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グレーとグラデーションの哲学

「振られてきた!」彼女はそう言っていつものbarに飛び込んできた。息を切らし外の冷たい空気を連れて。

「お疲れ様」も「頑張ったね」もなんか違う気がした。なぜだか湧き上がってきたのは悔しさに似た感情で、とっさにわたしの口から出たのは「なんでそんな早く決着つけちゃったのさ。先延ばしにすることだっていくらでも…」という言葉だった。

あとになって、わかったようなこと言っちゃったなーと思った。彼女の気持ちは彼女にしかわからないのに。

「振られちゃった!」ではなく「振られてきた!」のだから、勝算のあれこれをすっとばしてぶっこんできたのだ、きっと。

清々しくて強い。そして彼女のそれの場合、やさしい選択だったなぁと思う。覚悟をきめて挑んだ彼女をとても美しいと思った。

たとえば好きな人が1年後日本を離れるとしたら、日本を離れる当日になってやっと、今更だけどずっと好きでした元気でね、と伝えるタイプ(どんなタイプだよ)のわたしには到底できない。どちらが正しいわけではないけれど、少し羨ましく思った。

わたしはものごとをはっきりさせることが圧倒的に苦手だ。白黒はっきりさせないグレーゾーンの美学を信じてしまっている。でもそれが正義みたいになるのはちょっと危険だよな、とときどき思う。

グレーも白黒あってこそのグレーであるし、グラデーションも赤青黄色…があってこそのグラデーションなのだから。

恋愛の哲学っぽさよ。







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