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失敗vol.2『学業の失敗』 #SFC17aw

◇はじまり

2017年度の「学業の失敗」について振り返っていきたい。在学3年目の授業が1月に終わる。「このままじゃやばい」と思ったのでこの投稿を書く。ぼくは慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(通称SFC)に通う学生である。学生生活も3年目になり、学び方が「雑」になってきた。卒業前に「学業の失敗」として今のやばいところを考えてみた。この「失敗のレジュメシリーズ」は今回で2回目。1回目はこちら「失敗vol.1『起業の失敗』」そこそこ反響があったので読んでみてくれたら嬉しい。

この「失敗のレジュメシリーズ」は数年前によんだティナシーリグさんのWhat I Wish I Knew When I Was 20 (日本語名:20歳のときに知っておきたかったこと)」という本の中で描かれていた「失敗のレジュメ」というものを参考にしている。それでは、はじまりはじまり〜。


【学業の失敗】

文字が多いので、これまでSFCで撮影した写真を、挟み込みました。


1:グループワークを最初から諦め、期待してない

いくつかの授業でグループワークをおこなったが、最初からグループで協力することを諦めていた。それは「みんなちゃんとやってくれないんだろうな」という思い込みで、その思い込みからくる言動が、実際にグループのメンバーをそのようにさせたり(予言の自己成就?)したのかもしれない。また、自分がリーダーになる機会が多々あったが、同じグループになった人々とコミニケーションを取る前から、判断をしたり、また自分への自信のなさから、発言ができずにいた。完璧なんて求めてないから、とりあえず、やって。助けをチャーミングに求める訓練をしろ。

(2015年 裏MrSFCの候補者の行脚に同行)


2:出席することが目的になっていた

なんのために大学に身体を運んでまで出席してんのか。ある程度は、成績をとること、そのために出席することが必要である。が、しかし、今年はいくつかの授業(主に数学と語学)では出席することが目的化して、授業中は基本的に上の空で、どのように、なにに時間を使っていたのかさえ思いつかない。あほ。自分を楽しませてくれるものを待っている、というような態度で、もしかしたら未来から舞い戻ったかもしれない(SFCの学生はは未来からの留学生なんです、とかいうコンセプトを掲げながら、学事は過去の奴隷でしかない)その巻き戻されたかもしれない時間を無残に使うな。つまらないことに時間を使うな。帰れ。

(2016年 初夏 諭吉像前のSBCセンターにお絵かき)


3:語学を真剣にやるべきだった

フランス語。英語。自分にとって必要だと感じているのに、全くやっていない。フランス語は授業にでることが目的化してしまい、肝心な語学力だとか、そのフランス語習得でやりたいことなど、全く考えていない。もうちょっと語学ができれば、あの女の子に話しかけられて、海外にも派遣されて、頼まれもしない仕事を初めての土地で勝手にはじめて。言語は、新しい世界へのパスポートだ。そして、言語を学びつつも、それをただのツールとしてしか捉えてない、ウスラトンカチでいるな。調子にのるな。学びたいなら、学べ。喋りたいのか、喋れるふりがしたいのか。ダサいことはするな。

(2015年 初夏 キャンパス内での撮影)


4:奨学金対策をしっかりやればよかった

具体的には、奨学金にすら応募しなかった。応募するまでの手はずができていない。奨学金を探す、要項をよむ、必要な書類を手に入れる、必要なサインをもらう、締め切りに間に合うように上記のことをする、書類の作成を行う、時間内に提出する。大学に入学して3年目、毎年ちょっとづつステップアップして、奨学金申請に近づいてはいるが。正直、あほすぎる。マヨネーズのような歩みの遅さよ。なぜ、手を伸ばせば届くそれらを、じぶんの首に手を回すことで逃すのか。時には、睡眠を削ってでも、手に入れるものは、手に入れないと。誰かが君をまっている。応募しろ。出会え。オープンにしろ。発言しろ。手をあげろ。舞台に上がれ。

(2015年 キャンパスの光がまぶしかった)



5:大学をさぼってでも、見つけるべきものがあった

NYで活動している知り合いの音楽家のブログのこの一文に感化された。

「3年間で、技術力は随分と身についたように思う。
 その間、テスト期間や履修期間にも進んで海外出張に行き、
 星の数ほど大学の単位を落とした。」

自分は、なにをやっているんだろう。大学には行っていた(それも中途半端だったが)けれど、大学に支払った授業料がもったいないから通っているようなものだ。キャンパスにいることで楽しい時間は過ごせたのかもしれない。が、もっと能動的に選択すれば。とか、ifの話をするな。じぶんは選択することを放棄して、目の前の授業の出席ばかり消化していた。テキトーにSNSん投稿ばかりしているじぶんに、なんて声をかければいいのだ。なんてお前の世界は小さいんだ。学校をサボれ、と言いたいのではに。学校をさぼってでも熱中するところを見つけろ。選択しろ。決断してみろよ、ばかものが。

(2016年 夏 今はなきSBCセンターの光を撮影する)


