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【消滅都市】タロットシリーズ考察 ゲームマスター【審判】

この記事はスマホゲーム「消滅都市」に登場するキャラクターおよびタロットシリーズの考察となります。

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🔽この記事について
当記事はメインストーリーをクリア済みであることを前提に作成しております。ゲームマスターの正体とサトルとの関連性など、物語の核心に触れる部分やネタバレが含まれていますので予めご注意願います。
また、当記事に関しましてタロットカード所有者ゲームマスターの人物像に焦点を当てており、すべての解説は個人的な見解ですのでご留意ください。
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■タロットカード「審判」が意味するテーマとは?

タロットカード「20.審判」の絵柄はマルセイユ版、ウェイト=スミス版ともに新約聖書「ヨハネの黙示録」に記されている最後の審判をモチーフに描かれたと考えられています。
ウェイト=スミス版タロットを考案したアーサー・E・ウェイト氏本人の解説本『The Pictorial Key to the Tarot』によると、このような記述があります。

Part1ヴェールとその象徴より一部引用(P57)
"このカードの基本の形は不変のものである"
"天使はラッパを吹き鳴らし、死者は甦る"
出典:The Pictorial Key to the Tarot Arthur Edward Waite 
タロット公式テキストブック 著:アーサー・E・ウェイト
解説:アレクサンドリア木星王 訳:シビル岡田
※現在、訳本は絶版しています(原書はAmazonで購入可能です)

どの古い版のタロットであっても、天使がラッパを吹き、地上の死者が復活する描写に変わりはないということです。
おそらく、消滅都市に登場するタロットカードもウェイト=スミス版の象徴や意図を汲んで作中の物語や設定に落とし込んでいるのだと思います。

しかし、このカードに描かれている絵柄をそのまま「黙示録」や「死者の復活」と受け取る前に、念頭に置いていただきたいことが1点あります。

それは、タロットに描かれている図像1つ1つが「精神世界」の旅であるということに。

それでは、タロットが精神世界を表すものなら「死者の復活」とは何を指すのでしょうか?

■審判の日に復活する「死者」とは何を表しているのか?

雲の上からラッパを吹き鳴らし
棺から男女が蘇るこのシーンは目覚めの瞬間です。

象徴として読むなら、天使の呼びかけによって
・生まれ変わる
・覚醒の合図 など

内面の状況や意識下を一瞬にして呼び起こす変革と捉えることもできます。

下記のタロット解説本にて、根本的なものから新しいものに変化することを蝶に喩えた表現が記載されていました。ゲームマスターを彷彿とさせる素敵な解釈でしたので一部ご紹介します。

一部引用(P223)
"棺という殻を脱して、サナギが蝶へと変成するメタモルフォーゼの象徴、生まれ変わって新たな人生を歩みだすこと~(省略)"
出典:タロットの歴史 西洋文化史から図像を読み解く 著:井上教子


参考までに、消滅都市に登場する審判のタロットの意味も載せておきます。

正位置
逆位置


ゲームマスターの正体は、
皆さんもご存知のキャラ「サトル(world:A)」です。

失われし世界で起きたWWⅢと球根の災厄に巻き込まれて亡くなったハヅキを取り戻すため、球根にタイヨウを接触させその変化で生じた巻き戻しによってハヅキの復活を目論み、タクヤやソウマ(失われし世界に登場した大人のほう)たちも利用しようとしたものの、最後はタイヨウの意思によって世界の狭間に閉じ込められ、成れの果ての姿(ゲームマスター)となりました。

私の個人的な意見ですが、サトルは世界の狭間にいた過程のなかで、精神的な死を遂げたのではないかと考えています。


可能性を見出せず、ゲームマスターという不条理の概念に堕ちたサトルについて考えていたとき、私はキルケゴール(キェルケゴール)の著書『死に至る病』の本を読んでいました。

キルケゴールがいう死に至る病とは絶望のことです。要約すると、人間が孤独に陥ったとき、神と対峙し自己と向き合う瞬間があるそうです。その精神と向き合わず、自己から目を背けていると絶望の始まりが訪れます。

誰もいない、時の概念もない、無と同義の領域に閉ざされたサトルにとって、その状況は可能性の喪失=物語の否定でなかったのではないでしょうか?

ハヅキを失った過去を取り戻す可能性を失い、自分に課せられた物語を否定した

孤独→絶望→狂気に変わり、ゲームマスターとなったサトルが生まれ変わりや覚醒の意味を持つ審判のタロットの所有者であったことは、彼の立場や状況を見ていくと適切であったと思います。

一時期、Amazonの西洋思想の関連書籍売れ筋ランキングをキルケゴールの著書で埋め尽くしている時期もありました。もしご興味がありましたら実際の本『死に至る病』もぜひ手に取ってみてください。


■ゲームマスターが創造したタロットと本来の役割

世界線の狭間に閉じ込められたサトルは、
いつしかゲームマスターへと変貌していました。

人間ではない、概念となっていたのです。

不条理を謳いながらデスゲームと称して他人の絶望を悦楽したかったのかもしれませんし、そのひとつの手段としてタロットゲームを計画していたのかもしれません。

タロットを手にした人物は自分の想いを力に変換して使うことができますが
その力は所有者をイデアに近づける代償も持ち合わせていました。

▼現実は苦痛を伴う
私は大小に関わらず、肉体と精神に何かしらの痛みを感じるからこそ人は生きていると実感するのだと思っています。

その誰しも少なからず抱えている苦痛は、現実を生きている間は誰もが逃れることも出来ません。

であれば、肉体に苦痛などの痛みを何も感じなくなったとき、それは肉体の死を意味します。

タロット所有者は、それぞれのタロットカードの力を酷使すればするほど、いつか肉体を超える代償を払う瞬間が訪れます。それは肉体の死であるかも知れませんが、それと同時に人間が抱えるすべての苦痛から解放される救済とも受け取れないでしょうか?

そのような見方ができるのであれば、タロット所有者にとってゲームマスターの存在は、まさしく世界の終末の日=最後の審判に再臨するとされる、楽園に導く者「救世主」とも言えるかもしれません。

■ゲームマスターにとっての終焉とは?

手放したはずの記憶

最後に、ゲームマスターにとっての「最後の審判」と「終焉」とは何だったかを考えてみたいと思います。

ゲームマスターがイデア界に渡ったことで、すべての世界線に存在するサトルの記憶も手にしていたと仮定すると、彼にとっては別の世界線のハヅキだったとしても、目の前に現れたworld:Bの彼女をハヅキだと認識することも出来たのでしょう。
一度、サトルとしての精神の死を遂げゲームマスターに変貌した彼にとって、人としての記憶の覚醒と復活の合図を鳴らすラッパの暗示はハヅキだったということです。

つまり、

ゲームマスターの最後の審判
・ハヅキからの呼びかけ
→フォーゲットミーノット

ゲームマスターにとって終焉
・すでに手放してしまった、人であったころの記憶の復活
→死の克服からの新たな始まり

だったのではないでしょうか?

レイド画面

動画では審判のタロットの解説について大分端折ったため、伝えたいことや紹介しきなかった部分もあります。

著書「死に至る病」と「タロットの解説本」などと照らし合わせながら、サトル&ゲームマスターの心境やタロットカードの性質を読み解くのも楽しいかもしれません。
ぜひ、参考程度に読んでみてください。

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