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初めてカメラを持った頃

自分が初めてカメラのシャッターを切ったのは、1975年(昭和50年)3月2日のことでした。明確に日付を覚えていたのには訳があるのですが、それは後で記すことにして、まずは手にしたカメラからご紹介します。

初めて手にしたのは、Konica C35 flash matic。

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「ジャーニーコニカ」の愛称で親しまれたカメラの一つで、フラッシュのガイドナンバーを事前にセットすることで、フラッシュの着脱だけでフラッシュマチックが連動するものでした。

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このカメラが発売されたのは1971年8月で、当時の販売価格は 24,700円。と言ってもピンとこない人が殆どでしょうから、当時の物価をご紹介しておきます。

1975年頃の物価
大卒初任給(公務員)80.500円 高卒初任給(公務員)66.000円
牛乳:46円 かけそば:200円 ラーメン:220円 喫茶店(コーヒー):230円 銭湯:100円 週刊誌:150円 新聞購読料:1.700円 映画館:1.000円

大卒初任給の3分の1ほどの値段ですから、なかなかの高級品?ですよね。残念ながら当時のフィルムと現像料金が分からなかったので、それも計算に入れると、かなりの贅沢品だったのかもしれません。

もう少しカメラの特徴をご紹介しておきましょう。

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意外だったのは、コンパクトカメラながらも、ISO感度(当時はASA感度と呼んでいました)を変えることが出来たことです。変更方法は、レンズの周りの凸凹リングを回転させます。(写真参照)

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下は、ASA25から、上は、ASA400まで。400はモノクロフィルム対応だと分かりますが、25はコダクロームを意識してのことだったのでしょうか?使い方によっては、露出補正にも使えるので、本当に優れものです。

電池はMR44(H-C)水銀電池1個を使用するのですが、既に生産中止となっています。大きさがLR44・SR44と同じ大きさなので代用は可能ですが、電圧が違うので、露出計に狂いが生じることを覚悟しなければいけません。狂いが気になる方は、電圧変換機能アダプターを利用して、LR41の電池を使用すると良いそうです。因みに、電池蓋の裏には『1.3V』の表示がありました。

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露出計は、ファインダー内右側のシャッター速度(1/30sec~1/650sec)と、絞り値(f2.8~f14)の数値のところに指針が動く仕掛けで、この範囲を外れても、シャッターは切れます。また、バルブも可能で、三脚とレリーズ、別に露出計を準備し、ジックリと撮影すれば綺麗な夜景も撮れると思います。

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さて、このコニカC35、元々は従兄弟が使っていたのですが、父が譲り受け、それを自分が使ったというのが経緯です。後年、今は亡き父とも話していましたが、本当によく写るカメラでした。十年ほど前にリバーサルフィルムを入れて久々に撮影を楽しみましたが、出来上がりを見るのが本当に楽しみで、現像の待ち時間が非常に長く感じたのを覚えています。

ただ、初めて手にした当時は、当然ながら写真の知識は全く無く、ただシャッターを切っていただけでしたがね。

参考サイト                             コニカの歩み1970年代  フィルムカメラの電池で迷ったら読む記事   昭和の物価ー団塊世代の想い出 他


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