生きづらさのなかの清涼水
「英語圏の「幸福」は、不幸を消したところから幸せが生まれる。
日本語圏の「幸福」は、つねに苦と楽を行き来している」
少し前にロバートキャンベルさんが、話していた。
私たちが関わっている生きづらさも、同じこと。
ずっと生きづらいわけではなくて、あるときは生きづらいけれど、でも次の瞬間は生きづらくなかったり、行ったり来たりしているよねって、若草のシンポジウムで志藤先生が話してて、なるほどと思った。
生きづらさの芽をプチプチと潰していくー生きづらさの原因を解消することばかりに手を取られるのではなくて、もちろんそれは必要なのだけれど、生きづらさを感じない「生きてて良かったなあ」と思う時間を作ることで、
辛いことがちょっと緩和される。
人生も然り。心折れる前に、ごまかしごまかし生きていく。
とゆーわけで、帰りのバスを途中下車して、ひとりビーガン料理「スジャータ」さん。丁寧な仕事に、落ち着く。
わたしも日本人だなぁ、なんちゃって。