モーニングページ、手書きは嫌々坊やから抜け出す手段。

朝起きて、すぐに、モーニングページを書いた。
起きてから、意識があり始めてから、すごくネガティブな感じだった。
何に対してネガティブになっているのわからない。根拠があるようなネガティブじゃなかった。
もう一回寝に戻ることもできたが、それも苦しい。だから、「あー、俺は嫌な気分だ」
と、手書きのノートに書くために、起き上がった。
なぜ、嫌な気分なのかを分析しよう。


その理由が、どんなものであっても、「イヤダイヤダ」と思っているだけでは解決されない。
その気分のままずっと布団の中でゴロゴロしているのは、しんどい。だから、解決されないとしても、「いま、嫌だな」と思っていることを、紙に書いてみよう、そう思った。


布団から、出た。
このごろモーニングページを書いている紙を見つけて、そしてペンを見つけて、外に出る。
朝から自己嫌悪なんだ。昨日もそうだった。が、いつかは忘れたが、ハッピーな気分で起き上がることもあるんだ。いいことも、悪いことも、いずれ過ぎ去る。今日はたまたま嫌な気分で起きただけだ。かといって、そこに全く影響を与えれない訳ではない。生活習慣を変えれば、暮らし方、住む家の環境・場所を変えれば、また別の起き上がり方が待っているはずだ。


紙とペンを持って、家の玄関先のコンクリートの段差に腰をかける。
(家の中は、母が料理を作る音と、冷蔵庫のモーター音と、トイレの換気扇、そのほかにも時計の秒針が動く音がする。朝と夜のぼくの聴覚は敏感になっていて、そういった音ですら、かなりうるさい。日中なら、そういった音もさほど気にならない。が、朝から母が料理をするために生じる音が、ぼくにとっては、本当に大変だ。昔はここちいいとか感じたが、住む家が変わり、音までの距離が変化したことによって、準備の音が苦手になった。)


ようやくペンを紙に当てる。
何を書いたかは忘れたが、一番最初に「おはようございます。嫌な気分だ」などと書いた。そうやって実際に手書きで書いてみると「ああ、俺は嫌な気分なんだな」と客観的に「嫌だ」と向き合える。紙に書くだけなのに、不思議だ。そして、「どうして嫌な気分なんだ?」「僕ができることはあるか?」などと自分自身対して質問する。そうして、その理由らしきものが出てくる。今の自分の状況、昨日の自分の不甲斐なさ(卒論を書き始めたのは夕方からだった)だったり、昨晩は早く寝ようとしたのに0時から映画を見たこととか。どんどん出てくる。自分で自分を責めるための材料集めがなんとも上手だ。


そういったことを1ページ分書く。
すると、飽きてくる、というか。いまはマイナスなことを書いたけど、じゃあ今度は、プラスなことも書いてみようよ。という気分になった。すると「起きて、いま手書きでこれを書いてるじゃん」ということを見つける。そして朝起きた時に自分にこびりついていた「あーー嫌な気分だ」というのがなくなっている。どこかにその気分が行ってしまった、ということに気がついた。だから、「嫌な気分だ、と手書きのノートで書くと、それはどっかに行ってしまう」ということを書いた。これは、これまで何度も体験してるけど、すごいぞ。「嫌な気分だ」と思い続けてふて寝するのか。もしくは、それを受け止めて手書きノートにそれを書くのか。で、未来が全然違う。欲しい未来が待っている。手書きは「嫌な気分を成仏させ」て「欲しい未来をここに連れて来る」のだ。


すると今度は、ネガティブから転じて、プラスに感じられることを探し始める。
「今日は晴れたな」とか「あ、ランニングができるぞ」。そういったことを書いていく。すると、今日という日が立ち上がってくる感じがする。いい気分ではないが、朝起きた時の根拠のない嫌な感じとはおさらばになっている。などと書いていたら、この調子で、モーニングノートを書いたこの調子で、卒論も少し書いてみよう。という気分になってきた。朝起きた時のテンションからは考えられない。


PS
このあと15分だけ卒論を書こうと思ったら、30分近く、8時前まで書いていた。
そして、高校の頃が懐かしなり、昔好きだった人の名前をwebで検索したら、名前を変えてfree modelとして活動しているようだった。彼女の顔が、去年好きだった人に似ていた。これ以上は書かないことにしよう。元気でいてくれてよかった。

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