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社会人1年目に退職を考えた、決定的な上司の言葉

就職して2か月ほど経ったある日。直属の上司(40代半ば)と、起業家育成セミナーに出ました。それは、若手起業家たちが少人数で集まるざっくばらんな会でした。私と上司は、業務の一環でオブザーバーとして出席したものでしたが、講師に誘われるままグループワークに参加することになりました。

その日のテーマは「自分の仕事観」。「仕事をしていて、よかったと思える瞬間や満足できる瞬間はどんなときですか」という質問に対して、各参加者が自分の考えを述べることになりました。

参加者は夢や希望にあふれた若手起業家たち。みな志高く意欲的な言葉で仕事観を語っていました。発言には、それぞれの人柄や価値観がにじみ出ていました。私はそのとき、上司が何を言うのか楽しみにしていました。当時すでに仕事に失望していた私は、上司の言葉で、まだ知らない仕事の価値を発見し、将来への希望を持てるかもしれないと、淡い期待を抱いてしまったのです。

決定的だった上司の言葉

やがて順番が回ってきて、上司はこう言いました。

「その日一日、何も起こらずに終わったときに、よかったと思える」と。

この言葉を聞いて、この先の退職までの人生が見えた気がしました。私は落胆し、やりきれない気持ちになり、苛立ちを覚えました。

社会人になりたてのペーペーでしたが、仕事を円滑に進める上で、トラブルを未然に防ぐことも仕事の一つだ、ということは理解していました。それでも、仕事観を聞かれて開口一番、唯一の答えが「何も起こらないこと」なんて、こんなつまらない仕事観があるか?と、心底ガッカリしたのです。

今思えば、それは上司に対してではなく、わずかでも上司の答えや仕事そのものに期待してしまった自分への、就職という大きな選択を誤った自分への、これからどこへ向かったらいいのか途方に暮れてしまった自分への、苛立ちだったのだと思います。この日、初めて本気で退職を考えました。

変わっていくこと、変わらずにいること

情けないことに、その後も退職を決断できないまま時が経ちました。いつか辞めてやる、準備ができたら辞めてやる、そう思いながら現状維持をつづけるうちに、知らず知らず嫌いな環境に順応していく自分がいました。

そして今、当時の上司の気持ちが、少しだけ理解できてしまう自分がいる。限界ぎりぎりで仕事してる最中に、トラブルが一つ二つと舞い込んできたときの胸がキリキリする感じ。問題が解決するまでは、そのことが気になって頭から離れなくなる感じ。思えば、上司はおだやかで優しい人でした。トラブルに対処しながら、周囲に最大限の配慮をして、きっと私が経験した以上の心労を抱えていたに違いありません。

でも、そう理解できるようになったことと引き換えに、何かを失ってしまったと感じることがあります。かつての自分が「心底つまらない」と思った人間になりつつある、という現実が目前に迫っているという焦りがあります。その焦りこそが、再び退職に向けて歩みだすきっかけとなり、私は結局この3月で退職することに決めました。時間がかかり過ぎたし、相変わらず先の見通しは立ちませんが、とりあえず今は毎日が楽しいし、夢中になれることがある。その事実に希望を感じています。

※冒頭画像:https://unsplash.com/

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