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思春期の若者にドヤ顔で言おう。「大半のおっさんは一撃でノックアウトされる可能性のある危険な戦場を乗り越えてきた勇敢な戦士なのだ」

早朝から朝食のパンを買いに
そそくさとコンビニに行き、
なんと、たった今、
そそくさと無傷で帰還した。

人生という長い旅路から見たら、
ほんのわずかなちっぽけな重圧だろう。

しかし
ちっぽけな自分にとっては、
ちっぽけな重圧に緊張がとまらない。

病気なのか。

そうか。
病気かもしれない。

今のコンビニのレジ。
サバンナのごとく過酷な戦場である。

今や客側がいろいろと入力する時代。
パネル台がひっくり返って回転した世界がそこにある。店員さんが商品をスキャンすると、目の前のタッチパネルに決済方法が表示される。

「タッチおねがいします」

ボクはボタンを押して決済方法を選択する。
そしてスマホからアプリを開き
「ペイペイです」
と告げると、店員さんがリーダーでQRコードを読み取る。

ボクの後ろには、等間隔で並ぶ商品を手にした客たち。

早くしろという無言の重圧シャワーを浴びながら、ボクは一連の動作を緊張感をもって遂行する。

焦りは禁物である。
焦れば焦るほどいつもパニックになり
「ペイペイ」
の発音すらをも迷い、

その都度ボクは
「ごきぶり『ホイホイ』のイントネーションと同じだ」
と脳内で言い聞かせ、それを声にする。

「ペイ⤴ペイ⤵です」

やけに長いレシートが出てくれば、ようやく重圧から解放され、緊張のなかのひと仕事を終えた達成感を味わう。

ボクは無言で商品を袋に入れて、
これでいいのか?
と思いながらも店を出る。

あぁ、よかった。
今日も、そそくさと無傷で帰還できたのだ。

昔のレジには違った‘’緊張感‘’があった

10代の男というのは昆虫のように女の裸にむらがる生き物である。 

今のようにエロ画像や動画を自宅のネット環境から手身近に見ることのできる羨ましい時代に生まれ育った子達には、にわかに信じがたいだろうが、

「エッチな雑誌を書店で買うときは、難しそうな雑誌の間に挟んでレジに差し出す」

というコントのような世界が
学生時代のボクたちのリアルであった。

「レジにエロ本を持っていく」

というのは思春期のオトコにとっては紛れもなく高い壁、第一関門であり、
店員がエロ雑誌をひっくり返して後ろの価格表記をみてレジに打ち込んでいる時間は、

ほんの数秒ではあるが

どこからともなく視線を感じて身構えてしまい、心臓がバクバクする。

エロ本の表紙にある大きめのフォントで記された謎のキャッチコピー。
雑なモザイク。ヌード写真に風俗体験談。

不覚にもボクの内に秘めたスケベ心を見ず知らずの店員に、白昼堂々とさらけだしてしまわなければならぬ、ナンとも卑猥ひわいな瞬間でもあるのだ。

男は自由奔放にエロをさらけ出して生きているように見えて、常に自らに課したルールの下で、プライドの境界の妥協点を絶えず探りながら戦っている。

キャッチコピー1つをとっても

「巨乳」「パンチラ」はセーフ。
しかし、
「ロリータ」「隠し撮り」
が強調されたものを店員を通過して買うのはボクの境界線では無理。

同じエロでありながらもそれに優劣をつけ、
偏屈な持論を展開し小さなプライドを守ることにだけは、やけにセンチメンタルかつナーバスになっているのだ。

ご存知のとおり
エロ本を買うという場面を前にすると、
年齢や学歴、金や仕事、運動神経や人脈と言った資産は何の価値も成さない。

リスクは万人に、平等に負わされる。

そこは一歩間違えば、
一撃で‘’変態‘’もしくは‘’性犯罪者予備軍‘’のレッテルを貼られ、ノックアウトされる可能性のある戦場なのだ。

そんなとき、会計を待っている時のポーズも気になって仕方がない。店員や周囲の客が女性であれば尚更である。

膝の角度や、手の組み方まで気になる。

棒立ちで突っ立っていたら緊張しているのがバレてダサいかな?

エロ本買うくせに腕を組んでいたらエラそうかな?

