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「怒らない」は疑似問題

何の話かというと
ここでいう「怒らない」は感情の話とします。
「怒りを感じるのは当然として、それを表に出さない方法」ではないです。
「怒りを感じたくない」という場合の話です。
しつこく言えば、
「怒り感じる+行動する→ああ、あの人怒っている」の「怒り感じる」についての話です。
もっとしつこく言えば、
社長報告の直前に、誰も資料を印刷していないと判明したときの僕の心の中の話です。

怒りは当たり前ですよね
小説や漫画でずっと心穏やかに冷静な人がいて
とってもあこがれます。
でも、それをまねて「怒りを感じないようにしよう」と思うのは、
あるいは、意思の力でどうにかするは無理な話です。

6秒数えて待ってみても、収まるどころか、反芻して怒りが増します。
認知療法なんかを持ち出す必要もないけど、感情は思考とセット
例えば、
机は片づけるはあたりまえ、だから片付いてないと「怒りを感じる」
遅刻しないのはあたりまえ、だから遅刻されると「怒りを感じる」
時間通りに資料があるのがあたりまえ、だから、、「怒りを感じる」

感情を選べるかも
選択肢は二つ。

その一。あたりまえとした思考を変える。
机は散らかることがある。だから「怒りを感じることができない」
遅刻することもある、だから「怒りを感じることができない」
時間通りに資料がそろわないことがある、誰かがやっているだろうと考えて資料がそろわないことがある、そして、私が社長に怒られることがある。
だとしたら、、、「怒りを感じることができない。」

その二。普通に怒る。
その怒りは、自分の思考とセットで自動で出てくるものだから。
仕様として思考がセットされていて、出来事が挿入されたら、当然に出てくるものだから。

怒ってもいい
思考を変えろと言ってない。すべての思考を変えるわけにはいかない。
そんな「怒らない」に意味はない。
そもそも、怒りは感じていいものだ。
ただ、自分にとって感じて嫌な怒りがあれば、セットとなっている思考を捨てる。

だから、僕も勘違いしないようにしよう
まあ、僕は、そもそも社長によく怒られる人間だ

今日の中二娘
・忘れ物をした姉が帰宅したので(ヒロアカ持参)、ご機嫌であそんでいる。
・今日の朝、お腹がとても痛かったらしい

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