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映画 美と殺戮のすべて

有名な写真家。
といっても、ちゃんと拝見したことなくほぼ名前だけでしたが、なんとなく興味があって行ってきました。
結果、いろんな時代背景も肌で感じることができて、とても良かったです。

あぁこの写真の人か、て思ったのは中盤すぎた辺りだったかな。
恋人の写真で、あぁあれは著者自身が写っていたのか、って。
今更。
そうして、その写真の奥にある愛という憎悪というか。
強く惹かれ合いながらも傷つけ合う、共依存の関係。とも言えるのかな。
それの源は母との関係だったり、姉の喪失だったり。
ちょっとね、その、薬害のこととナンの自伝的な部分が交差して、うーん、って思うところはあったんですが、でもちゃんとラストあたりで腑に落ちるものがあって。長年、クスリと共に生きてきたナンだからこそ、成し遂げれたことなのかな、とも。
そうして、クスリっていうものを悪いものとしてただ遠ざけても、それはより強い苦しみをもたらし、そこから逃れようとまた、って本当負のループに陥ってしまうんだな、ってのが。薬物依存で逮捕された某タレントのTwitter(いや、もうTwitterでいいと思ってます、私。なのであえて)がたまにタイムラインで流れてきて読んだりするんですが、その人の言うことともリンクして。
断てば治る!って根性論じゃないんですよね。
もう受容体が破壊されていたりする、そうなるとそれを補う薬が必要となる。それは依存と呼ぶよりも共存ではなかろうか、とか。ナンの言葉で気づかされました。
過度な摂取は当然の如く避けるべきだが、必要に応じての処方はやむを得ないんじゃないか、て。
でも、自己の利益のために薬をより多く売ろうとする会社もあるわけで。
金儲けを目的としたそれは、多数の被害者を生み出し、そこにナンは怒りをもつわけで。そこに恐れながらも立ち向かう彼女の強さに、すごいなぁ、と思うのです。もちろん、いろんな力添えもあっただろうし、何より実際の被害者の数が多すぎた結果でしょうか。
あと、デモというアプローチの仕方が、アートとしても成立している点。そこが、純粋にすごいなぁ、って思ったんです。
さすが時代を生きたアーティストやなぁ、というか。
彼女は映画の中で、初めて告白したこともあります。
そうして、そういう混沌とした時代であったこと、性がとても近くにあった、と言うかなぁ。だからこそ、彼女が生きたコミュニティが病に壊されてしまった、という事実も、この映画で初めて肌で感じることができた、というか。
その病、エイズが出てきたのが私がまだ小学校低学年くらいだったのかなぁ。
どの時点で知ったかは忘れましたが、とても怖い印象を受けたのを覚えています。それがまさに当事者であり、周りがバタバタと亡くなっていく状況とあれば、肉迫さが伝わるのは当然のことかと。
そういう時代を生きつつも、彼女が育った家庭環境は切り離すことができません。彼女がなぜそのようなコミュニティに紛れ込むことになったのか。母と姉が強く影響しています。
ふと、自分が母親であることが怖くもなりました。
母はどうだったのかなぁ、とも。
なんだか、いろんな感情がごちゃ混ぜになりましたね。
写真はハッとさせられて危うい美しさがあるし。
けれど、言えるのは欲があってそのコミュニティに入ったわけじゃなく、居場所を求めた結果が、まさにその時代を濃縮したような場所であったわけで。
なんか、キャッチーな言葉のチープさが、この映画を通してありありと見えたというか。
売れるためには、そのキャッチーな言葉が必要なのかも知れませんが、彼女自身はとてつもない葛藤を抱えて生きている。
それがまた。
とも思いつつ、この映画を見て、知れて、よかったなぁ、と思いました。
え、なんかもうとっ散らかってて、まとまりないけれど、ここら辺で。
何より、私自身も母との関係で幼い頃から葛藤を抱えていたので、彼女とリンクした部分があったからかも知れませんね。
そうして、自分の娘がこれからどうなっていくのか、楽しみもあり怖くもあります。それは、私と母との関係性からそう感じるのかも知れませんね。
時代を知る上でも、何かを訴えるアプローチの仕方を知る上でも、この映画はおすすめです。
ちなみに、多分、彼女を知ったのは、ここでの講座だったんじゃないかなぁ。

併設図書館もあるので、多分ナンの写真集も見れるんじゃないでしょうか。知らんけど。

そういえばそういえば!
テアトル梅田が帰ってきますね!!
そのかわりシネリーブル梅田がなくなりますが、、。
でもちょっとうれしい。
余談でした。

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