私はまだSuicaを再発行していない

先月、Suicaをなくした

いくら入っていたかは覚えていないが、ひとまず最寄りの駅に向かい、そのSuicaの利用を停止してもらうことにした(私は他人を信じていないので)

駅員に
「もともと定期で使っていますね。最後に利用していた定期の区間をお教え頂けますか?」
と尋ねられた
本人確認のためだろう

「○○駅から△△駅です」
と高校の通学定期の区間を伝えた

駅員の顔が曇る

「□□駅ってお心当たりございませんか?」

ハッとした
それは私が浪人生の頃の予備校の最寄り駅だ

浪人時代の記憶を忌まわしきものとして忘却の彼方に追いやっていたわけでは、断じてない
本当にうっかりしていたのだ
私は浪人を悪しき過去と思っていない
本当だ

しかし、どこか後ろめたさを感じた私は
「あっ!使ってました使ってました!!浪人生の頃に!!
そんなことも忘れて何を勉強してたんですかね僕は」

などと要らぬことを駅員に必死に伝えてしまった

駅員は「あぁそうですか」と気にもとめない様子で手続きを進めてくれた

何をしているんだ私は
これじゃまるで私が浪人時代について負い目を感じているみたいじゃないか

ともかくこれでSuicaの利用を停止できた
そして、同時に再発行の手続きまでしてくれた

ありがたい話だ
多少は手数料もかかるだろうが、それでもSuicaのない生活は不便で仕方がない


翌日

授業のため大学に向かった

切符を買う時間も考慮して、余裕を持って駅に行く

べきだった
しかし私は普通にギリギリの時間で家を出てしまった

遅くなってしまったものは仕方がない
足早に駅に向かいながら、先生の言葉を思い出していた

「遅刻や欠席が4回たまれば単位はあげません」

遅刻する訳にはいかない
大丈夫だ、このペースで行けばギリギリ間に合うはずだ

汗をかきかき、何とか切符の券売機にまでたどり着いた

先客が券売機でSuicaのチャージをしていたので後ろに並ぶ

なぜチャージ専用の方でやらないのだ
切符で生きる私にその券売機を譲ってくれよ
あと、前もって言っておくけど、改札もなるべくSuicaだけの方を使っておくれ?

などと心の中で思いながらも、財布から170円を取り出す

つもりだった

足りない

160円しかない

正確には172円あったのだが、そのうちの10円は5円玉2枚だ

券売機の前では私は160円しか持たないのと同じだ
21歳でこれかい
21歳の手持ちが160円かい

先生の言葉が思い出される

「この文章はイギリス英語で書かれているから、"labor"ではなく"labour"ですね」

別にこれはあんまり関係ないか……

「遅刻4回で......」

そう、こっちこっち

私は遅刻できない
未来の私の遅刻の権利を守るために

意を決して、私は後ろのご婦人に話しかける
寸借詐欺に間違われないように、堂々と、しかし腰を低く、手のひらに2枚の五円玉を乗せて

「あの〜、もしよろしければ、これを10円玉に変えていただけませんか?切符が買えなくて......」

「この歳になって切符買うお金も持ち合わせてないなんて情けないですよね〜」
などと、またも要らぬことを口にすると、ご婦人は怪訝な顔を少し弛め、無言で10円玉に両替してくれた

感謝の言葉を伝えつつ慌てて切符を買いホームへ

かろうじて、電車には間に合ったが、自分の不甲斐なさを払拭する材料にはならない


ちなみに勘のいい方はすでに気付いているかもしれないが

行きの運賃でカツカツな私は、当然帰りの切符代も持ち合わせていない

仕方なく大学の後輩に金を借りることにした
授業終わりに金を借りに後輩の家に押しかける
あまりにも情けない姿だ


数日後

警察署から連絡があった

私のSuicaが届けられたと言うのだ

もっと人間を信じてもいいのかもしれない
胸のあたりに温かいものを感じながら私は警察署に受け取りに行った

書類に必要事項を記入した私は、Suicaを受け取り、その足で駅に向かった

記入例でその威厳を見せつける遺失物太郎

足取りが軽い
すっきりとした気分だ

「すみません、Suicaの利用停止を停止していただきたいんですけど」
などと軽いユーモアなんかも交えちゃう

なんせ今の私はこれまでの私とは違う
今の私は、四捨五入すれば「Suicaを持ちし者」なのだから

しかし駅員から返ってきた言葉は思いもよらぬものだった
「あー、一回利用を停止しちゃうと再発行してもらうしかないんですよね」

公式WEBサイトにもしっかり書いてあった


気が動転してか、虚勢を張ってか、はたまたジョークを挟まなければその残酷な事実を確認できなかったのか、次の瞬間、私はこう口走っていた

「あ、そうなんですね。じゃあこいつを蘇らせることはできないってことですかね」

駅員は楽しげにこう返答した

「ふふっそうですね。生き返らないです」

笑うな

私は「蘇る」と言ったのだ
「蘇る」「生き返る」とでは大喜利パワーが桁違いだ

「再発行には1020円かかります」
と駅員が追い討ちをかけてくる

払えるはずがない
切符一枚で十分てんやわんやなんだぞ、こっちは

「わっっっっっっかりました。出直します」
と、小さい「つ」に種々の感情を詰め込めて私はそそくさとそこを後にした


私はまだSuicaを再発行していない

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