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ターン イット オン/ソニー スティット


ターン オン イット オン/ソニー スティット
プレスティッジ10012
1971/1/4

電気サックスについて書いてみようと思う。

電気サックスといえば偉大なるエディハリスが有名である。でも僕は彼のあまりにも素晴らしすぎる才能を聴けるレコードをたくさん持っているものの、肝心の電気サックスを吹いて話題になったレコードをまだ聴いていないので話にはならないかも知れない。しかし、あまりにもエディだけで語られていないか?という僕の悪い批判精神が露呈する文になるであろうことを最初から謝っておきます。

今回電気サックスというテーマで紹介したいのは2枚。どちらも本紙ではお馴染みの60年代末から70年代にかけてプレスティッジで量産されたボブ ポーターがプロデュースしたジャズファンク路線のもので、録音は共にルディ ヴァン ゲルダーだ。

Doodling’所有の電気サックスで聴けるレコードの1枚目はプレスティッジのスターサックス奏者であるラスティー ブライアントの「Night Train Now(prestige 7735)」タイトル通りジミー フォレストのNight trainを1969年の時点での最先端ソウルジャズミュージシャンを総動員して再演されたものを含む。他にルー ドナルドソンのFunky Mamaをブリブリのテナーで吹いているが、ここで聴ける物凄いファンキーギターが我らが大スター、ブーガルー ジョー ジョーンズだったりドラムが世界一のジャズドラマー、バーナード パーディーだったりの上、彼ら全員が期待通りの熱演を聴かせてくれるという、かなりノリの良いお得感満載の傑作である。
ラスティーはここで半数に近いナンバーをVaritoneという機材をサックスに取り付けて電気的増音を施したものを聴かせてくれる。ただしタイトル曲とFunky~は生音で演奏されていて、盤自体は特別に電気サックスを売りにしたものでは無さそうだ。最近こんなもん買いましてん、といったノリで使用したのだろうか?
ではVaritoneとはどんな楽器なのだろうか?僕はあまり楽器や機材の知識は持っていないので、この記事を書くにあたりスマホで写真検索をして見た。それによると、Varitoneとはやはり楽器ではなく楽器につけるタバコの箱より一回りくらい大きな機材で、これが自前のサックスに伝わるあらゆる音を拾いシールドを通してアンプで出すものだ。
これによりラスティーのただでも強力な音圧に不思議な響きをもたらせて、なかなか面白い音のものに仕上がった。
以前にも記したが、コテコテでソウル、ブルース色の濃いホンカー的な奏者として括られている感のあるラスティーだが、その本質は当時のソウルジャズのサックス奏者の中でも圧倒的に洗練されたオシャレ感覚を持ったプレイヤーである。そしてこの作品では当時まだ珍しかった電気サックスを使い、その研ぎ澄まされた感性を遺憾無く発揮している。何故アフロアメリカンのジャズプレイヤーはここまで新しいものを自分達のものにしてしまうのが上手いのか?は後述させてもらうことにする。

そして、今回のメインとなるのはソニー スティットの「ターン イット オン」だ。ここでのスティットは裏面でのメンバー表示においてtennor sax(with Gibson Maestro Attachment)とある。なのでカバー写真ではアルトを持っているが、実際はプレステッジでのファンク路線がほぼそうであった様にテナーでの吹き込みである。ここでもあまり無責任なことを書くのは如何なものか、ということで、そのギブソンのナントカナントカというものも写真検索はしてみた。
その結果は、思っていた通りギブソン社製のギターがおいくら万円という記事の写真ばかりで、このスティットの使用したモノ自体の正体は解らなかったが、多分Varitoneのギブソン社製品みたいなものだろう。
この作品では全5曲のほとんどがこの機材を使って吹き込まれており、当時もう既にレジェンドだったスティットの新しいモノへの取り組みに対する前向きな意欲が感じられる。

