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雪原の桜(6)

宋建民 1

『本日、新宿歌舞伎町の雑居ビルで殺人事件が起きた模様です。今日午後七時ごろ、会員制クラブ『ブルーバタフライ』の店内で、指定暴力団工藤組の幹部金山龍一、四十七歳が突然店内に入ってきた何者かに銃撃されました。その後、病院へと搬送されましたが、間もなく死亡が確認。発砲した男はサンタクロースの格好をしており、そのまま逃走。周辺を巡回していた警察官が追いましたが、逃げられたということです。警察は暴力団同士の抗争だとして、男の行方を追うとともに、さらに調べをすすめる方針です』

 四谷三丁目駅近辺の外苑西通り、ビルの谷間のコインパーキングに停めておいたハイエースの荷台。宋建民はサンタクロースの衣裳を脱いで、グレーのスーツへと着替えながら夜のニュースを聴いていた。髪の毛を七三に撫で付け、ウエリントンの黒縁眼鏡をかけてから車外へ出る。この辺りまで離れると、歩いている人種も落ち着いたビジネスマンやOLがメインになって、繫華街の喧騒はほとんどなくなってしまう。隣にあるガラス張りのビルに自分の全身を映して確認する。うん、そこらを歩いているサラリーマンと大差ない。まさか三十分前に歌舞伎町でヤクザを撃ち殺して逃走している人間には見えないだろう。

 自分で考えたことながら妙案だったとほくそ笑む。一年のうちで今日という日に限っては、サンタクロースの格好をすることに違和感はない。誰だか分からないほどにデフォルメされた変装を堂々と出来たのだ。警察も工藤組も俺に辿り着くことは難しいだろう。
 金山が常に持ち歩いている伊勢丹の紙袋、その中敷きの裏側に一枚のメモリーカードが貼付けられてるという情報が、中国人マフィアの間で流れ始めたのは一週間ほど前のことだった。そのカードの中には、日本人の「使える」戸籍リストが入っているという。闇金に手を出したため自分で戸籍を売ってしまった者、ヤクザに拉致され海外へ売り飛ばされた者、臓器だけを取り出され、コンクリート詰めにして海に沈められた者――死亡届が出されておらず、身内とも疎遠で誰も探していない日本人たちの個人情報だ。
 まっとうに生きる日本人からしたら何てことない情報だろうが、建民のように不法滞在している中国人や朝鮮人にとっては宝の山である。日本人として新しい人生を手に入れ、大手を振って堂々と日本を歩ける。もちろん、運転免許証やパスポートなどは偽造することになるが、それでも見つかるリスクは限りなくゼロに近い。このような情報を得るためなら金に糸目をつけない外国人は意外に多い。
 これで……俺も底辺から這い上がることができる。中国人の黒社会は実力主義だ。手柄を立てた人間はそれなりに優遇されるシステムになっている。
 とにかく、まずは伊勢丹の袋を回収しないといけない。運転席に乗り込んだ建民は自分のスマートフォンを操作して、GPSの発信情報を調べた。銃弾と同じようにチョコレートの箱の中に発信機も入れておいたが、捨てられたりしていないだろうか。マップ上に示されたのは初台にあるマンションだった。大丈夫だ、そこにある。
 
 甲州街道へ向けてクルマを発進させる。袋を預けた男にはそれなりの現金を渡してあげよう。なんせ危険なものを運んでもらったのだ、それに見合った対価は必要経費だ。もし、それで納得しないようなら実力行使しかないのだが……。建民は胸の内ポケットに入れた拳銃をジャケットの上から左手で確かめる。
 新宿駅近くで渋滞につかまっていると、空から雪が降り始めた。周りを見渡しても警察が捜査網を敷いている気配は特にない。こんな渋滞の中、一台一台に職務質問をかけるのは難しいのだろう。抜け出すまでにかなり時間がかかったが、西新宿を過ぎて甲州街道へ入るとクルマはスムーズに流れるようになった。
 少し急ごう。そう思ってスピードを上げ、追越し車線に入ったときだった。フロントガラスに何かがバチンと当たるように覆いかぶさってきて、突然視界が奪われた。なんだ!? 慌てて急ブレーキを踏んだのがよくなかった、積もり始めた雪のせいで車がスピンしてしまったのだ。スピードを出していた後続のクルマも止まれずにハイエースの横っ腹に追突してくる。首ががくんと後ろに反れ、身体が前へと押し出される。胸をハンドルに強くたたきつけられた拍子に内ポケットの拳銃が暴発し焼けるような激痛が脳天から突き抜けた。くそっ! こんなところで終わるわけにはいかないんだよ!
 次に思い切って踏み込んだペダルはブレーキではなくアクセルだった。ドライバーを失ったハイエースは加速を続けながら首都高を支える橋桁に正面から激突した。
 薄れ行く意識の中で、宋建民が最後に見たものは間抜けなカラスの顔だった。フロントガラスに貼り付いたのは翼を広げたカラスの死骸だったのだ。飛んでいるカラスがクルマに激突する確率なんて一体どのくらいあるのだろう。そんなリスクまで想定できるかよ。そう考えたところで意識が途切れた。
 右手からこぼれ落ちたスマートフォンの画面からGPSの位置情報を示す点滅が繰り返されていた。それは、すぐ目の前にあるマンションから発信していた。

(つづく)

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