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個展「Wave of Light」の感想

個展「Wave of Light」の感想をいただいたので幾つかをまとめました。よければご覧になってください。

1人目(1739字)

子供の頃から,例えばミニチュアの家などを作るときに,見えるはずのない机の足の裏とかを凝って作るような作品が好きだったなと.いずれ何かで覆い隠してしまうものを,丁寧に作り上げるようなものが好きだったなと.そんな気持ちを思い出しました.

僕は感性が貧困なので,最初にろくろに乗った富士山(※1)を見たとき正直よくわかりませんでした.富士山だな.みたいな.でも,話を聞かせてもらってめちゃくちゃ興奮しました.これなんだよなという感じ.この知的エクスタシーだよなという感じ.

「寺」である.「仏前」である.「富士山」がテーマである.などの文脈を踏まえた上で,私たちの世界と向こう側のぐちゃぐちゃにする様を富士に見立てた止め石での表現に昇華させるのは本当にかっこいい.粋.粋であると思った.

学問もビジネスも政治も多分みんなそうで,取り巻く環境扱う対象置かれた状況にはいろんな表情があるはずで,与えられた制約のもとでそれらをどう統合させるのかというのが生きている醍醐味だと思う.それが自分の価値観であり哲学であり思想が表出していく瞬間だから.尊い.

水色の月(※2)の時もそれはすごく楽しかった.水色とは.月とは.なぜあの場所か.あの時か.いかようにでも解釈できるからこそ,それらの要素の何を撮ってきてどのように見せるかというところに美意識がすごく垣間見える.その人の人間が現れる.科学ももっとそういうことを積極的に楽しんでほしいと常々思っている.

そして,これは一見すると大抵わからない.ここが大きな問題.置かれた制約条件の共通項を抽象化して統合して具現化する一連の作業の一つ一つ,もっと言えばその間の細かい隙間にまで美的センスが現れているはずだけれど,現代の社会では最終的に具現化された対象のみから価値を算出しようとしていると思う.これはあまりに貧困.芸術に限らず学問もそれが問題だと思ってるんだけど,これは長くなるのでまた今度話そう.新造くんも何を持って作品をするかというのは難しいという話をしていたけれど本当にそう思う.

もう一つの空間について.
人間が感覚器官を有した単なる有機物であるというような旨の視点(※3)は面白かった.それを統合するといったときに,別々の感覚に訴えかけるものを同時に与えるのは良いと思う.すでに統合されたものではなく.今日来ていた久我山の彼もいっていたけれど,確かに統合されている感じはしなかった.その歪さがいい.五感が切り離されてしまっていること,私たちは音を聴覚で,見るものを視覚で,感じようとしてしまっていることを再認識できるから.統合に向かっていながら統合にたどり着けない悲しさが分離を逆に意識させる.あれはあれがいいと思う.

安産(※4)は今度供養してあげたい.一緒にやろう.

富士山の掛け軸(※5).きれい.まずは.和紙にプリントできるんだね.めっちゃかっこいい.ジョーは怖さがあるっていってた.僕は暖かさを感じた.小平の水不足,富士山,そして水色が同居しているのは,粋.僕にとって富士山てなんなんだろうなというのを考えました.日本一高い山以上のものにはなってしまっている.新造くんは富士山にも神聖な何かを感じたのだろうか.とりわけ富士山の造形が強調されているのが興味深かった.今日来たみんなにとって富士山とはどういうものだったのかを聞いてみたかった気もする.

僕にとっては「赤」というのが一つあった.それがあったので赤い衣装を着て赤ワインを持ってきたりなどした.ワインそんなに好きではないけれど.
それについてはまた話したい.

自己の表現のあり方は様々だと思う.あるものは踊り,あるものは語り,あるものは作り.周りからは見えないかもしれないけどこだわっているものがある.こういう物語がある.人生がある.こいつはこういうものなんだ.僕はこれが知りたいんだ,こう考えているんだ.

芸術作品を見るときに一貫して関心があるのは,普通では表現し得ない自分の中の何かをその人はどう捉えて,どう抽象化して,どう表現するのか.ということ.この人はこれをこう表現したのか!!!とわかる瞬間が最高に興奮する.それが楽しみ.芸術も科学も.今回はそこが見えたようで楽しかった.

こういうのに興味がある人と日本酒でも飲んで話したい.

高木志郎

※1:「ろくろに乗った富士山」
本展示の出品作品である「轆轤富士」をさす

※2:「水色の月」
2018年4月に新造真人が主催した「水色ノ月ニ君想フ」one night art event

※3:人間が感覚器官を有した単なる有機物であるというような旨の視点
本展示の出品作品である「memories」および「香絵」の作品群とそれに対する新造の制作意図

※4:安産
本展示の出品作品である「天命反転墓地」を構成する「安産」と書かれた半紙をさす

※5:富士山の掛け軸
本展示の出品作品である「Wave of Light」をさす

2人目(1196字)

