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hereではなくthere②

いろんな感情がぐるぐるとしてきた。
書きながらもぐるぐるしてきた。


白い甘い何か、ガヤ

ガヤ、釈迦が悟りを開いたとされる仏教の聖地ブッダガヤが南方に位置する。町の三方を岩山が囲む、のどかな町。

バラナシからガヤに向かう寝台列車。取れたチケットは2Aが3枚、SLが3枚。

1A エアコン有。2段の寝台。鍵のかかる2人か4人の個室。寝具付き。
2A エアコン有。2段の寝台。4人のスペースにカーテンの仕切り有。寝具付き。
3A エアコン有。3段の寝台。6人のスペースに仕切りなし。通路沿いの席は上下2段。寝具付き。
SL エアコン無。3段の寝台。6人スペースに仕切りなし。通路沿いの席は上下2段。扇風機。寝具なし。

インドの寝台列車のランク

好奇心と共にSLのチケットを選び、3人の友人と別れた。

乗るときから戦争。

座席番号はあるものの、SLはチケットを持たない人が多く紛れ込んでいるエリア。日本の新幹線とおんなじくらいの幅のドアが空いた瞬間に、どしゃっと人が雪崩れ込んでいく。

どうにか中に入る。自分の座席番号を探す。そこには既に家族がいた。
わたしたち2人と同じ列に座る男性が車両に乗り込んできて、厳しい顔つきをしてその家族になにかを言っている。子どもたちは遊んでいたベッドの2階から渋々降りて、両親は急いで荷物をまとめ、電車を降りていった。
おじさんに軽くお礼を言い空っぽになった席に座ったが、なんだかもやもやする。あの家族はどこからこの列車に乗って、どこまで行く予定だったのだろうか。家族総出でお金を稼ぎにでかけていて帰る途中だったのか、はたまたその逆か。旅行に来ていたのか。

もやもやを抱えたまま列車の発車を待つ。

30分たっても全然動かない。いや、なんで。列車が到着した時点で発車時刻は過ぎていたし、一体なにを待っているというの。
そんなこんなで待っている間に友人は大きな蚊に唇を刺されてたらこ唇になっていた。わたしの分まで刺されてくれたみたい。ありがとう。

ようやく発車した列車は走ったほうが早いんじゃないかと思うくらいゆったりだったけど、おしゃべりしたり、交換でうとうとしたりしている間にようやく目的地のガヤに着いた。

3Aに乗った友人らもたくさん話しかけてくる隣人に悩まされたみたいで疲れ切っていた。

恐るべし、インド寝台列車の旅。

バタバタしすぎてこれしかない

翌日。ガヤの農村部にある村の学校の見学をさせてもらう。
農村に行く前に食べたお昼の chicken curry がものすごく辛くて、胃が燃えた。お腹がゆるくなった。この旅でお腹は基本的にゆるかったんだけど。

ちょうど祝い事のホーリー祭が近づいていたため、見せていただいた学校で子どもたちと一緒にホーリーをやった。

人家に押し入ってくる悪鬼ビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされている。カラフルな粉や色水を掛け合う。それぞれの色に意味があるらしい。インド各地でものすごく盛り上がる。子供も大人もハメを外す、そんな祭り。

ホーリー祭とは

お遊び程度にハッピーホーリーとカラフルな粉をつけてもらった。緑の割合が多くて、あとあと化け物みたいになった。

学校見学の後、村にある校長先生のお宅にお邪魔した。

どうして学校経営を始めたのか、これからの子どもの未来について、いろんなお話を聞かせていただいた。
白い甘いものと共に。
白いものに粉砂糖をつけて食べるのだが、何でつくられているか見当がつかず、終始怯えながら食べていた。味は練乳みたいで、おいしいにはおいしい。

これが何か誰か教えてください

仏教のまち。ブッダガヤ。
紀元前3世紀に建てられたマハーボディー寺院。紀元前という圧倒的な時間の経過を目前にしたわたしは、なんだか訳が分からなくなった。
仏教の聖地と言われるこの場所で熱心に祈りを捧げる人々。信じるということの喜び、安堵、人々をつなぐ強い力。伝わってくる人々の想いが、私の居場所を狭くした。

釈迦が7年もの修行をしたとされている、前正覚山。

釈迦が苦行の末に悟りを得れず、よろよろになったところを助けてもらったとされているスジャータ村。

祈りに想いを巡らす場所は、人々がどうにかお金を得ようと辛抱強く闘う場所でもあった。


ここで久々に飛行機に乗って移動。ホーリー祭だったため、グランドスタッフの方が顔にペイントをしてくれた。

ミルキーでほっと一息

空港でダッシュ、デリー

インドの首都、大都市!!

さすがは首都、ニューデリー。クラクションの音は相変わらずだけれど、車が車線に沿って進んでいる。
Uberの窓から、トゥクトゥクのぽっかり(窓じゃないしなぁ)から見える建物がなんだかしっかりしている。

すれ違う人も都会に染まっている。
子どもたちもおめかしをして、まちを彩る。

友人の3人が体調不良によりダウンしたため、残った2人で市内観光。

教科書で見た、山川の世界史一問一答で何度か間違えた、あの、クトゥブミナールをこの目で見た。
世界史選択でよかった(半分以上は頭から抜けてしまったけど)。

思っていたよりピンクい

2人で呑気に観光している間、残りの仲間たちは一生懸命自分の体と戦っていた。インドに来たからには見逃せない目的地への体力を蓄えるために。

アグラ。ニューデリーから新幹線のようなもので2〜3時間ほどかかる。
もともとアグラに1泊する予定だったのだが、移動の予定日に体調が万全ではなかったため断念。2日前に往復の交通手段を確保する。これが、本当に大変!!

