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敬意は丁寧から生まれる 〜弔い人に救われた話〜

父が亡くなった。入院から11日目の夜だった。

その日のお昼、母と妹は病院に行き、順調にいけばあと一週間から十日ぐらいで退院になると主治医から説明を受けた。その後、父とも面会して少し話をしたらしい。
私たち姉妹四人はいつものように「退院の時、迎えに行ける?」「水、木だったら行けるよ」などとグループLINEでやり取りをした。退院後に父が安心して過ごせる場所は既に手配済みで、準備はすっかり整っていた。

それから数時間後、携帯の着信音が鳴った。妹からだ。スマホを開いてみると、家族はすぐに集まってくださいと病院から連絡があったという。
――どういうこと?
戸惑っているうちに再び着信音が鳴った。また妹からだ。やはり〈すぐに来てください〉と書いてある。
とっさに時計を見た。夜9時10分前。
私ははじかれたように立ち上がるとタクシーを呼び、お財布と携帯と歯ブラシを手提げカバンに突っ込んで新神戸駅へと向かった。窓の外、いつもの夜が流れていく。早く、早く、とそれだけを考えようとしたけれど、急ぐ体に心が追いつかず、ふわふわと私の後ろを漂っていた。  

最終から一本前の新幹線に飛び乗ると、席は思いのほか埋まっていた。ふたつ並んで空いているところを見つけて窓側に座り、岡山駅の到着時間を調べる。この時間なら、まだ駅でタクシーを拾えそうだ。背もたれを少し倒して息を吐く。すると一足先に病院に到着していた妹からLINEが来た。
〈正面玄関の方じゃなくて、救急の入り口の方から入ってください〉
了解。
姫路辺りでもう一通来た。
〈9時46分に亡くなりました。待ってます〉

あぁ……。思わず声がもれた。と同時に顔を隠してうずくまった。一気に涙があふれてくる。画面が消えた携帯を握りしめ、声を殺してしばらく泣いた。

病室の父は、まるで眠っているようだった。真新しい浴衣が気持ちよさそうで、声をかければ薄目を開けて「あぁ智子か、来たんか」と答えてくれそうだった。
お昼に面会した時、ベッドに腰かけてしんどそうに肩で息をしていたこと、それでも孫たちの様子を心配していたこと、「みんな、どうしょうる」「大丈夫、元気にしてるよ」と、それが最後の会話になってしまったことを妹が話してくれた。

「失礼します。少しお化粧されますか?」
手に小さな化粧パレットを持った看護師さんがカーテンの向こうから現れた。
「こちらでやりましょうか?」
と言う彼女に、
「いえ、私がやります」
と答えてパレットを受け取り、蓋を開け指先にピンクのパウダーを少しとって父の両頬にそっと置いた。
「お父さん、顔色良くなったじゃない」
母のその言葉が嬉しくて、眉間にも顎にもほんのりと赤みをさしていった。父に触れる度に指先から温かさが伝わってくる。パレットを置いて、手のひらをおでこや肩に乗せてみた。温かい。その温もりが救いのように感じられて、いつまでもこのままでいたいと思った。

医師と看護師さんに見送られて斎場に移動したのは、日付が変わる頃だった。父は和室に用意された布団の上に安置された。
「早速ですが、明日の朝お寺さんにご連絡いただきまして、明後日の友引を避け、しあさってがお通夜となります。その翌日が葬儀という流れになりますが、今日はもうこんな時間ですし、皆さんいったんお帰りになって休んでください」
夜通し詰めている斎場のスタッフから、そう説明を受けた。まだ現実を理解しきれていない私達を受け入れつつ、冷静に対応してくれるプロの存在が有難かった。
「お通夜の時間は通常午後五時からとなっていますが、その前に湯灌がありますので、湯灌の手配も明日させていただきます」
「……ゆかん?」
と私が呟くと、
「お棺にお納めする前に、ご遺体を清めることです」
と返事が返ってきた。そのために納棺師を手配する必要があるという。あぁ「おくりびと」のことか、とようやく察しがついた。
「湯灌って言うんだ、『おくりびと』観てないから分からなかった。Sちゃん観た?」
「えーっと、もっくん出てたやつだよね」
「そう。Мちゃん観た?」
「うーん、観たかも。Hちゃんは?」
「観てないと思う。けっこう前の映画だよね」
しばらく姉妹の他愛のない会話が続いた。その横で父は静かに眠っている。

久し振りに両親と娘たちが揃った夜も、そろそろ深夜1時をまわろうとしていた。
「お父さん、また明日来るからね」
一人々々父にそう声をかけ、その日はひとまず斎場を後にした。十一月の夜は冷え冷えとしていて、お父さん寒くないかな、とつい考えてしまうけれど、そんな心配はいらないんだと気づく度に何度も心が締めつけられた。

お通夜がある日の正午過ぎ、父と私たちがいる斎場の部屋に二人の納棺師が到着した。それが彼らのユニフォームなのか、黒いズボンに黒いベスト、白いワイシャツに黒ネクタイを締めた二人はどちらも女性で、大きな荷物を持参している。それら一式を部屋の外に一旦置くと、まずは畳に三つ指をついてお悔やみの言葉を述べ、続けてこう言った。
「では、これから湯灌をさせて頂きます。湯灌は納棺の前にご遺体を清めるためのものですが、それ以外にも、ご家族様が来世に生まれ替わるための産湯とも言われております」
産湯。神妙に話を聞いていた私たちの顔がふっとほころんだ。
そうか、お父さん生まれ替わるんだ。
父にはまだ未来があって、今からその準備をするんだと思えることが私達を慰めた。

