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【節約生#662】時間の節約を再考する

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

可処分時間の限界

 昨日は20時すぎまで仕事をしてしまっていた。そのためもあって今朝も少しだるさがある。朝から時間の使い方を反省している。

 ちょうど先日、可処分時間の限界がきているのではないかという話題を見かけたところでもある。時間の節約を再度考えるきっかけにしたい。

 可処分時間という考え方がある。可処分所得の概念を拡張して考えるなら、自由に使える時間のことを指すのだろう。
 参考にするなら社会生活基本調査の3次活動の項目だろう。1次活動が睡眠や食事、2次活動が仕事や家事で、3次活動がそれ以外である。
 3次活動は2016年で6時間22分、2019年で6時間16分である。そうすると可処分時間の平均はおおむね6時間ということになる(個人差があるだろう)。

 元々目にした話題では、可処分時間の奪い合いがそろそろ飽和しているといったものであった。ゲームの新作が売れず、数年前のゲームが今でもプレイされている傾向があるのだという。古いゲームが現役なので、もはや新しいゲームをするための時間が確保できなくなっているのではないか、と。

時間の使い方を誤ると人生が短くなる

 人生は短くはないのだとセネカは主張している。

 趣旨は簡単である。人生は本当は短くない。無駄な時間を過ごすから短いのだ、というものである。
 かなり厳しいことも言っていて、ときどき次の文章を思い出しては反省することがある。

髪の毛が白いとか、顔にしわが寄っているからといって、その人が長く生きていたと認める理由にはならない。その人は長く生きていたのではない。たんに長く存在していただけなのだ。

 ずいぶん前に、一日のうち何時間テレビを見ているのかという調査があった。今はそれがスマホのゲームであったり、SNSになっているのだろう。ぎりぎりまで暇をつぶしているような視点で世界を見ることができるかもしれない。

 暇があるのに、自分の時間が入りこむ隙を作ることが難しくなっている。自分の時間を確保するために、時間を節約する必要がある。そうしないと、セネカの言ではないが、ただいただけの人生になりかねない。

 ありがたいことに、仕事のいくつかは趣味の延長線のようなものである。ただやりたいからやっている。自分のお金や時間を使っているし、たまにお金をもらえたりもする。
 ちょうど大きなプロジェクトが始まっている。そちらに時間を使えるように時間の管理をしていきたい。(昨日の二の舞いにならないように・・・)

 自分にとって大事なものに時間を使う。浪費することがないとはいえないけれども、意味のある時間の使い方ができるように、ここも節約思考をしていきたい。


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