6:友達をつくればよかった

大学に入学した頃に比べると、新しく出会う人が少なくなったかもしれない。授業が一緒になっただけで、ちゃんと話をしたことがない人。もしくは、もうすでに知ってはいるけれど、新しく関係性を作っていけそうな人など。自分の世界をクローズにして、自分の世界を掘り下げていたのなら、いいが。どうも去年はあまりそうしたことをせず、なんとなくキャンパスで時間を過ごしてしまったかもしれない。授業でわからないことは周りに聞く、積極的に顔をあげる。発言をする。など簡単に、現状は変えることができた。とったことのない体育の授業への出席、研究会に顔を出す、面白そうな授業に潜る、発言する、わからないことはまわりに聞け。

(2016年 秋 ダンスサークルの学園祭でのステージ)



7:知ったかぶりをするな

今回、哲学と経済の授業を履修して思い知った。他の授業でも、十分思い知っているはずだが、この二つは特に。周りに、じぶんより圧倒的にその事柄について知っている人たちで囲まれている時というのは、比較的いろいろときいてまわる。が、少し気をぬくと、おごり高ぶって、じぶんが世界で一番優秀だ。みたいな顔でその場にいる。そんなことはない。聞いて聞いて聞いて。じぶんの考えを整理するでもいいし、知り合いを増やすでもいいし。質問の仕方を学ぶのでもいい。理由はなんでもいいから、ちゃんと、人に聞くことを練習すること。

(2015年 秋 SFCにはピクニックができる芝生がある)


8:面白そうな授業(や会)にもぐる

人と会う。ということや、新しい知識に出会うことを、「今、簡単に手を伸ばせば届く範囲」に押しとどめていた。授業が、大学が、つまらない。なんていうのなら、面白がる努力だとか、面白がり方さえ知らない場所に顔を突っ込むべきだった。今、夢中になっている音楽とか写真だって、昔はまったくの蚊帳の外であったんだから、それらのようにじぶんを魅力してくれる世界なんて、ほんのちょっと面白がり方を発見するだけで、ごまんと出てくる。知らない建物や、他大学に忍び込んだり。通ったことのない路地を抜けて、聞いたこともない概念を、楽しそうにおしゃべりする人々に出会え。

(2016年 秋 学園祭でのライブ、Ω館の天井はたかい)



9:ORFにいけ

今回、楽しみにしていたORF(SFCの研究会の、公での大規模な研究発表会)に行くことができなかった。というより、アホすぎで、足を運ぶことはできたが、時間とか、色々間違えてて、会場についたら後の祭りだった。ちょっと隣の人に話しかければ、もしかしたらものすごい研究をやっていたり、じぶんが入りたい、卒業したいと思える研究会が見つかるかもしれないのに。帰りの自転車は、相当清々しかったが。

(2016年 秋 SFCでのハックプロジェクト。場に生命性を感じさせた。)



10:研究会のことをしらべろ

これは、じぶんの将来に関わること。卒業するための研究会をはやめにみつけて、そこでの時間を使うことは、よりよい研究につながる(かもしれない)。というか、研究というものが、まったくぼくはわかっちゃいない。わからないからって、逃げている。そして、研究会を決める、という大きな決断からぼくは逃げている。おおきな決断を先延ばしにして、ちいさな雑魚みたいに簡単なスライムばかり倒して。時間という瓶の中には、はやめに大きな石を入れないと。後から入るのは、ちいさな、テキトーな石ばかりに。なんて話をきいたことがある。

(2016年 秋  鴨池の光がやばくて近くにいた友人の写真を撮る)



11:課題を秒速でとりかかれ。そして、終わらせろ

すぐやればいいのに。すぐできるのに。後になれば、いい回答がうかぶだろうというのは、まったくの勘違いかもしれない。すぐに取り掛かれば、それだけでじぶんに自信がもてる。グルーブを起こせ。提出時間ギリギリにやって、ストレスをかんじることもない。提出遅れになって、得たくもない結果を得ることもさけることができる。はやめはやめに。課題は、提示されたその12時間以内にとりかかれ。ちょっとでいい。先っぽだけでいいから、やれ。

(2016年 初夏 諭吉像前のSBCセンターにお絵かき)


12:数学の単位は、しっかり取れ

これは、いろいろと面倒である。進級要件のための単位をおとすことになると、親とのこととか、奨学金、自己紹介の時のわずらわしさなど。その一つの単位を理由に、色々と不利になるし、それを理由に心理攻撃をしてくるひとがいる。というのもあるけど、単位はとっといたほうが、いい。奨学金だってもらえるし、心に変な形の傷をつくらなくていい。避けれるリスクは、避けといていいはずだ。

(2016年 秋、雪と紅葉が到来)


13:おわりに

時々振り返ってください。
2018年1月にかいて、今、4月12日の夜に見返していますが。
さっそく3,4,5,6,7,11がやばいです。書くだけで満足しないでください。

(2015 春 sfcで散髪中)


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