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ザ グレイト レイ チャールズ

ザ グレート レイ チャールズ
Atlantic 1259
1957

我々ブラックミュージックファンのいけないところはアフロアメリカンの、特にアメリカ南部を題材にした映画にせよ書物に、すべてブラックミュージックを絡めて考えてしまうところだ。まあ魅力的な文化だし、特に音楽とアフロアメリカンの生活がリンクしている地域なので仕方がないのだが、若いファンになると音楽にばかり気を取られすぎて中身について考えていない傾向や、逆に音楽が良ければ勝手に中身も評価してしまう傾向もあるので、それはちょっと違うのではないかと思う。僕はそんな風に自分で悦に入る若い音楽ファンを何人も見て来ている。

一冊の本がある。アン ムーディー著「貧困と怒りのアメリカ南部 公民権運動への25年」(樋口映美訳 彩流社)という。著者のアン ムーディーは極貧のミシシッピー州に生まれた黒人女性で、差別に合いながら苦労して働き、大学に進学。そこで公民権運動に深く関わっていき、白人専用の食堂に座り込んで白人にケチャップとかを頭からかけられるなどは序の口の暴力を伴う嫌がらせに耐えたシットイン運動を最初に行った活動家のメンバーだが、これはそんな彼女の自伝につき、その騒動の時にまだあどけない少女でありながら体験したことの描写は身の毛もよだつほど恐ろしいし、忌々しい。
これなどもし映像化でもされれば、1940年代から60年代にかけての記録なので必ずブルースやゴスペルといった音楽が多用されてミニシアター系大好きな自称わかってるもん君が喜ぶことであろう。

にもかかわらず、このアン(読んでいるうちに彼女の芯の強さや実直さに親しみがわき恋してしまったのでアンと呼ばせてもらう)の自伝には驚くほど音楽というものが出てこない。出てくるのは弟達はそのときラジオから流れてくるロックンロールで踊っていたという箇所と、運動の集会で私達は運動歌を歌ったという記述が少しあるかないかだ。その運動歌にせよ定番の「We shall overcome」だったのかどうかも記述がない。ブルースがまだ生きていた頃の音楽溢れるアメリカ南部を舞台に生きた少女の記録にしては、この少なさは意外だ。まあ音楽にうつつを抜かしてるほど呑気な内容ではないのでこれでいいし、こうじゃないといけないと思うが。

しかしそんな本編でも、たった一人だけ実名で登場するミュージシャンがいる。しかもジャズミュージシャンで、エリントン、バドパウエルと同列の最重要3大ジャズピアニストの一人と僕が独自にあげた偉大な人物だ(ジャズライターしらきたかねによるSNSでのアンケートで)。
その名はレイ チャールズ!
アンが反差別運動中に恐ろしい目にあい、疲れきって事務所に戻り丘に登ってレイの曲を聴き、泣きながら再び魂がふるいたったという様な記述だった。

言っておくが、若くして悩みながらもここまで命を賭けて同胞のために勇気ある行動を起こした少女の自伝に唯一登場したミュージシャンがジャズミュージシャンで、しかもエリントンでもカウントベイシーでもチャーリーパーカーでもマイルスでもコルトレーンでもグラスパーでもなくレイ チャールズだった!
これはアフロアメリカン史とジャズとの関係を知る上でとても重要なことではないかと僕は思うのだが、ジャズ喫茶の教えが蔓延する日本のジャズファンには理解しがたい事柄なのではないか。
でも国際的な見方ならレイ チャールズこそここに登場するミュージシャンとして相応しかったのではないかと思う。

Ray Charles Robinsonは1930年ジョージア州オールバニで生まれた。同じ年に生まれたプレイヤーとしてはソニーロリンズ、トミー フラナガン、オーネットコールマン、ハービー マンがいる。母一人、弟一人の3人家族だったが、幼少期に気丈だが体は弱い母の事情によりフロリダ州グリーンビルに移住。3歳の時に近所でカフェ兼雑貨店を営む黒人のワイリー ピットマンという人にブギウギピアノを習うと同時に生活面でも世話になる。大のレイ チャールズ信奉者の僕にとってアメリカの音楽文化に多大な貢献をした一人として、このピットマン氏をあげたい。
しかし6歳で弟の事故死と失明(緑内障と言われている)に合い、全寮制の黒人専用の盲学校に預けられる。一体どのくらい辛かったか、そしてその後1952年にアーメット アーディガンに見出されアトランティックレコードからレコードを出すまでの経緯は名作映画「レイ」に詳しく描かれているので絶対に観て欲しい。
その頃のフェイバリットプレイヤーはナットキングコールとルイ ジョーダンとチャールズ ブラウンで、初期はキング コールの模写だったが、次第に才能を開花し出し大ヒットしたMess Around以降はゴスペルやR&Bやカントリー&ウェスタンをジャズと融合させ20世紀最大の音楽家としてヒット曲を連発、人気を不動のものとし、常に一般アフロアメリカンの心の支えとなり続けた。

