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【節約生#631】現状の犠牲者にならない

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

長期の視点

 最近、図書館で借りてきた「ロングゲーム」を読んでいた。

 長期的な視点が大事というテーマであり、この手の本を多量に読んだ身としては新しいことはあまりなかった。ただ、長期的な視点を持って生きる前提として述べられていたことに強い共感をもった。

ロングゲームの大前提は、「現状の犠牲者にならない」ということだ。今の時点での現実が、この先も永遠に続くわけではない。

ドリー・クラーク:ロングゲーム.2022.p83

 節約も長期的な視点を持たないと失敗をする。衝動でお金を浪費してしまうから手元に残らないのである。
 もちろんお金が湯水のようにあればお金の心配をすることはない。お金があれば生き方が制限されることも少なくなる。
 ただし、だからといってお金がないことを恨んで生きていては辛い。
 現状でできることだけを考える必要がある。

この世は地獄なのか

 20年近く前に読んだ本に「地獄の歴史」がある。今は新装版というものがあるらしいので、もしかしたら売れたのかもしれない(とてもそうは思えないけれども)。

 その本のあとがきに、グノーシスの紹介があったと記憶している。現代的な地獄観と評していたもので、この世こそが地獄という結論であった。
 主張としては次のようなものと著者は説明している。

 なぜ神がいるのに、世界は悪に満ち、苦しみが溢れているのか? 不幸ばかりではないか。そうか、この世は地獄だったのだ。だから真理(智)に近づいてこの世から脱出するのだ・・・。

 調べてみれば、グノーシスはそういう単純なものではない。しかし、この世こそが地獄であったという視点の転換は面白いものがあった。
 究極のネガティブ思考である。
 現状に負けざるを得なかった人たちの諦めが生んだ世界観なのかもしれない。

 自分はそこまでの極論するほどの現状ではない。ありがたいことに手元のお金をやりくりすれば生きていける。
 どうやって豊かに生きるかは自分の考え次第でもある。

現状の犠牲者にならない

 もちろん、お金がなくて選択肢が制限されることもある。実際に、学校に行きたくても行けなかったという人に何度もあったことがある。ほとんどが高齢者であった。
 自分はそこまでではなかったので、彼らからしたら幸せなのだろう。

 お金が少ないと、たしかに選べる道は制限されてしまう。それが資本主義というものでもある。しかし、それでも道は続く。

 子どものころは貧乏が嫌であった。ないものをねだって不貞腐れていた時代が長く続いていた。しかし、ないものばかりを見て、隣の金持ちの青い芝生を羨んでいるままでは、大金をつかんだとしても幸せになることはできない。
 永遠に金持ち競争を続ける修羅道で生きてしまう。六道で言えばこの世は修羅道だった・・・。そういう人も多いかもしれない。

 持っているものを大事に守って、幸せになれるものに大胆に使う。節約の極意はそこにあるのだと考えている。

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