福祉と教育

児童相談所のパートのおばちゃんを始めて4ヶ月が過ぎた。来る前は虐待親を監視するコワいところかと思ったら、全然違った。
ひとりの子どもに対して、たくさんの大人たちが集まって、あれやこれやと話し合う。おかあちゃんやおとうさん、家族のことも話し合う。これだけのひとがその家族のことを真剣に考えているのだ。これにはびっくり。

その視線が優しい。「おかあさん、どうしてイライラしているのかなあ」「おとうさんもたぶんシンドイんだよね」「おかあさん、この能力でよく頑張っているよ」「どうしたら楽になれるかなあ」等々。

保護観察(保護司)の現場でも、ケース会議はあるけれど、「学校は行きなさい。遅刻はいけません」「朝ご飯を作るのは母親の仕事です」「だめ絶対!人間やめますか」等々、できていないところばかりに話しがいって、そんなとき「わっ、私もできてへん」と心の中がざわざわする。

できていないところのアラ探しをしだしたら、とんでもない悪党のでくのぼうに見えてくる。だけどその家族の良い面を聞いたら、近くに感じて元気になってほしいと思うから不思議。

児童福祉司の人に話したら、「児童相談所は福祉だから、いまある問題に対してどう支援したら良くなるかという視点。彼らにそれ以上をもとめない。教育はいまある状態を良くするために彼らに努力を求める。だから処遇も変わってくるのだと思う」と話してくれた。

福祉と教育、私がしたいことはどちらなのだろう。上から手を差しのばすのでも、上から指導するのでもない。成長してほしいけれど、社会のベクトルではない気がする。