ああでもないこうでもないと考えてポーズに微調整を加えているうちに、店員さんがレジの打ち込みを終えて合計金額を告げる。

さらにここで、お金を取り出している最中さなかにも一山ひとやまやってくる。

2冊参考書、1冊エロ本の組み合わせのとき。
店によっては、購入客への配慮からエロ本だけは他の書籍とは別にして、外に透けない紙袋に入れるパターンが存在するのだ。
そう、女性で言うと生理用品を買った時と同様の扱いである。

「あ、店員さん、エロを認識しよったな」

紙袋に入れられた瞬間、
カネをかけてまでエロ本を参考書で挟んだ苦労は‘’取り越し苦労‘’で水の泡。

いやいや。
気を使うのなら、逆にそこは機械的にやってよ。この配慮によって一気にリアルに戻って
カッーーーーと恥ずかしくなってしまうのだ。

家に帰って部屋にこもってから一目散で見るのはエロ本だけ。
結果として、部屋には手付かずの難しい参考書が折り目がつかないまま山積みになり群れを成して繁栄する。

理性無き男の末路。
600円のエロ本を買うために参考書2冊。
もはやエロ本を前にすると、カネに堅実な男であろうとも理性無き浪費家と化すのだ。

すまん。
あまりにも思春期の野性味溢れるオトコにフォーカスしすぎて熱く語ってしまったので、あろうことか女性読者を置いてけぼりにしてしまった。

が、

「ダイエット本」を持っていけば、
「この人は太っていることを気にしているんだな」

「モテるためのテクニック本」を持っていけば、
「この人はモテなくて、そのことを本人は辛く感じているのだな」

と店員に思われやしないかな?

と抵抗を感じてしまう局面が女性各位にもないだろうか。

もしも、そう思う感覚があれば、
その10倍くらいの張り詰めた感覚と思って、昔の男たちが勇敢にエロを追い、幾度となく戦場へ足を運んでいたリアルをイメージして頂けたらありがたい。

よいしょ、、っと

ボクくらい図太い神経をしていればもはや‘’沈黙‘’をナンとも思わなくなるが、

入社して数年の営業マンにとっては、

大勢がいる場でのプレゼン時の‘’沈黙‘’というのは、独特の雰囲気で耐えがたいものがある。

本当に「シーン」って音がしたり、ピリピリとした空気を肌で感じ、これが精神的に大きな負担になっているという。

大勢がいる場ほどの緊張感ではないものの、
会社が一流で、重責者との初対面の商談時も同様の緊張感がある。

若手営業マンは、どのような話題でコミュニケーションを取れば良いのか、出会うやいなや何の話をすれば相手に違和感を与えないかを迷い、軽いパニック状態におちいってしまうのだ。

と、他人事ひとごとのように言ってしまったが
かくいうボク自身も
営業を始めた当初は、この沈黙に耐えかねず、次から次へと、誰も聞いていないような話を、意味不明な話をしまくってドツボにはまるなんてことが往々にしてあった。

そう、ど緊張のあまり。

人間は、極度に緊張すると、
“挙動不審になってダマってしまう人” と、
“我を忘れて喋りまくってしまう人” との
2パターンに分かれると言われているが、自分は明確に後者だった。

それくらい、誰も喋らない空間というのは普段の自分を見失うほどに緊張を増幅させる。

実は先日、若手社員の担当する大手企業の商談に同行した際に、新たな発見があったので皆さまにレポしたい。

その若手社員。
お客様との会話が温まらず静けさが空間を支配している最中さなかに、提案書をカバンから取り出すタイミングで奇妙な言葉を発した。

「よいしょ、、っと」

アクセントは「しょ」に効いており、「っと」は聞こえるか聞こえないかの
‘’か細い声‘’
である。

提案書といってもA4用紙3枚をホッチキスで束ねた4部を取り出しただけだ。

おいおい、紙を持ちだすのにそんな掛け声まで出してどんなに力を使ってるんだこいつは!?

その後も続く。
パソコンを立ちあげようとして起動ボタンを押すときだ。

「よいしょ、、っと」

そんなに力を入れてボタンを押して、
破壊しようとしてるのか、こいつは?

