chaika2004

chaikaと申します。ここでは私の思いの丈を、わかりやすく、少し肩の力を抜いて、真面…

chaika2004

chaikaと申します。ここでは私の思いの丈を、わかりやすく、少し肩の力を抜いて、真面目に書いていこうと思います。アート全般、特に音楽と舞台が興味の対象です。アート系の大学を出て、30代までは舞台演出に関わり(仕事でも、フリーランスでも)40代以降はマネジメントを生業としてます。

最近の記事

久しぶりにnote開きました。 オーディナリーライフですが、自分の日常も豊かになればいいな、と感じています。 年齢のせいなのか、自粛気味な周囲の圧力なのか、その境界を探るのはむずかしい遠頃ですが、数年前に比べ生活が色褪せているというか、なんだかポジティブな気持ちにはなれません。

    • 10.まとめ

       2022年の日本国内の公共劇場の現状 コロナウイルスは猛威を振るい感染拡大の勢いが収まらない。社会の構造変化を余儀なくされる場面を、何度も目にしてきた。同時に遠い国での戦争は、ネットによる過度な情報が先行し、実態がないまま漠とした不安を感じるが、経済状況、食糧事情の悪化が人々の生活を直撃している。医療崩壊、安全な日常の破壊、それに伴う平和の消失とパニックは悲惨であり、市民生活の危機を感じることがある。リモートワークや、Webを駆使した様々な試みが急速に社会に浸透する一方で、

      • 9.劇場がアーティストを雇用するということはどういうことだろう?

         1.公共施設の自治 公的施設は先進的で、オペラなどに特化した高い専門性が要求される施設では、そのテクニカルな機材や特殊機能への施設維持管理に莫大な費用がかかる。スタッフも一般的な施設に求められるレベル以上の知識、経験が要求される。  一方、難易度が高く、専門知識が要求される仕事であるにもかかわらず、国家資格のように社会的に信用度が高い資格は、ライブアートの世界には存在しない。あくまで業務経験と人柄など見て劇場が雇用するのが一般的である。そのことによる弊害は、契約書の取り交わ

        • 8.地域の劇場にとって演劇が必要であるということ。

          1 演劇のグループワークについて  コモンズの考え方にある自主的な資源統制についての理論が十分に発展し、社会に受け入れられるまで、主要な政策判断は「コモンズの利用者である個人は自ら組織化できず、外部権力により組織化される必要がある」という仮定に則り、公立劇場のミッション・役割が理論化され、市民に受け入れられるようになるまでに何が必要なのか、を考えてみたい。  個人の組織化、とはすこし異なるかもしれないが小さなコミュニティというのは、芸術文化の界隈でも続々と誕生しはじめている。

        久しぶりにnote開きました。 オーディナリーライフですが、自分の日常も豊かになればいいな、と感じています。 年齢のせいなのか、自粛気味な周囲の圧力なのか、その境界を探るのはむずかしい遠頃ですが、数年前に比べ生活が色褪せているというか、なんだかポジティブな気持ちにはなれません。

          7.公立劇場におけるワークショップの意味。「ケア」の考え方

           1.はじめに  コロナ禍の影響で延期・中止が増えているが少子高齢化という社会情勢の変化があり、「こども」「高齢者」「障がい者」を対象とした参加型の事業が、市民から劇場に求められることがふえてきた。助成金の新たなスキームにおいても、特にこどもと障がい者への事業参画を要求するケースが、例えば地域における質の高い舞台創造といった、鑑賞の「質」を要求する助成金と比べ著しく増えている。多くの公立施設は指定管理者である財団もしくは企業、NPOが運営しているが、実態は市区と密接にかかわる

