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宮崎からヨーロッパへ: 二十歳の放浪記

留年は放浪の始まり
高校卒業後、宮崎大学に入学した後、二年生になった時からの1年間を、宮崎大学の付属住吉牧場で住込み体験をすることになった。この1年間の寮生活については、ほとんど一冊の本になってしまうため、いずれじっくりと書く機会を作ろうと考えている。

まあ、そのあたりはとりあえず端折って、その寮を出ることになった。そのタイミングで私は、幼少のころから温めていた夢であるヨーロッパ放浪の旅を実行に移すことを決心した。学生の一人暮らしであったから、さほど所帯道具は多くなかったのだが、荷物はまとめて、一旦を長崎の実家に送り返すことにした。誠に誠に思い出の詰まった牧場での生活とは離れがたく忘れ難かったが、次の目標としてヨーロッパへの渡航を定めたので、大変賑やかで、楽しく若者の馬鹿さ加減を堪能した寮生活の思い出は、とりあえず思い出の箱に仕舞い、その準備のために頭を切り替えて、渡航準備の手続きなどで忙しい日々を送った。

一旦長崎の実家に帰郷した。私は、母に「小さいころ、僕が外国に行きたいと行ったら、大学に入学したらと言われたので、行ってくるよ。」と伝えると仰天していた。小学校の時に「大学に入ってから行きなさい。」などと言ったことはスッカリ忘れていたようで、「なにを考えているやら…。」と呆れ顔であったが、詳細を話すと、あまり強くは反対せずに同意してくれた。ただ「いつ行くのか?」という問いに「明後日」と答えるとさすがにビックリしていたが、もう出発ギリギリであったので認めざるをえないという感じだった。私としてもせっかく入った大学を休んでまで外国に行くことを計画しているとはなかなか言いがたく、話す機会が春休みになってしまったという事情もあった。いずれにしても父や弟、まだ小学生の妹にしても驚いてはいたものの、まあ賛成してくれた。

家族としばらく会えないという寂しさはあったが、すでに航空チケットも手配済みであった、いわゆる「賽は投げられた。」という状況であったし、この時点では躊躇する自分を、自分が背中を押す格好になっていた。

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