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親元を離れてごめんと何度も泣いた高速バス


私は大学で、親元を離れ関西で一人暮らしを経験した。
ほんと言うと、実はずーっと実家にいたかった。
一人暮らしなんて、大阪なんて、1ミリも興味がなかったのだ。

指定校推薦という、非常に便利なシステムで、大学に行くことが出来たので、文句は言えない。
受験勉強なんて、死ぬほど嫌だったし、受かるならどこだっていいと思っていた。

あんなに嫌だった一人暮しも1年も経つ頃にはほんと、サイコーの居場所になる。
友達と遊んでばっかのたまり場にもなっていた。

私という人間は、オギャーと産まれたその時から、お笑い魂を持っていたのかもしれない。
しかしながら、私の両親は、本当に至って普通の人達。

特におもしろくもなんともない。
むしろ、おもんない方かもしれない。
普通に真面目に育てられてきた。

なんで、こんなに笑いに貪欲な娘が産まれたのか?不思議でしかない。

ボケツッコミが根づいてるような場所でもないのに、どこで覚えたのか?いつの間にか勝手に習得していたようだ。

大学が終わったら実家に帰ってあげようとは思っていた。

ただ、思いの外、大阪が住みやすくて仕方がなかった。
あわよくば、関西の人と結婚して、ずーっと関西に住みたい!という夢さえできてしまった。

結局、大学卒業後は大阪で就職することを選んだ。

お母さん、お父さんごめんと、近くに住んであげられなくてごめんねと、何度も泣いてきたのが帰りの高速バスだった。

私は関西が好きだった。
どんなツッコミでも周りは気持ちええくらい笑ってくれたし、相手からのどんなボケでも、どこから来たとしても拾えることが快感だった。
おもしろいことが好きでしかたなかったのだ。

それでも、一度は親元に帰った。
近くで結婚しようと心に決めていたのに…。

地元で縁あって出会ってしまった人が、何故かまた関西人だったんだから、仕方ない。

どう頑張っても、私は関西から離れられないようだ。

結局、私はなんだかんだで、大学の時の夢を叶えてしまっている。

関西の人と結婚したい。
産まれる子供は、関西弁がいい!

なんとなくこの夢を、私は大学の頃によく乗っていた阪急電車でずーっと思い描いていた。
なんか知らんけど、阪急電車が好きで、そこに乗ってた関西弁でベラベラ喋っている小学生を見て、心に決めていた。

何を書きたかったのか?本当に訳わからん文章ではある。

とりあえず、私はあの時の夢を叶えている。

それと、大阪へ帰る高速バスの中でよく泣いていた…そんな話だ。


昨日、実家に帰る高速バスの中で突然書いたものだ。
あまりにも、暇すぎただけの話である…。

暖房がききすぎて肌は乾燥し、頭の中が、ふわ〜んとなってきて、寝ない為に書いていただけ。

たまに、こういう話を突然書いてしまう時がある。


自分でも、よくわからない…。


ちなみに言うと、大学は経営学部だったくせに、一度保育士を目指していた。そういやボランティアまでしていた。
2日で向いてないと辞めてはいたが…

そんな夢?もアラフォーになって叶えていた。



きっと息子も大丈夫だ。
なんだか、そう思えてきた。


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