慶應SFCで履修してきた授業について

これまでの慶應義塾SFCでの、在籍4年間で履修してきた授業について、いくつか簡単にまとめてみます。履修を考えている方々の参考になればと思います。また、以下の記述は、私の独断、偏見、主観が多分に含まれていますし、大胆な間違いや、開講されていない授業、もしくは授業名が変更されたものもあるだろうと思います。

また、私はSFCの環境に期待を抱きながらも、ある程度は絶望している人間でもあります。ですので、好きな授業はもちろんあり褒め称えますが、私が一個人として相容れない教授や授業などもあり、その両方に触れることで、この文章に対しての、私の誠実さを示そうと思います。そういった点をご理解の上、以下の文章を読んでいただけると。

1:CM1

最高だった授業。CM1。コンピュータミュージック1という授業。Live Abeltonというソフトを使い、音楽の作りかたを学ぶ。もっと言えば、何を音楽とするのか?音、とは?曲とは?そういった哲学的な問いを、実践によって探求する時間です。音楽に関わりがなかった人にこそ、作曲などできない!と思っている人こそ、取ってほしい。そういった人々が作る、無垢な音楽を先生は求めているし、まさに自分が音楽に対してちんぷんかんであり、その無知さによって音楽の深さを知るきっかけになった。最高の授業。CM1に出会えただけで、SFCに入ってよかった。

私は、こちらの授業を1年生の春に履修しました。入学以前に、すでにSFCに入っている年下の後輩に「一番えぐい授業はなにか?」ときき、その返信として知ったのが「CM1」という授業です。やる気に満ち溢れていたので、楽単ではなく、エグ単を積極的に取ろうとしました。

真剣に向き合えば、先生も真剣に答えてくれる。作曲などしたことがなかった私だったので、授業は毎回、知らないことばかり。それでも、どんどんなにかが自分の中で積み上がっていく。たしか履修者は16人ほどで、小さなクラスで、すぐに全員と顔見知りになります。このメンバーもすごかった。ショパコンに出ているピアニストや、すでに活躍している作曲家、全身真っ黒のプログラマーetc。非常によい共に出会えた。

2:音楽基礎

とるべし。音楽とは何かを知れる。現代音楽の深みに足を踏み入れるきっかけになった。当時は瀬藤(せとう)さんという方が非常勤講師として教えられていて。この授業をもとに仲良くなり、SFCを退職された今でも、仲良くさせていただいております。

CM1で音楽に興味がわき、一年の秋学期に履修した。これまた、よい。いわゆる楽単だったが、ぼくはおの授業と先生を好きになってしまい、自らエグ単にした。出されてもいないのに、勝手に課題として楽曲を制作し、先生に見せたり、お昼休みに一緒にご飯などにいって、「音とはなんたるや!」という話をした。

ただ、教える先生によって、授業名が一緒だとしても、ずいぶん違う内容になるみたい。今は、Iwatakeさんが教えているのかしら。この先生もずいぶんと楽しそうに、話をするので、よい。

3:デザイン言語総合講座

作ること、に興味がある方は迷わず履修すべし。「デザイン」という言葉の意味を自分がどのように捉えているか。私はずいぶんとこの授業で、広がった。それまでデザインというのは、いわゆるグラフィックデザインとか、工業デザイン。それがデザインだと思っていたし、もっと言えば「見た目でしょ?」くらいにしか思っていなかった。

しかし、授業を受けると、極限環境における人間の振る舞いのデザインとかおっしゃる。何だそりゃ。意味わからんだろ。他にも、無料でカレーを配り歩いて全国行ってるおっさんの話(カレーキャラバン)とか、婆さんたちがつくった人形をアートとして捉え直す(おかんアート)とか、何だよそりゃ!という感じで、ずいぶん楽しかった。

また、当時の課題は、3人くらいでグループを作って、今日の講義から考えたことについて、グループであれこれ喋るというのを、サウンドクラウドにあげる。というものだった。この時に一緒にグルワを組んだのが、凄腕のデザイナーで、めっちゃ楽しかった。僕たちのぐるわの音源は教授陣にも好評で、授業で何度か紹介された。ある日の講義のための課題でぼくがテキトーに「こんど、まるたかで飯おごってください」と呟いたら、それがきっかけになって、飯をおごってもらえた。フットワークの軽く、面白い人々と出会える。

4:デザイン言語実践

3で紹介したデザイン言語総合講座の後に取るべき授業。こちらの授業では、実際に手を動かして、ものを作る。だから実践。ぼくはぐるわのメンバーがあまり好きになれず、かなりサボった。だから学びも少ない。けど、今書いてて思うのは、ちゃんとやってればよかったーーーー。グルワじゃなくて、ソロワでいい。ひとりでもいい。課題やれ。って当時の自分に言いたい。

