見出し画像

オートバイのある風景5 CBXと飛んだデイパック


CBX400Fを手に入れ、部活にも入ってまずまずの学生生活をスタートさせた僕だったが、夏休みの帰省に向けて重大な任務が控えていた。
それは地元静岡の仲間からのリクエストで、前の年から始まった「夕やけニャンニャン」のメンバー、おニャン子クラブが着ている「セーラーズ」のトレーナーを買って帰る、というものだった。

去年まで僕は新聞店に住み込み働いていて、部屋にテレビがなくラジカセでテレビの音声を受信して「夕ニャン」を音だけで聞いていた。
「新田恵利は本当に可愛いのか?国生さゆりはどんな顔をしているのだ?」
と冗談ではなく本当にそんな状態だったから、この春からテレビを見始めてすっかりおニャン子にハマっていたのは紛れもない事実だ。

夏休みを控えたある日、僕は原宿(正確には渋谷らしいが)のセーラーズに向かった。
初めて歩く公園通り。
代々木公園ではJPSタバコのキャンペーンが行われ、ロータスF-1の実車が展示してあった。誰かが
「トーキョーは毎日がお祭りだ」
と言っていたが、本当にそうだと思った。
さて、メインイベントのセーラーズでは入場制限などもあったと思うが、首尾よくリクエスト通りの買い物をする事ができた。
確か白地にセーラーズのロゴとキャラクターがプリントされたトレーナーを色違いで3〜4着は買い求めたはずだ。

数日後、前期の授業が全て終わり、いよいよCBXで初めての帰省ツーリング出発日となった。
昼間は暑いので夜走る事にして、夜間走行に備え夕方から少し仮眠をとった。
夜、何時くらいだっただろうか、しんと寝静まった商店街にある下宿の玄関先で、僕は荷支度を始めた。友人たちに頼まれたセーラーズのトレーナーは赤いデイパックに入れ、CBXのリヤシートにゴムロープでくくり付けた。
そして、はやる気持ちを抑えるように僕とCBXは静かに(と言ってもRPM管だが)走り出した。
白いラパイドVを被り、スリムジーンズにコンバースのハイカット、上着はもちろん、原宿で買ったセーラーズのトレーナーだ。ざっくりとしたトレーナーをすり抜ける夜風が気持ちいい。

ルートは下宿していた三鷹市深大寺から甲州街道に出て大月、河口湖、朝霧高原経由で静岡まで。オール下道で行こうかとも思ったが、夜の大垂水を避けて中央高速に乗る事にした。
初めての帰省、夏の夜、高速とバイク男子のテンションが上がる要素がいくつも重なっていたためだろうが、僕は大いに高揚していた。まぁつまり、かなり飛ばして走ったのだと思う。
談合坂で休憩して、大月から河口湖線へと進路を取り河口湖インターを降りた頃には東の空が薄っすらと明るくなり始めていた。
料金所手前にバイクを停め、デイパックから通行券とお金を取り出そうとリヤシートを見て僕は声を無くした。
なんと荷物が無いではないか。そこにあるはずの赤いデイパックが無いのである。

やっちまった…。
談合坂から河口湖の間のどこかで荷物がゴムをすり抜けて飛んでしまったらしい。上野原辺りのトンネルが続く所では、はしゃいでかなりスピードを出したからなぁ。
料金所のおじさんに事情を話すと、落とし物の受付と料金の後払いの手続きをするよう説明してくれた。

デイパックには財布やキャッシュカードなども入っていたし、当然携帯電話などない頃だったから、色々と大変だったとは思うのだが、その後どんな気持ちでバイクを走らせたか、よく覚えていない。
それでもその夜、僕は傷心のまま仲間の溜まり場に行き、事情を説明した。
渡した金を返せとは誰も言わなかった。
ただひとつ、着ていたために難を逃れた自分のセーラーズのトレーナーをそのまま着ていった事については、それは盛大にひんしゅくを買ってしまったのだけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?