行きの電車はオンラインで確保できたのだが、帰りの分が取れないのだ。
2人市内観光を満喫した後に、帰りのチケットを取るために朝のうちに調べておいたチケットセンターに向かう。
どの方角に進めばいいのかわからず大きな駅をうろうろ。何度もスタート地点に戻ってはうろうろ。ようやく目的地に着いたと思ったらシャッターが降りている。

うぅんーっ!

行きたい強い気持ちと共に、もう少し駅をうろうろしていると、似たようにうろうろしている親子を発見。彼らとともに駅の職員さんに聞いた新しいチケットセンターへ向かう。これが、遠くて、そこまでの道のりでおじさんたちがたくさん話しかけてきて、怪しい。

「My friend, もしかして疑ってるのか?そんな誰でも疑ってちゃだめだよー」(いや、怪しいて)

しかも言われた道の途中で親子が左に曲がった。

えー。

結局ずっと横を歩いてたおじさんが、彼が働いていると思われる斡旋会社みたいなところに連れてきてくれた。
ぼったくられるんだろうな。きっと。
疲れも相待って死んだ目で対応していたら呆れた顔で諦められた。

結局チケットを取るのを諦めた。現地に行ったらどうにかなるだろう。

結論:どうにかなった。タージマハル圧倒的。近づけば近づくほど美しい。

どうにかなったんだけど、道中いろいろあった。

アグラ駅に着く。
たくさんのタクシー運転手さんに話しかけられる。
市内観光からデリーまで全部込みでいい感じに連れ回してくれる人と出会う。
合意。
タージマハル。
お昼にカレー。
石のお店に連れて行かれるが、チャイ飲んで退散。

「ブラザーの車が思ったより小さくてデリーまで連れて帰れない」

おっとっと?

いや、最初からわかってたんじゃないのーと思いつつ、どうしてもその日中に帰りたかったため(何てったって翌日の夜のフライトで日本に帰るんだもん)、解決方法をアリ(運転手さん)と探り始める。

「バスだね!バス!みんなでこんなに安くなるし、いいじゃんね!」

バスのチケットを取ってくれた。バス停で待つ。バスが来た。ぐっちゃぐちゃの人だかりに果敢に飛び込み、どうにかバスの中に入る。座れない。追い出される。

もう一台待ってみることになったけれど、みんなピリピリしだす。雰囲気を感じ取ったアリは、イチオシのバーに連れて行ってあげる、とのこと。渋々着いていく。
くらーい店内で、まさかのアリがハイボールを飲み出した。2杯。
運転してバス停まで連れて行ってくれた。上機嫌で。

結局バスには乗れず、アリが車をチャーターしてくれてようやくデリーに帰ることができた。

チャーターはもちろん当初より高い金額が必要になる。ただ、わたしたちが合意したのは当初の値段。ここでバトルが始まる。

足が出た分を払うことを要求するアリと、払わないことを主張するわたしたち。交渉役はそれまでもいろいろやりとりをしていたわたし(you are the boss right? You are the most intelligent hahaとか言われたけど、ぜーんぜんうれしくなかったから!それ!)。
一日中付き添ったんだからと彼は言うが、元はと言えば彼のせいでこうなったのだ。
と割り切って最後は目を合わせず、無視をした。

デリーへの帰りの車でも、日本に帰国してからも、ずっとモヤモヤしていること。ここでチップ分だと思って払わなかったのはなんでなのか。
確かに貧乏旅だったけど、そこでプラスのお金を払えないほどお金を持っていなかったわけではないし、そこで払わなかった分、お酒を飲んで、お土産を買った。日本に帰国して、週の半分くらいコーヒーを買って飲んでいる。何日か買わないだけで払える値段。別に払ってもよかったのではないか。

すれ違う人に警戒して、笑顔で話しかけてくる人を疑って。

だいぶ疲れた、涙が出てきそうになるくらい。

最終日、インド門で夕陽を見て、最後のチャイを飲んで帰る準備をした。

のんびりしすぎた。

チャイで心が落ち着きすぎた。

空港でダッシュした。窓口でグランドスタッフに遅すぎる!!って怒られた。搭乗口までほんとにダッシュして、ギリギリ乗れた。

旅の中で一番ドキドキした瞬間がこの時だった。

最後のチャイ

しばらく体から抜けないインド

帰国してからもしばらくインドにいたわたしが、毎日のわたしのなかにぽつぽつと残っていた。

インドで毎日チャイを飲むたびにInstagramのストーリーを更新していたから、バイト先では帰り際に「お疲れチャイ」と言われた。

2週間に1度ははカレーを食べている。

人を疑い疲れたし、空気が汚くて鼻水も鼻くそも黒いし、シャワーは水で、口に水を入れまいとんーっと口を結んで鼻で呼吸するのすら忘れてしまって苦しくなるし(これは自分のせい)。

でも、見た景色、出会った人、聞いた話、食べたもの、歩いてるだけで感じる人とまちのエネルギー。これがもうたまらなかった。

②はおしまい。

カレー、チャイ、インドへの旅、お誘い待ってます。

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