3、4週間にひとつのペースで、何か作品をつくることを求められる。例えば「6歳のこどもに2進数を教える機械」とか、「新しい花瓶」とか。他の班の作品めっちゃ面白かった。

5:心のオシャレ学

1-4までの授業は、けっこーいい授業。だったので、ここら辺で最悪だった授業についても紹介していこうと思う。その名も「心のおしゃれ学」。名前、めちゃくちゃいいじゃないですか。これ。ぼくもそう思って、1年生の春にとりました。

はい、ただの名ばかりの授業ですね。買うように、と指定された教科書は、その授業を担当する教授の著書。まあ、そういうことはよくあるし、いいと思うんですけど。せっかくお金払うなら、もっといい使い道あったなぁと思いました。僕が履修した翌年、知り合いがこの授業を履修したので、その人にあげました。が、その人も僕と同じ「名ばかりの授業だった」です。

もちろん、楽しい人もいるでしょう。ただ、ここは僕の主観を書く場所なので、ちゃんと書くと。この授業は楽単に見せかけて楽単でもない。それは別にいい。講義内容は全て本に書いてあるので、わざわざ教室に行って、先生の話を聞く必要な内容に思う。何度か、ワークショップ的なことをやるけど、それはまあまあ楽しかった(嫌いな先生だけど、そこは認める)。

ぼくがこの授業は偽物だな、と思ったのは、とある日の教授とのやりとり。授業にぼくのお気に入りの椅子を持って行って、それに座って授業を受けたら、すっごいネチネチ言われた。大教室だったし、色も目立たないし、授業の妨害になるような座席位置でもなかった。が、そのおじさまは、授業中に、講義内容にかこつけて、この椅子の悪口を言った。なのでぼくが質問をして「どうして、好きな椅子で、講義を聞こうとすることがいけないのですか?この授業の名前は、あなたがつけたのではないですか?」と。その質問に彼は返答しなかった。

だからぼくはこの授業を名ばかりと呼ぶ。そして、大した内容も書いてない本を数百人の履修者に買わせることも腹立たしいし、講義内容だって本に書いてあることを読み上げているだけで、わざわざあの豚くさいキャンパスに通ってまで、履修する価値はない。まあ、そんな授業など存在するのか?という問いを激しくすることになったきっかけでもあるので、そういった面では機能した。

6:プレゼンテーション技法

ここまで書いて少し疲れたので、またちょっといい授業を紹介しようと思う。こちらも1春に履修した授業であり、自分を試されたいい時間だった。まず、先生がやばい。ぼくが履修した授業の先生は、ひかるちゃん。本名はわからないけど、初回の授業しょっぱなで「わたしのことはひかるちゃんってよんでね〜」と、テンションのだいぶ高い先生が挨拶をしてきて、びびった。

薬でもやっているのか、というくらいのハイテンション。だが、時にかなり真面目。というか人生に、教育に真剣な人。何歳になろうと、このひかるちゃんはヒョウ柄の全身タイツを着こなすだろう。そんな先生の授業なので、集まっている人たちも、ひどく個性的だった。赤髪でいきなり上半身裸になって歌い出す人とか、顔を見られたくないという理由で顔を白塗りにして暇な時は民族楽器をポコポコしているような人とか。もちろん普通のひと?一般的な意味で楽しくて、コミュニケーション能力の高い人や、運動マンや、学問の分野で成果をすでに出している人など。がいた。非常に素敵な人々との交流が生まれた。

ぼくがこの授業で一番いいと思ったのは、自分のパーソナリティを知ること。そして、それに合わせた自分の表現方法なり、外界とのつながり方を探ろう。という姿勢。この授業を取る以前は、ぼくのなかでは「明るくて、元気な人!」がいわゆる理想像で、プレゼンテーションというのは、楽しくて、笑いをとって、人をハッピーにさせねばならん。そういったことを考えていた。が、ガラリと変わった。私には、そういった真っ赤な服を着こなすタイプの人間の振る舞いは、ちょっと違う。私には水色の服が似合う、そういった振る舞いが似合うし、それこそ世界には色々な色が溢れている。

この授業は、小手先のプレゼンテーション技法を学ぶ授業ではない。自分の中心に深く降りていって、じぶんはどんな人だっけ?どんな風な自分を本当は見せたいの?どんな色の自分なら、自然体の言葉が出てくるのか?もしくは、どんな自分になって、世界とつながりを持ってみたい?たくさんの素晴らしい問いと、静かな実践に足をふみだすきっかけとなった時間。

7:体育「空手」

体育1が終わると履修することになる、体育2、3、4、5。ぼくはここで空手の外薗さんという方に出会った。SFCで一番信頼できる人は誰か、と聞かれたならば、私は彼の名前をあげる。運動が苦手、とか、そういうのじゃなくて。もう、誰彼構わずとってほしい。