レイがいかに優れたジャズピアニストであったか、それはレイが参加した演奏をレコードでもYoutubeでもスーパーの店頭で売られているバッタ物のCDでもカモメの噂話でも聞けば常識あるジャズファンなら一聴同然なのだけど、ジャズのアルバムとしてあげるならこれ。
アトランティックから1957年に発売された、そのタイトルも「ザ グレイト レイ チャールズ」だ。とりあえず見よ!この男前ぶり!といったジャケットである。
このアルバムはヒットを連発していた最盛期であるのにレイの歌は収録されていない100%インストのジャズアルバムである。歌を収録すれば大金が転がりこんで来るのに、これを出したのはアトランティックがいかにレイの才能を知っていたか、またそれに自信があったかの現れだろう。それを証明するかの様にここでのレイは、ホレス シルバーのDoodlin’を当時の現代風に演奏して見せれば、盟友クインシー ジョーンズが書いたザ レイではモダンジャズ、マイ メランコリックベイビー、エイント ミスビヘブン、アイ サレンダーディアでは伝統的なジャズ、それにチャーリー シェイバースの名曲アンデサイデッドではビッグバンドと、ありとあらゆるスタイルのジャズピアノを物凄い感情を込めた劇演で聴かせてくれる。またこれらが全て一般にレイだからと想像されるブルージーでソウルフルなものかといえば決してそうではなく、ゼアイズ ノーユーは限りなく美しくデリケートな旋律を聞かせてくれるし、反対にスイート シクスティーン バースはレイのイメージ通りブルージーだが、それがそんじょそこらのブルージーでない極みにまで達している。一体このジャズピアニストとしての振り幅の広さをどう説明すればいいのか。ここまでのジャズピアニストが当時他にいたら教えて欲しい。そんな内容なのだ。レイと一緒にジャズプレイヤーとして極みまで達したファッドヘッド ニューマンらのサイドメンもチープな言い方しかできなくて申し訳ないがホンモノだ!

アン ムーディーが唯一心を動かされた音楽家がレイだった。それは経歴を読むか、映画「レイ」を観るかでも納得が出来るが、ここまでアフロアメリカンの心情に耳を傾け全世界で愛されたミュージシャンが元々ジャズミュージシャンだったことは世界のリベラルなジャズファンの誇りであるのは当然だ。

しかし、自分らでは先進国だと思っている国で唯一ジャズファンがレイ チャールズの存在をジャズとして理解出来ない、そしてジャズではないしヒット曲を出したミュージシャンは全て安易なコマーシャルに走ったというのが常識として定着しているのがこの日本だ。
これは例の昔のジャズ喫茶では正義となった、「ヒット曲や8ビート、16ビートを演奏するのはジャズミュージシャンが金を儲けるために演らされている」という誰が言い出したのかわからない阿呆な論調をジャズファンが新興宗教に多大な献金をくれてやるがごとき頑なに信じてしまったからだろう。現に元町Doodlin’で喜びを持ってモトコーで400円で買った日本盤レイのゴールデンベストをかけた時に同い年のジャズ喫茶信奉者に「こんなもん」と怪訝な顔をして言われたことがある(その後僕がノイローゼになり店をやめた)。しかもロス暴動から30年以上経ってBLACK LIVES MATTERが叫ばれている現代でもまだ「こんなもん」がベテランリスナー面してジャズスポットに現れてそんな昔のジャズ喫茶の常識を押し付けては、それに合わせた店主がナウなヤングにダサいとされ、誰も来なくなり閉店を余儀なくされているのが2023年にもなって続いているのが現状だ。元町Doodlin’も例外ではない。

先進国といえば先ごろウクライナのゼレンスキー氏がいきなり現れて世間を騒がせたG7だ。なんでも先進国首脳会議とかいうらしくその加盟国はアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本である。ジャズに詳しい方ならすぐ理解出来ると思うけれど、どの国も良いジャズ文化や良いレコードを発信している国ばかりだ。以前に僕が述べた国の文化的民度のバロメーターはジャズファンであるというのはそういうことだ。先進国であるためにはジャズへの理解度が最優先なのだろう、だからロシアと中国は入ってないのかも知れない(もちろんロシアにも素晴らしいジャズ文化はあるのは知っているけど)そしてその理解度というのは、そのまま黒人文化への理解度ということになるのではないか。その割りには差別をしてこの音楽が広まったアメリカ合衆国が偉そうにしてるのが???だが。
そして多分だが、ひとつひとつの国の例をあげているスペースは無いけれども、当然アフロアメリカンの象徴であるレイ チャールズへの評価も果てしなく高いと思う。極端な話で申し訳ないが、レイ チャールズを敬うのは核爆弾を落としてはいけない、細菌兵器を使用してはならないくらいの国際的な常識なのではないだろうか。