そう、お分かりのとおり。
もちろん紙が重いわけでも、ボタンを力強く押したわけでもない。

沈黙の気持ち悪さから、その空気を拒絶して
「よいしょ、、っと」
が使われたのだ。

これは、振り返ってみると、かなり偉大な発見だった。ニュートンが、落ちるリンゴをみて脳天に雷が落ちたような衝撃を感じたのと同様、

「よいしょ、、っと」
が沈黙の気持ち悪さを打破するフレーズであると発見した僕の脳天は雷になった。

たしかにシーンとした冷たい空気は一瞬、少しだけ温まった。しかし、この秘技を一回の商談で多用するには問題点があることに気付いた。

そんなもので繋ぎ止められる時間など数秒、そもそもこれは自身に向けた掛け声であって、テーマとして盛り上がることは極めて困難である。

考えて欲しい。

提案書を取りだすときに
「よいしょ、、っと」

PCを立ち上げるときに
「よいしょ、、っと」

お茶を飲むためにマスクをはずすときに
「よいしょ、、っと」

手帳をカバンに片付けるときに
「よいしょ、、っと」

シーンとした張り詰められた空気の中で、突如として現れるこの
「よいしょ、、っと」

お!なかなか威勢のいいヤツだ。
キミは、なかなか爽やかな営業マンだね。

って思ってくれるだろうか。

いや、ボクなら絶対に思わない。

恐らく、先方は
「よいしょ、、っと」の使い手を、
祭りで神輿みこしを担いでいる人だと思ったに違いない。

正直、身内である自分ですら、祭りの空気を感じたのである。
そこには、確かな祭典さいてんイズムがあった。ボクですら感じたのだから、相手はもっと感じていたはずだ。

この祭典さいてんイズム。
略してサイイズ。

サイイズの最大の難点は
この秘技があまりにも連動する動作と乖離した掛け声であるため、この技を使った瞬間
「あ、でたでた‘’サイイズ‘’。この人、沈黙が怖いんだろうなぁ...」
という印象を与えてしまうという点ではなかろうか。

サイイズどころか、
訪問先は大阪であったので、
もしかしたら‘’だんじりイズム‘’
または‘’だんじり神輿みこしマン‘’
と影で呼ばれていたかもしれない。

やべ。長文でふざけすぎたが、最後に少しだけマジメに語らせてもらおうか

沈黙は、別に悪いことではない。

「沈黙は金、雄弁ゆうべんは銀」
ということわざがある。
沈黙が雄弁ゆうべんに勝るということである。

ピリピリした張り詰めた空気というのも、実は自分が緊張しているからであって、別に本当に周囲が殺伐さつばつとしているかというと、そうではないことがほとんどである。

雄弁になると最終的にいきつく先は
自分のこと(自社のこと、自社の商品のこと)だけを話すようになり

そのつもりがなくとも
決まってどんどんと自慢話と化してくる。
自慢話のみの人間なんて面白くもなんともない。そして人に嫌われる。

だから迷ったら沈黙で良い。
それでいいのだ。

相手も沈黙が苦痛だったら?

この難問はプライベートと仕事で分けて考えなければいけない。

プライベートにおける会話、つまり日常的なコミュニケーションというのは、元来それぞれが抱えた地雷を察知し、それを巧みにかわしながら最大限お互いの共通点を探っていく、1対1の戦い。

だから相手が沈黙を嫌っていたら‘’共通点を探る会話‘’に終始して会話を弾ませなければならない。そう、そこは多少なりとも命を擦り減らしても。

一方で仕事。
ボクの営業経験でいうと
商談の場の沈黙は、実はチャンスである。

相手が沈黙を破るために、ポロッと次に発する言葉。その時に思っていること、つまりは本音を言ってしまうことが多いのだ。

商談の場だと、なかなか本音を聞き出せないことも多くある。だからこそ、沈黙の後は相手の本音を聞き出せるチャンスになるのだ。

だから相手が沈黙を嫌っていても沈黙でいいのだ。

・・・・・・・
と、早朝から長文で威勢よくここまで書いて思ったが

「あんたはなぜか雄弁になると人に嫌われる過程をえらく細かく解説できるけど、あんたみたいな長文ウンチク嫌われ男とだけは絶対に同じ空間にいたくないよ、わたしは」

という寂しいことだけは、、、

思わないでね。
絶対にね。
約束ね。
ね!

プロフィール欄の「毎月FIREまでの道のりを記します」、はどうなったのか?

note開設当初より、学資用として位置づけている「子どもの証券口座」のみを月末に公開していた。

しかし、文章を綴るnoteで口座を公開するのは自分の中では違うのかもしれないと思い始めて、4ヶ月前よりアメブロに掲載するようにした。

殆どの人が興味ないかと思いますが、もしも興味がございましたらご訪問ください。

【1月概要】子ども口座 総合計11,785,150円
日経平均の大幅下落によりボクの手堅い保有株も下落。前月比−585,381円とマイナスになった。子ども口座だけでこれで、家族全体でみると300万円程度も、前月から減となりよった笑

売買していないので、あくまで証券口座内の増減ではあるものの、さすがにあまり良い気分じゃないなぁ。

けど、月単位でみると良い時も悪い時もある。だからしゃーないなー、ってところかな。

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