彼の言葉は、その場その場で紡がれる。彼が声に出す過程を眺めるでいい。空手に一切の興味なんていらない。彼がどのように言葉を紡ぐのか。ただその瞬間に立ち会えただけで、私は感動した。手を動かす、足を動かす。呼吸をする。重心を動かす。日常の小さな行為一つ一つに、意識を払えたなら。型、組手。はやさ、つよさ、たおす。よく使うこれらの言葉の意味を、日常の身体動作から、分解していく。いや、分解という表現は正しくない。

ぼくが卒業しても、もう一度聴講したい授業は何か。と聞かれたら、この体育の空手の授業。それくらいに惚れ込んでいる。

8:未踏領域のナントカカントカ

授業名は忘れた。長いから覚えられない。でも、そんな名前の授業は一つしかないし、倍率も高いので、ぼくがここで紹介したところで、履修できる人はほとんどいないと思う。

というのも、こちらの授業の先生は、佐藤可士和さんである。知っている人は知っている。知らない人は知らない。

今、wikipediaで調べたら彼の経歴に「慶應義塾大学環境情報学部特別招聘教授、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授」といういかつい文字が出てきた。ちゃんと読めば、めっちゃすごい人だってわかる。くまもんとか、今治タオルとか。他にもたくさん、「あ、これ知ってる!」な仕事を手がけている方。

そんな認識で、憧れ、ミーハー、ちゃらんぽらんな気持ちで、授業を履修した。1年、2年、3年の時に履修選抜を出し、やっと3年目で履修を通った。この授業では毎年の「本当の○○」みたいなのを扱う。本当の、じゃなかった気がするけれど、そんな感じである。私が履修した年は「本当の平和」をテーマとして、14週間考えて、最終授業でそれを佐藤さん、MJ、他何人かの教授とかゲスピの前で発表するという感じだった。

正直、あまり手応えのない時間だった。期待しすぎていた?それとも、私が未熟すぎて、佐藤さんの言葉の意味を理解できなかった?なんだか消化不良に終わった時間。なんども履修を取り消そうと思ったけど、グループの人がマジで最高だったので、なんとかなった。選抜がえぐい代わりに、通っている人たちは、1/8くらいは仲良くなりたいと思えた。そんな授業なかなかない(CM1以外には!)。

9:言語とヒューマニティ

最高!最高すぎて3年連続聴講してる。國枝先生可愛すぎる。信者もいる。その気持ちわからんでもないけど、それは危ない。3年連続履修選抜は通っているが、諸々の事情で単位は取得していない。多分今年も聴講する。そういう関係性もあり。

10:よかった授業羅列

これまで履修した授業をちゃんと紹介しようと思ったけど、無理だ!!何十あるんだろう。っていうことで、ちゃんと心がおしゃれになる授業を羅列します。気が向いたら、いくつかはちゃんと書きます。

近代思想の世界 
小熊英二さんの授業は、どれも最高だときく。実際履修してみて、そう思った。ニヒルな感じが可愛い。求めているレベルは高い。が、学生時代に、彼の授業をとったことを、50、60になっても思い出すきがする。マスト。

細胞レベルの生命科学による革新
黒田さんの本気の授業。笑えるし、為になる。生物学関連の授業です。毎年大人気。聴講生も結構いるんじゃないかな〜ってくらい、人気。良い。為になる。笑える。黒田さん、将来ビックになりそう。酒飲み。

音楽と脳
「ドラムを勉強して、世界一のドラマーになりたいので、ハーバードで研究していました」みたいなことを知ってびびった。この人はやばい、って思った。藤井さん最高。毎回ハッピー。授業がうますぎてむしろ怖い。Twitterのトレンド入りするくらいに人気な授業です。アート、音楽、脳、人体、セラピー、イルカに興味があるひとは、履修してみては。一番ノリノリな授業。

オーラルヒストリーWS

のちにSA(アシスタント)をやることにもなる授業。清水さんという先生の癖はなかなかだけど、授業自体は、とても理性と完成のバランスが整っている時間。自分の興味分野を掘り下げていくための「人に聞く」技術、より、その姿勢を学べる時間。とっても熱心な方なので、こちらが求めたぶんだけ還ってきます。

身体知論
頭の上にペットボトルを乗せてあるく授業。一見バカそうだけど、かなり真面目な理論によって実施されていて、体の内側にある様々な暗黙知をほるきっかけになる。考えることや、体をうごかすことに興味がある人は、とってみるといいのでは。例えば何かやるときの「コツ」や、抽象的な単語「しずけさ」といったものたちの内側を、自分の主観性を頼りに掘り下げていく時間がここにはある。



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