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11オステリッツ駅の旅立ち パリの章(了)

メトロのプラットフォームには、先ほど別れた人たちが地下鉄を待っていました。お互いに早すぎる再会を笑いました。驚いたことに、その中に大きな荷物を抱えたEさんもいました。目が合うと会釈をし、お互い昨夜のことを思い出して、少しはにかみました。Eさんは今からスペイン方面への列車が出るオステルリッツ駅に移動するとのことでした。なんのことはない、私が行くことに決めた南フランスのカルカッソンヌ行きの列車もそこから出発するのです。

パリには6つの主要な駅があり、それぞれ行く方面が異なります。そのため、出発の駅を間違えると、目的地行きの列車には永遠に乗れません。私はおどけて「荷物持ちにならせていただきます」と言い、Eさんのバッグをひとつ持って駅まで同行することにしました。いくつかのメトロを乗り継ぎ、オステルリッツ駅に着きました。メトロを降りて駅の構内に入ると、歴史ある駅の構造に驚きました。日本とは全く異なり、大屋根が駅のホーム全体を覆っています。構内の雑踏が大屋根に反響して、旅の郷愁を増幅させていました。出発時刻が早い列車の人たちが車中で食べるためのサンドイッチと飲み物を買ってくる間、私は荷物番をしました。

私の乗る深夜特急は、真夜中の出発です。まだ出発まで数時間ありましたので、しばらくベンチに座って皆で話をしました。Eさんが乗るスペイン行きの特急プエルタ・デル・ソルの発車時刻にはまだ余裕がありましたので、彼女が留学しようと思った理由や生い立ち、お互いの家族のこと、これからの不安に思うことなどをゆっくりと話しました。他の人の列車は既に発車しており、私とEさんだけが残っていました。「違う場所で会っていたら、私たち、これからずっと一緒にいたかもしれませんね」と彼女はポツリと言いました。私は何も答えませんでしたが、思いは同じでした。出発時刻が近づくにつれ、二人は言葉少なになりました。横に並んで座っているので、よく彼女の表情は見えませんでしたが、言葉が濡れていました。彼女がどんな様子なのかは概ね見当がつきました。発車時刻10分前になりました。私は立ち上がり、彼女の荷物を持ち、乗車券に印刷されている列車の号車まで先に歩きました。すでに交わす言葉はなくなり、黙って歩くしかありませんでした。彼女のコンパートメントの棚に荷物を上げ、私はステップを降りました。彼女は列車のステップの2段上にいました。ヨーロッパの列車は、発車時刻になると何の合図もなく出発します。私は、ハリウッド映画の「慕情」やイタリア映画の「ヒマワリ」を見ているからそのくらいは知っています。私は言葉もなく彼女を見ていました。彼女も私を見つめていました。もう数十秒で列車は発車するでしょう。最後に握手をしようとして私は一番下のステップに足をかけました。彼女も手を差し出してステップを一段降りました。手を握った瞬間に彼女の唇は私と重なりました。初めからそうなることは分かっているようなごく無意識の別れのキスでした。急に胸が熱くなりました。先頭車両が動き出す金属音が聞こえました。その揺れは私たちの車両まで伝わってきました。それがキスの終わりの合図でした。

私はステップを降り、彼女はステップを上がり、彼女を乗せた列車はゆっくりと動き出しました。私は数歩列車を追いかけたと思います。彼女の目からは、大粒の涙がこぼれていました。私は泣きませんでした。彼女の影は列車とともに薄暗いホームの終わりへと小さくなり、ドアの閉まる音がしました。私は、過ぎ去る列車とは逆の方向に歩き始めました。駅の別れは悲しすぎます。静かに涙が出てきました。引き止めなかった自分の勇気のなさとその理由の無さを悔しく思いました。こんなに切ない「つかの間の恋」があることを知りました。まるで映画の主人公のような自分の悲劇な境遇に驚いていました。私もこの駅から放浪の旅を始めます。そのプロローグにしてはあまりにもドラマチックな展開でした。悲しみと同時に、こんな気持ちになった自分が少し誇らしかったです。パリに春が来るのも間近でしょう。一昨日の底冷えが少し緩んでいます。私の想いが、ちょっとだけ春が来るのを早めたのかもしれません。

その後、私は彼女と会っていません。ただただ今が幸せであることを願います。その夜、深夜特急の中で流した涙は、寂しかっただけという理由だけではないでしょう。

パリの章 了

そして放浪の旅は北極圏へと続くことになります…。


パリの駅は大きな天蓋に覆われ、駅の雑踏の音が響き独特の雰囲気がある。Paris_Lyon駅

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