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どんな才能も自分のもの、そして守られるべきもの《才能の搾取に関する覚書》

才能の搾取。
この概念を知ったのは、数年前、ある件について弁護士さんに相談に行った時のことでした。「搾取」と言えば金銭や労働力とばかり思っていた私は、才能もまた搾取の対象になると知って目から鱗だったことを思い出します。以来、自分を支える大切な概念の一つとなっています。

ところで最近、様々な場面で個人の才能が不当に扱われ、搾取されているのではないかと感じることが多くなりました。なぜそんなことがまかり通るのか。自分なりにその理由を探り、まとめてみようと書き始めたのがこの投稿です。

残念ながら私は法律の専門家ではありません。その道のプロから見れば、間違いや見当はずれな部分も多々あることでしょう。ただ、疑問を抱く一投稿者の声として最後まで読んでいただけますと、とても嬉しいです。

⒈ 搾取とは何か

まずは搾取とは何かということから。

手元の『明鏡国語辞典』によれば、
「資本家・地主などが労働者・農民などに労働に見合った賃金を払わず、その利益のほとんどを独占すること」
とあります。ここで言う「労働」は肉体労働だけでなく知的労働も含まれ、要するに、提供するサービス(労働)に見合った賃金が払われない状態を「搾取」とみなす、という解釈になると思います。

では、サービスに対して「見合った」とはどういう状況でしょうか。これに関しては、「見合った」より「見合わない」例の方が分かりやすいと思うので、そちらの方で考えてみたいと思います。
まず真っ先に思い浮かぶのは、低賃金で長時間働かされるブラックな職場です。日常的にサービス残業を強いたり、過度な出来高制で従業員を追い詰めたり、といった例が代表的なものでしょう。

こんな労働環境が続くと、サービスの提供者側は転職を考えたり体調を崩したり。いずれにしても、雇用者側は自分達が欲しいサービスの提供を受け続けることが出来なくなります。これは、ガスや水道、電気などのサービスでは当たり前のことで、見合った金額を得られない場合、供給を止めるのは当然のことです。

ただ、人間の労働力となると、それほど簡単にはいかないようです。なぜなら、提供者側がサービスの供給を停止したくても、それを阻む要素がいくつもあるからです。ここでは代表的と思われるものを三つ挙げてみました。

阻む要素その1 <不平等な契約>


サービスの提供を開始するかどうか判断する際には、契約書に記されている内容が非常に大きな役割を果たします。
ですが、この契約書というものは、専門家でもなければ完璧に理解するのは難しいものです。よく分からない点を質問しても耳障りの良いことばかり聞かされ、それを信じてサイン捺印してしまうということは、珍しくないのではないでしょうか。

さらに相手側だけに法律の専門家がついていたりすると、一般人はほぼ丸腰でこの決断の全責任を負わざるを得なくなります。「皆さんこれで納得してますよ、今まで問題になったことはありません」とか「早く決めた方が有利ですよ」などと聞かされ、十分理解できないまま契約をしてしまった結果、身動きが取れなくなってしまったというケースもままあるのではないかと思います。

阻む要素その2 <口約束の曖昧さ>


問題のない契約書であっても、そこに全ての可能性が細大漏らさず取り上げられているという訳ではありません。
書かれていない点については「それぞれの状況に応じて、きちんと対応させて頂きます」といったざっくりした表現、いわゆる口約束に収束される場合がほとんどでしょう。それを信じてサービスの提供を決める人も多いと思います。

「単なる口約束」とはよく耳にする表現ですが、契約同様、双方の信頼関係を継続するための重要な取り決めであることには変わりありません。法的拘束力がないからといって口約束を反故にし続けると、やはり提供者側はサービスの停止を考え始めます。
そんな時「ちょっと待ってください、すぐに対応しますから」などとはぐらかされているうちに、ずるずると辞めるタイミングを逃し時間ばかりが過ぎていく、というパターンも考えられます。

口約束に関しては「言った」「言わない」の水掛け論になるケースもしばしば見受けられますが、ここで強調しておきたことは、必要な内容を相手に「言わない」のもまた嘘をついたことになるという点です。
自分たちの都合の良いことだけを伝えて、都合の悪いことは伝えないのも嘘をついたのと同じことなのです。言ってなければ良い、という訳では決してありません。

阻む要素その3 <脅し>

もしかしたら、最もよく見られるのがこの脅しの手法なのではないでしょうか。
例えば、不信感を抱いた提供者がサービスの停止を申し出ると、「そんなことをすると莫大な損失が発生して、大勢の人にとんでもない迷惑がかかります。あなたはその責任をとれるんですか」などと心理的圧力をかけてくる場合などです。