「仏性」という仏の性質が全てのものに宿っており、全てのものは悟りを開く可能性をすでに内に秘めているという話は面白かった

ここがキリスト教とかと全然違う感覚だろうなと思った。仏教が人間の哲学に近いということがよくわかる。究極、人間の可能性の追求なんだろう

富士山をかたどった堰き止め石(※1)は面白かった
堰き止め石は手前を俗世とし、向こう側を聖なる場として隔てるが、それを回転させることで、その境界線が回転し、俗世と聖なる場とが入れ替わり立ち替わりしてしまうというのはとてもコンセプト的に面白いなと思った
それは bias break であり、普段の身の回りのものが全て見方によっては聖なる場でもあったり、この世界を分節することで意味を見出すものであったり、とても示唆に富んだものだと思う

Wave of Light(※2) は単純に綺麗だった
美しすぎるものは、綺麗すぎるものは何か恐ろしさを感じさせるものであるように思えた。それは僕らが仏像などに対して抱く畏怖のようなものを感じた
淡い青春のようなもの、消えゆく情景を感じた
その場に根ざした展示をするアート体験、というのはまんま事業におけるUXへの傾倒の流れと方向を同じくしているように感じる。
モノを通じて、体験を設計するという流れはどんどん加速するのだろう
モノではなくコトの流れはアートの領域にも絡んでいるのだろうか。
アートにおけるコトの設計とは何か

地域の歴史的背景やその場の特性を生かした展示というのは俺はとても面白いと思う。というか、アート作品が場から切り離されて存在している美術館とかの展示である限り、それはモノの形を取らざるを得なくなってしまい、そこで見る意味が消失する

ただこのその場でしかなし得ないアート、土地に根ざした唯一性というのはいかにも全ての事象に神が存在し、八百万の神を信仰してきた日本らしい考え方かもしれない

六道の世界?とそれを超えた世界との対比を示す二つの部屋(※3)を用いた展示も面白かった。

反転した世界、というのをより視覚的に表すことができる気もする。天井とかにクッションと安産貼りつけてあったらもっとインパクトがあったんじゃなかろうか

五感を使って楽しめなかったものを五感で楽しむように再構成するというのは面白かった。オーストラリアにいた時の体験を蘇らせたいということが狙いなのであれば、それは360°VR動画と本質的に何が違うのであろうか。
一度削ぎ落とした情報を再構成することに意味はあるのか

むしろ一度削ぎ落とした情報を再構成するのであれば、元の情報を完全に再現することではなく、異なる五感感覚を付与するのも面白いのではないか
もしくはその体験をしていないアーティストが、ひとまとまりの文章を五感で体験できるように再構成したり、五感で体験しているものをうまく削ぎ落として異なる体験にしていくのも面白そうである
東洋哲学とは何かをもっと整理して話せるようになりたい

Joh YUKAWA

3人目(1044字)

今日はありがとう!照恩寺の人も優しかったし、新造もそうだったし、寺の雰囲気、展示品の統一感などなど、とても居心地のいい時間だった!

今日は富士山展ということで、富士山に関する絵画や作品が沢山あって、富士山の水色って何を意味するのか。富士山って日本人にとってどんな存在なのかな。それを新造の表現を通して考え感じる時間にしようと思って行った!

けど!いい意味で全然違った!最初は「あれ?ちょっとイメージと違う!」ってなったけど、「なら視点を変えて、この空間を通して新造が伝えたいことや表現してるものに注目しよう!」と考えて、じっくり見せてもらった!照恩寺の方は、新造来るまでめっちゃ気遣ってくれたし、新造もいい雰囲気で解説してくれたから、ゆっくりじっくり展示物見れたわ!

①床の間の富士
色は綺麗だった。とにかく好きな色だったし。形はちょっと俺には不思議だった。幾何学的な形だったからなのかな。これは完全に個人の価値観の問題だと思うけど、自然は不完全であり完全みたいな二律背反性を持っていて、一方がないと違和感だし、もう一方がないと同様に違和感。今回の絵を見て幾何学的な色が強かったなと思ったから、少し不思議に感じたのだと思う。ただ新造の表現の背景(カメラの技法の話など)を聞いて、なるほどなと。それはそれでひとつの表現でとても面白いと思った!!

②生と死
小平市という都市で、この寺だからこそ生える表現で、とても作り込まれていたし、個人的に好きだった!ただ最初みたときは「??」だったw もう少し仏教の前知識あればなとw ハイコンテクストな作品だったけど、新造の口からその意味を教えてもらって合点承知したね。小平を散歩して本当に墓地や寺が多かった。ここはある意味生死が日常なのだなと。それを表現したあの展示を見て、普段は感じない生と死の感覚を味わえたな。新鮮だった。寺という場もいい雰囲気でてたし、なぜか少し居心地のよさすら感じた。

③全体の感想
寺、小平。あそこだからこそ感じられる感情があった。加えて新造個人とも対話できて楽しかった。どちらも俺にとっては非日常だったし、普段意識しないことだったからこそとても新鮮。様々な感情を解放し表現したものを観るってやっぱりいいなとおもった。全体的に満足!遠いところ行ってよかった!

以上!
今回は「富士山」と「仏教(寺)」という視点で対話できたかなと思う!世の中色んな概念あるし、それを新造がどう感じてどう表現するのか。俺も気になるし、また違う話題でも話そう。では!

Kotaro HONDA





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