実際、サックスの電子化というのは、アメリカ本国でも往年のジャズを信奉する大多数のジャズリスナーには当時から良い歓迎はされていなかったと思う。特にその傾向が強い日本のジャズ喫茶でジャズの正義を覚えた人達からは邪道も邪道扱いされているのは知っている。しかし、チャーリーパーカーより4つ歳下でボストンに産まれたスティットは、自分のスタイルがパーカーの影響を受けていると周りが勝手に決め込んでいるのに反発して一時はアルトを封印したという反逆精神の塊の様な人だったという(ボストン生まれが田舎のカンサスシティーに負けるのが悔しかったのか)。ここでも(恐らく)その邪道なモノを演奏してそういう保守的なリスナーの鼻を明かしてやろうという意気込みが痛いほど伝わってくる。多分自分の演ることに素人が色々と勝手に言って来るのが嫌いだったのだろうな。だから僕はスティットがバップ精神を継承したとかしていないではなく本物のジャズミュージシャンならではの反骨精神を持ったプレイヤーだと実感してるからこそ尊敬している。
そんな反骨精神がまざまざと聴いて取れるのが、あのブルーバラードの名曲「クライ ミー ア リヴァー」だ。一度自分を捨てておいて復縁を迫る相手に河の様に泣き続ければいい、と突き放す泣きの演歌みたいなもので、Doodlin’にはダイナ ワシントンの名唱があるが、近年はJポップのJUJUもレコーディングしているらしい。
スティットはこの恨み節を邪道な電気サックスで朗々と切実に、また感傷的に吹ききる。その様は電子音でエコーが効いている分、より黒くて異様でドップリなコテコテワールドに我々を引き込んでくれる。どう聴いてもアルトではないかというツッコミも入れたくはなるが、まあそこはプレスティッジ側の意識の問題だとして、今の感覚ならレオン スペンサーのオルガンやメルヴィン スパークスのギターなどエレクトリックを多用したアルバムで唯一の古き良きスタンダードナンバーなら、ここはひとつ生音でという発想になるところを、それも電気処理の音で聴かせる。しかも当時でも生きたバップレジェンドがである。僕はスティットによるこのナンバーがこの音で聴けるだけでもこのレコードと電気サックスを支持する。

こうしたサックスに電気を使ってアンプから鳴らすという方法は、あのジミー スミスがB3オルガンによる革命をもたらせて以降、保守的なジャズファンを置き去りにし、ベトナム戦争の影響を受けファンクやサイケなどと過激化していき、絵に描いた様な情緒やら繊細やらオシャレやらを笑止するかの如くエレクトリック化されてビートが強力になっていった時代に対応する意味で必要なことだったのだと思う。特にオルガンと出会うまでは日本のジャズ評論ではやたら正しいという類のジャズを演らされていたスティットにとっては正に水を得た魚だったのだろう。よほど保守的なファンを忌み嫌っていたのだろうな。
しかし、アコースティックな管楽器というものは、サックスならジャズ原理主義者にはレスターヤング、スタン ゲッツ、ズート シムズといった繊細な表現が巧みなプレイヤーが重宝されるとあって、この音を拾いすぎるは音色までも変えてしまうはの電気装置は残念ながら、いつの間にか表舞台からは聞くことはなくなった。80年代になれば、人気サックス奏者マイケル ブレッカーがマイク的な役割ではない本体自体が電気製品であるEWIというのを演奏したが、これも最近では使用している人がいるのかいないのかも知らない。まあ今はコードレスのピンマイクをくっ付けるだけで事が済むのだろう。1840年頃にベルギー人のアドルフ サックスがクラリネットを改良しながら発明したサキソフォンという楽器は生まれた時点で超万能で合理的な楽器だったゆえ、大変に繊細な表現が可能であり、それがジャズという音楽には必要不可欠なものになったのだから、それは仕方の無いことだ。尊敬するスティットが鼻息荒く挑んだものの、ここは電気サックスの負けは認めるとしよう。

ではここで僕が何にも噛みつかないで負けを認めてこの章を終わらせるのか?答えはNOである。むしろ噛みつくのはこれからなのでジャズ原理主義者は覚悟しておいてほしい。

それは、そもそも僕が好きで尊敬する黒人ジャズミュージシャンがどんな思いを持って電気楽器を使用してきたか、を考えてみることから始まる。アフロアメリカンのジャズミュージシャンは電気楽器を使うのが上手く、また器用であるというのは今さら述べるまでも無い。例えばいわゆる鉄琴に電気式モーターを取りつけて鳴らすヴィブラフォン、大掛かりで運搬も出来ないパイプオルガンに替わる電子オルガン、エレキベース、エレキギター、ローズピアノ、ウーリッツァ、その他ありとあらゆる新しいモノ、すなわちジャズ喫茶では邪道とされたほとんどのものは歴史上から見ても黒人ジャズミュージシャンが世界に紹介し、自分らの世界の音に取り込んでいる。ローズピアノやウーリッツァなんて1音ポンと弾いた音を聴いただけでソウルフルな響きに感じてしまうほどだ。どれもこれも発明者が黒人音楽のために開発したのでは無いのにもかかわらず。一体新しいモノを自分だけではなく自分らの人種のものにしてしまうこの適応力と早さは何なのか。