これは、実際にそういった事態が起こるかどうかは問題ではなく、目の前にいる人を力でコントロールすることが目的なので、屈服したと見ると「あなたに悪いようにはしないから」とか「こんなことを言うのは、あなたを信頼してるからですよ」などの台詞でケリをつけられることもあります。もちろん、その文言の真偽に確たる保証はありません。

以上、提供者側がサービス停止を決断することを阻まれてしまう要素を三つ挙げましたが、一つだけの場合もあれば、複数が組み合わさっているケースもあると思います。
ただ「脅し」については暴力的なイメージが強く、そんな場面には遭遇したことがない、自分には関係ないと感じる方もおられるかもしれません。ですが、実際には日常生活のあちこちで脅しの場面は見受けられるものなのです。

では次は、脅しとは何かについて考えていきたいと思います。

⒉ 脅しとは何か


「脅し」について考える資料として、今回は大阪府暴力追放推進センターのサイトを取り上げたいと思います(一番下にリンクを貼っておりますのでご参照ください) 
こちらのサイトは暴対法に沿った内容になっていますので一般論とは少々趣旨が異なるかもしれませんが、とても分かりやすく説明されているので参考にさせていただきました。

上記のサイトによると、「脅し」にはいくつかのテクニックがあるそうで、以下に代表的なものを三つ取り上げました。

脅しのテクニックその1〈相手に恐怖感を与える〉


威嚇的な言動や暴力的な行動で自分が優位にあると誇示し、相手に恐怖心を与える典型的な「脅し」のやり方です。
意外なのは「こちらの面子も立ててくれ」など、一見暴力とは思えない、いわゆる情に訴えるやり方も脅しになるという点です。
他にも「あの時、助けてあげたでしょう」とか「あなたがこんなに恩知らずとは思わなかった」など、過去のことを持ち出して相手をコントロールするのもまた脅しの一種になるでしょう。
さらに「言い方が荒い、もしくは乱暴」など、何を言ったかだけでなく、どのように言ったかも脅しの判断基準になると指摘されているのは興味深いところです。

脅しのテクニックその2〈相手を精神的・肉体的に疲れさせる〉


これもよく使われる方法ではないでしょうか。
「長時間」「繰り返し」「大勢で」要求を突きつけることで相手の心身を疲弊させ、真っ当な判断ができない状態に追い込むことがその目的です。
このテクニックを使われると、脅された側は自身に問題解決能力があると感じられなくなり、疲弊感や無力感から相手に従うしかないと考えるようになります。
その結果の返答を自ら承諾した証拠として扱われ、「自分でYesと言ったんですよね」などと、さらなる脅しの材料にされてしまうこともあります。

脅しのテクニックその3〈役割を分担する〉


テクニックその1、その2は、比較的脅しと分かりやすい方法でしたが、テクニック3は周囲にいる人達が脅す側の肩を持ってしまうこともある巧妙なやり方です。

方法としては、「相手から便宜を引き出しやすくするため強引に要求を突きつける役と、適当な妥協案を提示して話をまとめる役というように『脅し役』と『なだめ役』の役割分担をしている」というものだそうです。

上記のサイト内では暴対法に基づいて説明されていますが、これは一般社会の中でも頻繁に行われていることではないでしょうか。
まず到底飲めない条件を出した後で、自分たちが実際に欲しい条件を提示して相手に「うん」と言わせる。(本当はどっちも嫌だけど、まだマシな方で良かった)と相手に思わせることができれば、後々の苦情にもつながりにくいという考えです。

このやり方で脅された側は、ベストではないけれどベターな選択をしたと自分を納得させて気持ちを収めようとするでしょう。
また、脅された側の被害者意識も曖昧になりがちで、(やっぱり納得できない)と後で思っても(でも、自分で承諾したんだから)などと思いつめてしまい、外部に相談しにくい心理状況になるのは容易に想像がつきます。
周囲に相談しても「妥協案を出してくれただけ良かったじゃない」などと『なだめ役』の肩を持たれることも多く、孤立感を深め、誰も分かってくれない、自分がバカだった、と自らを追い詰めるケースも多いのではないかと思います。

ここまで、脅しのテクニックを三つ挙げました。
特にテクニック3は、社会に蔓延しているように感じるのですがいかがでしょう。

上記サイトでは複数人で役割を分担する例が挙げられていますが、一人で『脅し役』と『なだめ役』の両方をやっている場合もあると思います。
要するに、押したり引いたりして感情を揺さぶり、相手に隙ができたところで自分の望む返答を引き出すというやり方です。

さらに、これらのテクニックも単独で使われるとは限りません。例えば三つ全部を組み合わせて、「何度も」「長時間に渡って」「脅したりなだめたり」を繰り返し、「いい加減、こちらの事情も考えてくださいよ」などの台詞を時に弱々しく、時に声を荒げて挟み込む。
こういった場面は、私達の日常において珍しいことではないのではないでしょうか。

