。
つまり、日常的には、そういう小さい体験を繰り返している。
「これって凄くない(感動)?!!」→「いや、そうでもなかった(笑)」の繰り返し。
極めることも素敵なこと。
極めたいことは極めたらいい。
いや、これ違うなと思ったら、とっとと手放したらいい。

先にも述べたようにそんな私にも長年これが最高のものだと思っていたものもある。
それと別に誰もが持っている幼少期からの思い込みのようなものもある。
人は、知らず知らずのうちに「固定概念」や「思い込み」を育てている。

新しい扉を開いてから、幼少期からの思い込み・・・もっと言えば、魂の思い癖も含めて、びっくりするような思い込みを数多く持っていることがわかった。

誰かが「信じているもの」ってその人にしかわからないものだから、第三者から見たら「へぇ~、それ信じてるんだー」ってクールな感じ。
本人にとったら大きなものでも他人から見たらどうってことないことが多い。

食事についていうなら私は、健康に興味があるので体にいいと言われるものはなるべく摂りたいという欲求はある。
でも、体にいいものという概念は、人それぞれ。
マクロビオテック、ビーガン、糖質制限、オーガニック、自然食…とこだわりポイントが違う。
同じビーガンでも色々な種類があるらしい。
毛皮など皮製品も使わない人たちや革製品は使う人たち・・・。
何が正解かはわからない。
信念を持っている人たちの多くは、自分の信じているものが一番いいと信じているからこそ、その良さを人にも伝えたいと思う。
宗教もそうなのだろうと思う。

友達の中に長年、徹底して糖質制限をしている人がいる。
徹底してやり抜くのは、彼女の男前なところでもある。
糖質制限食を否定するつもりはないけど、これも「固定概念」なのかもしれない。

信じているもの=固定概念ではないと思うけど。
たまには、これらを緩めてみる作業をしてみるのも面白い体験ができるかもしれない。


私は、これらを手放すということで体の中のハートの体積が大きな気球のように一気に広がった感じがした。
ハートの体積ってこんなに広かった。広いというより無限かも。
自由度が、ぐーんと増えたような気がした。
自分で狭めていたのだなと気が付く。
これは、手放すと言っても単に「捨てる」という意味ではない。
<感謝して手放す>ということ。
これまで信じていたものも自分の体の細胞の一部。
感謝しかない。


いままで私の一部でいてくれてありがとう。

そして、
このタイミングで気づかせてくれてありがとう。



ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