僕が考える原因はジャズとは本来そういうもの、そしてそうでなければ黒人ジャズミュージシャンとして生きていけなかったからだと思う。つまり運命なのだと。
ジャズは今から110年近く前に南部のニューオリンズで生まれた。なぜ生まれたかは諸説あるところだが、ヨーロッパとの貿易が盛んな港湾都市であり黒人奴隷の荷揚げ場所だったという理由で、様々な西洋音楽とアフリカ的な要素が混じって生まれたというのは確実なようだ。何にせよ融合に融合を重ねて今の我々がジャズだと感じる音楽が育まれた。
しかし悲しいかな、この音楽を面白いと研究し出したのも、事もあろうに商売にしたのも支配層である白人であった。
ジャズはその後70年に渡りアメリカのあらゆる要素を吸収して、白人主導のもとアメリカ音楽という一大商業文化の象徴となっていく。
変わり出したのは1960年代。その数年前のブラウン対教育委員会判決を機に爆発した黒人人権運動の嵐とベトナム反戦運動、そしてビートの過激化とエレクトリック化というのが同時に起こったのだ。これによりもはや黒人は白人の支配下には無い、我々はアンクルトムでは無い、というメッセージが世界に広がる。そしてエレクトリックとビートの強力化に乗って偉大なるジェームズブラウンや偉大なるサムクックらが黒人の象徴となりヒーローとなる。彼らは音楽にエレクトリックをどんどん取り入れたからこそ大衆の支持を得た。ジャズはアコースティックで4ビートでシリアスでないと認めないという白人的な考えは国際的に笑い者になったのだ。

それは言い換えるとこういうことになるのではないか。
黒人ジャズミュージシャンは常に新しいものに挑戦していかなければ白人の考えるものにジャズを戻してしまう。差別されるのが当たり前だった時代にである。それだから、カンカン帽にストライプの上着を着た白人ミュージシャンに引導を渡し、あのルイ アームストロングのエンターテイメント性にすら白人好みの道化だと批判した。エレクトリックに果敢に挑戦したのもそんな心情があったからではないか。これを使ってビバップですら白人からつき離そうと考えたのかも知れない。そうこうしているうちに新しいモノへの好奇心こそがジャズを産んだ黒人の本質ということになったのでは無いだろうか。

11年続いた元町Doodlin’にはたくさんのジャズ喫茶でジャズを覚えたジャズ原理主義者に来ていただいた。感謝はしている。しかしこのBLACK LIVES MATTERの時代にほぼ全員がマイルス デイヴィス以外のジャズミュージシャンがエレクトリックに走るのは残念なことという考えに洗脳されておられた。このマイルスだけは別というのは自分の考えは無く周りの評価にいとも簡単に巻かれる日本人特有のもので、ジャニー北川氏の性加害を無いこととしたジャニーズ事務所とマスコミの関係に似ているので、いつかは書いてみたいと思っている。そして今考えればこれが潰れた要因だったのだろうが、僕は一切エレクトリックは残念という論調に首を縦に降らなかった。そもそも走るって何やねん?むしろあの人達は常にアコースティックでシリアスを守ったミュージシャンを神とお崇めになっているけど、あの時代に生きたジャズプレイヤーがそんな褒められ方をされて喜んでいたかな?ミュージシャンにこの金づるが、と思われていたり、実は意に反して懐メロを「演らされていた」とすると、あの人達はなんて可哀想な人達なのだろうと思う。コルトレーンは一切エレクトリックには走らなかったぞと彼らは言う。しかしジャズの歴史で一番残念なことは、プレスティッジやアトランティックは時代的にジャック マクダフとコルトレーンの共演レコードを作る機会があったのに作らなかったこと(トレーン逝去後にいよいよファンクの時代が来る)、そしてチャーリー パーカーがもし生きていればファンクを創造したのはパーカーだったに違いない。そして邪道な電気サックスを吹いていたに違いないと反論した。ただそれだとスティットはパーカーに反発してずーっとジャズ原理主義者の正義レコードを作り続けていたかもしれないと思うと複雑なのだが。

小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1986年甲南堂印刷株式会社入社。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて2011年退社。2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズに特化した Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍に負けて閉店。関西で最もDeepで厳しいと言われた波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り主催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活動。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ(万象堂)」は各電子書籍サイトから購入可能880円。
現在はアルバイト生活をしながらDoodlin’再建をもくろむ日々。


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