挨拶を終えると、一人は手早く簡易式の浴槽を組み立ててお湯をはり、もう一人は父が着ている浴衣を慎重に脱がせ始めた。それからシャツや下着も取って…と、そのはずなのだけれど、私達には父の肩から上と足首から下しか見えない。それ以外は大きなバスタオルですっかり覆われていて、納棺師さんは父にタオルを掛けたまま、肩をそっと持ち上げたり腕の位置を変えたりしながら、丁寧にしかも流れるような所作で作業を進めていった。
慎重に、見ている家族に痛そうと感じさせないように。手元は終始タオルの下だけれど、納棺師さんの心くばりがありありと見て取れて、私達の目は彼女の所作に釘付けになった。

身に付けていた衣類を全て取ると、父はタオルを掛けられたまま湯船に運ばれ、全身を清めてもらった。納棺師さんはシャンプーを取り出すと父の髪を優しく洗い、そのまま首と肩のマッサージを始めた。
「お父さん、気持ちよさそう」
「ほんとにね。マッサージなんて、初めてしてもらったんじゃないかな」
そう姉妹して言いあった。
洗い終わると丁寧に体を拭いてもらい、目隠しにしていた大きなタオルをそのまま上に掛けられて、父は再び布団に横たわった。枕元に正座した納棺師さんは大工さんが使うような大きな道具箱を引き寄せると、取っ手を持って左右に開き、中からシートパックを取り出して父の顔にそっと乗せた。しばらくしてパックをとると今度は床屋さんのように剃刀とシェービングクリームで髭を剃り、暖かいタオルで父の顔をさっぱりと拭いてくれた。

「納棺の際にはご家族のお望みのものをお着せしますので、なんでもお好きな服を持ってきてください」
あらかじめ斎場のスタッフからそう言われていた私達は、父愛用のワイシャツとズボン、ネクタイ、そして白衣を持参した。
父は生涯、県北の山間部の数少ない脳外科医として働いた人だった。自分が病気になった時以外ろくな休みもとらず、救急車や急患が来れば夜中であろうと何度でも病院に出かけていくハードな日々だったけれど、時折「どんな時でも人の役に立てる医者は、ほんまにええ」と口にすることもあり、自分の職業に誇りを持っていた。
ただそれだけに、徐々に思うに任せなくなる自身の体の状態もよく理解していて、父が亡くなった翌日、娘たち一人々々の名前を記した後に「みんな元気で仲良く。お母さんをお願いします」と書かれたメモが父の机の上から見つかった時は、どうしようもなく切なかった。メモの日付は亡くなるちょうどひと月前。一人密かに覚悟を決めていった父の心の内を思うと、今でも胸が締め付けられる。

用意した服を渡すと、納棺師さんは再び慎重に父の身体を動かしながらシャツを着せ、ズボンを履かせ、ネクタイを締め、最後の白衣まできちんと着せてくれた。私たちの前に、つい数年前まで医師として働いていた父の姿が現れた。
そして仕上げに足の爪を切ってもらい白足袋を履かされた父を、みんなで白木の棺に収めた。

翌日、父はお骨になってしまった。
うららかな晩秋の陽射しが大きな窓から差し込む火葬場のロビーで待機していると、私達を呼ぶ放送が流れた。母の腕をとってまずは二人で指定された場所に行き、壁際の椅子に腰かけていると、火葬場のスタッフが陶製の壺を胸に抱えて私達の前に片膝をついた。そして、
「正面は、どこがよろしいですか?」
と丁寧に尋ねた。骨壺にも正面があることを知らなかった私は少し戸惑ったけれど、白地の壺に目をやると、蓋から胴にかけて群青と黄色の釉薬が一筋淡く流れている。
「そうですね…じゃあ、ここを正面にしてください。そうしたら天の川が天に昇っていくみたいに見えますから」
そう答えると、彼女は一瞬小さく息を呑んで目を伏せた。が、すぐに顔を上げ、こちらに視線を戻すと、
「分かりました」
と、しっかり頷いてくれた。
お骨を拾う場面なんてこの人にとっては日常のことなのに、何気なく口にした私の言葉に心を動かしてくれたことが尊く思えて、無性に有難かった。

お骨を受け取り、お世話になった人々にお礼を言い、そうしてまた私たちは日常に戻っていった。

この時から二カ月たって思うのは、父の死に際して出会った方たちの振る舞いの一つ一つだった。彼らの丁寧な態度がなければ、私達はきっと今も悲しみと後悔にくれていたに違いない。命のあるなしに関わらず、何一つおろそかにしない彼らの姿からは、深い敬意が伝わってきた。その敬意に、私達家族はずっと救われているのだ。

丁寧に接すれば敬う心が生まれ、敬う心からは響き合う関係が生まれるのかもしれない。
そしてその先に救いは待っているのだろう。

たとえそこに命はなくとも、尊び尊ばれて喪失を乗り越えていく。
私達に必要なのは、時間だけではないのだと思う。

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