そんな中、これまでの日本のジャズ喫茶でジャズを覚えたジャズファンについては先ほどからネチネチと述べている通りだ。本当にこの「ヒット曲や8ビート、16ビートを演奏するのはジャズミュージシャンが金を儲けるために演らされている」という論調を考え改めないと、この先ジャズに憧れて世界へ羽ばたく才能ある日本の若者が行く国々でどれだけ孤立するか、これだけジャズに金をつぎ込んだジャズ喫茶でジャズを覚えた人がジャズに関してこれだけの世界的遺産を残してあげずに、これから世界に旅発つ若者の芽を摘んでいいのか?
正直この論調さえ間違いであると全日本のジャズファンが共有すれば、ジャズ喫茶でかかるジャズ以外は鼻で笑う、若い者はわかっていない、ミュージシャンが批判されたくないから同年代の大衆にウケる音楽をやめ老人が喜ぶ懐メロを演奏し才能に見合った評価と対価をみすみすもらい損ねる、といった傾向もなくなり、ジャズだけは敷居の高い音楽で嫌いだというジャズ以外のミュージシャンがいなくなり、これまで残されてきた素晴らしい記録が誰が聴いても先入観なしに楽しめる国になるはずだ。そうなれば今よりもっともっともっともっともっともっと日本のジャズが世界へ羽ばたくに違いない。元々素晴らしい素質を持ったミュージシャンばかりなのだから。

レイ チャールズに話を絞れば以前紹介した素晴らしい「DUKE ELLINGTON MEETS COLEMAN HAWKINS」にはエリントンがこのために作曲したのであろう「Ray Charles’ place」が収録されている。シャッフルリズムで軽快に演奏されるブルースで、エリントニアン達の素晴らしいソロが堪能できるのだが、1コーラスだけあのエリントンがレイに似たソロをとる。これをエリントンとホークが記録に残したというだけでレイがどこまでアメリカ黒人のヒーローであったのかが伺い知れるが、他にジャンル問わずレイに捧げられた曲が後どのくらいあるのか?、、、それはもう数え切れないのは間違いないだろう。
なのにそんな人達に自称ジャズには理解があると思い込んでいる自称先進国日本のジャズファンの間で「ヒット曲を出したからコマーシャルに流れた」「ジャズではない」というのがジャズ喫茶では正義であり常識であると、まるで口裏を合わせる様に語られていて今も変わっていないと知られたらどうなるか。きっと人格を疑われてレイ本人より悔し涙を流すだろう。大事なのはこの当時の黒人の状況を直視し、ともに闘ったからこそレコードが売れ、アンが涙したのだ。そう考えると日本のジャズファンはジャズを育んだ大衆を馬鹿にしてきたとしか言い様がない。だとしたらいずれしっぺ返しがくるぞ、と警告したい。というわけでとにかくこの論調だけはタチが悪いとはっきり明言する。昔のジャズ喫茶の論調にはまだまだ噛みつきたいことがたくさんあるが、本書は「ヒット曲や8ビート、16ビートを演奏するのはジャズミュージシャンが金を儲けるために演らされている」論調が世界的にどれだけ恥ずかしいことかを優先して訴えて行こうと考えている。
これさえなくなれば日本は素晴らしいジャズ先進国になる。そのためにはジャズファンは評論家やジャズ喫茶の親父が何を言おうとレイ チャールズを真っ当に聴くべきだ。そしてジャズ喫茶ではなく世界を見るべし。その世界はジャズミュージシャン、レイ チャールズが切り開いてくれているのだから。耳があるなら聴けるだろう。

小倉慎吾(chachai)
1966年神戸市生まれ。1993年から1998年にかけて関西限定のジャズフリーペーパー「月刊Preacher」編集長をへて,2012年神戸元町でハードバップとソウルジャズ Bar Doodlin'を開業。2022年コロナ禍を乗り越えることが出来ず閉店。関西で最もDeepで厳しい波止場ジャズフェスティバルを10年間に渡り開催。他にジャズミュージシャンのライブフライヤー専門のデザイナーとしても活躍。著作の電子書籍「炎のファンキージャズ」は各電子書籍サイトから購入可能。

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