          7.公立劇場におけるワークショップの意味。「ケア」の考え方

          6.コモンズ論に沿った劇場の運営について

           2020年代の劇場の状況  2022年現在、国内の公立劇場のほとんどは地方都市の中核施設として多目的な使い方を想定されている。多くの公立劇場が、異論があるかも知れないがリヒャルト・ワーグナーのバイロイト祝祭劇場のプロセニアムアーチ型で、オーケストラピットを舞台下に設けた構造を範に1,000名前後のキャパシティで設計、建築されている。特に首都圏から離れた地域の事情を考えると、このまま劇場を別の目的で利用する術を探していくよりも、劇場を別の角度からコロナ禍の社会にあった需要を満

          6.コモンズ論に沿った劇場の運営について

          5.舞台芸術に関わる動機

           1.コロナ禍の上演  演劇に限らず、多くの人が舞台芸術に関わろうとする動機とは一体どのようなものなのだろうか。  医療や福祉、食の安全という、日常生活で欠けることがあってはならない職種とは違い、「文化」は社会の中の役割がわかりずらいのと、「人が生きるために必要なもの」ではないと考えられている。ゆえにそれ自体の公的補助が「?」な点が多いし、よく吟味する必要があると思っている。  一般的にアーティストは作品を作り続けたいと願う。それはコンプレックスの裏返しなのかも知れないし、あ

          5.舞台芸術に関わる動機

          ⒋舞台演出の勉強をはじめる。

          学生時代の思い出  今は生まれ育った土地からは遠く離れた古くからの知り合いも、親類縁者いない場所で仕事している。この土地の特徴としては冬が厳しく長い。積雪量も驚くほどだ。除雪車の存在を初めて見たときは少し驚いた。  雪深い凍結した道路を歩くのは、いまだに慣れないし、実際気を抜くとすっ転んでしまう。今はこのような時期であるので、自宅に篭りこの文章を書いている。筆が進まないことが多いが、書くことの効用として「思考の整理」があり、思考を整理することで、「小さな生きることの肯定感」

          ⒋舞台演出の勉強をはじめる。

          3. 演劇に出会う。

            1.演劇の出会い1 スポーツ少年だった私にとって「演劇」に対する関心はほとんどなかった。生活の中でも特段演劇に結びつく出来事はなかった。街の雰囲気も、少し時代が遡っていれば労働運動や「プロレタリア演劇」や何かとの接点はあったかも知れないが。。。全くなかった。学校に演劇部は存在して、一度発表会を観に行った記憶がある。全く面白みのない代物ですぐに忘れてしまった。  そんな中で今となっては何故観劇することとなったのかわからないが、ピーター・ブルック演出「カルメン」を観てからそ

          3. 演劇に出会う。

          2.演劇に出会う前はどのようなことを考えていたか?

           ⅰ 生い立ち1 子供の頃の体験は人のその後にとって大きな意味を持つ。私の場合を例にとると、川の近くで育ち、沼のような池や、湧き水など「水」というものを観察し、戯れる機会に恵まれていた。蜻蛉などの幼虫であるヤゴ、ミズカマキリ、タガメといった水生生物のトリッキーな動きに魅了された。今の住まいの近くにも川があり、普段そのことだけで心の奥で「幸せ」を感じることができるのだ。  私たちの「身体感覚」はどのように形成されていくのか、科学的な知識はほとんどないが、演劇の世界に足を踏み入れ

          2.演劇に出会う前はどのようなことを考えていたか?

          1.人は何のために劇場に通い、演劇を観るのだろうか?

            1.物語の疑似体験について    昼の光が闇に消えてから、駅から少し歩いたところにある古いビルの一角にある場所に行くのは小さな楽しみだ。加えて新しいものに出会えるかもしれないな、という期待があると、足取りも軽くなる。仕事や、人付き合いがあって。。。という事情もあるのかもしれないが、人々の小さな希望を受け入れる素地が観劇という行為にはあり、おかげで演劇は何千年と続いてきて、これからも時代のさまざまなニーズを取り入れながら途切れることないのだと思う。  新しい表現に出会いたい

          1.人は何のために劇場に通い、演劇を観るのだろうか?