こんな状況に一人で立ち向かわなければならない時など、自力では到底乗り越えられないと絶望的な気持ちになってしまうのは当然のことだと思います。
それだけに弱者に対して非常に効果的なやり方であるとも言え、だからこそ、上手く相手を落とすノウハウとして強者側に受け継がれ推奨されているのが今日の日本社会ではないかとも思えてしまいます。

ここまで、脅しについて具体的な例を挙げて述べてきましたが、要するに、相手の申し出に対して、こちら側に十分に検討する時間的・精神的余裕を与えない行為全てを脅しと言って構わないと思います。

そんな脅しから身を守る方法として上記サイトは、

◎不当な要求には絶対応じない、毅然とした態度をとる
◎対応の度に記録を取る

などのアドバイスを載せています。他にも、私が弁護士さんから直接伺ったものとして、

◎繰り返し「NO」を言う
◎(私が女性なので)男性に対処してもらう
◎社会的に地位の高い男性に対処してもらう

などがありました。
日本社会で女性がいかに軽んじられているかが如実に分かる方法ではありますが、繰り返しNOを言うことは自分一人でもできる対応として常に肝に銘じています。

⒊ おわりに ~才能の搾取は文化の砂漠化をまねく~


以上、立場の弱い人間が立場の強い人間に、様々な方法で搾取されるケースについて考えてきましたが、最後に、搾取する側が勝者でされる側が敗者であるとは一概には言えない、ということについて考えていきたいと思います。
特に才能の搾取に関しては、勝者敗者の概念を超えて、社会全体に文化的な砂漠を広げる行為であると私は考えているのです。

そもそも搾取を続けると、冒頭に書いたように、いずれサービスは提供されなくなってしまう訳ですが、こうなった時、搾取側の選択肢としては、

①契約書や脅しを使って、サービス提供の継続を強いる。
②他の提供者を探す。

の二つが考えられると思います。
単純な作業労働であるならば①②はある程度有効かもしれません。
ですがこと才能に関しては、どちらも効果的とは言えないのではないのではないでしょうか。

というのも、才能には替えが効かないという特徴があるからです。
逆に言えば、替えが効かないからこそ相手側もその才能が欲しい訳で、それなのに搾取をすると、貴重な才能が充分発揮できなくなり、最後には止まってしまうという状況を搾取側が自ら招くこととなります。
そうなってから別の提供者を探しても、全く同じ才能など見つかりません。
似たようなものを見つけ出しても、また搾取を始めれば、上記のパターンが繰り返されるだけです。
そうしていくうちに、生み出される作品の質が徐々に下がっていくことは明らかで、言ってみれば、才能の搾取は金の卵を産む雌鶏を自ら殺してしまう行為なのです。

また、作品を生み出す側の人物を搾取すると、肝心の作品が順調に生まれなくなってしまうということも考えられます。
その結果、優れたコンテンツの数も減って、ひいては文化全体の砂漠化につながるというのが私の考えです。せっかく自分に収穫を与えてくれている豊かな畑を、わざわざ自分の手で荒らしているのようなものなのではないでしょうか。

さらに、搾取自体がエネルギーを無駄に消耗する行為なのでは、とも考えています。
搾取をし続けるためには、自分たちに都合のいいように常に相手をコントロールする必要がありますし、その分、余計な手間とエネルギーがかかるのは言うまでもありません。

これは私の単なる憶測にすぎませんが、実際に搾取に関わったことのある人は、決して効率的な方法ではないことを経験上知っているのではないでしょうか。
それでも何らかの理由で搾取側から降りられないと、とりあえず目先の問題がクリアできればそれでいいという考えが強くなってしまうのは自然な流れだと思います。
結果、良いものを生み出す現場とはかけ離れたものが出来上がる。もしかしたら、これが日本の多くの現場の実情なのではないでしょうか。

以上、才能の搾取について書いてきましたが、読んでくださった方の中には、自分にはそんな特別な才能はないと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
けれど、あなたが持っているどんな能力も、ひとたび使われればそれは才能であり、唯一無二のものです。そして、それは絶対に他者にコントロールされてはならない、自分自身の守られるべきものなのです。

数年前、私が弁護士さんに相談に行った時、あぁ自分にも人権があったのか、という思いが胸に広がりました。当時私はそれほどまでに混乱し、自分をなくしていました。特に相手側に大きな力があると、私達は簡単にこのような混乱状況に陥ってしまいます。

けれど、どんな理由があろうと、私達は一人残らず人権を持っています。嘘や脅しで搾取されていい存在などではないのです。
何をする時も、まずお互いの人権を尊重することから始める。
尊重されない時はNOと言う。
個々人の才能が大切に扱われているとは言い難い今だからこそ、この基本中の基本に立ち返るべきであると強く感じています。

長文を最後までお読みくださって、有難うございます。








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