絶対的な孤独を私は知らない

晦日の晩、バス停でバスを待ちながら、お正月のことを話していた。

お金がないから実家に帰るのだと大きなバッグを抱えて話す少女に、
もうひとりが虐待の親の元に帰るのは危険だから、何とか帰らなくて済むようにしなくっちゃ、また余計にしんどくなるよと諭している。
そういう彼女も身寄りはなくて、夜行バスに乗って東京に遊びに行くつもりが、
コロナの影響で外泊禁止となり、がらんとした寮でひとり生活するという。

お正月をひとりで過ごす人は、今年は結構多いのだろうなあと。
そういえば、関わっている大学生の多くは今年は実家に帰らない、
地方はとくに帰れないと言っていたことを思いだした。

はっと我に返った。お年玉やら帰省やら、本来だったら楽しくてたまらないお正月に、たったひとりで生きている子たちがいる。いつもだったら、仲間たちやお店がいっぱいあるまちも、ひっそりと静まってしまう。

別の少女が突然、
「お正月はいつも独りぼっちで、孤独で孤独でたまらなくて。早く時間が過ぎて欲しいと映画館に行くのだけれど。ちょっと時間が過ぎたかなと時計を見たら、さっきからまだ5分しか経っていないときの絶望感。」
と話し出した。

彼女たちの3倍近く生きてきたけれど、そんな、真っ暗闇の孤独は、私は知らない。
わたしも孤独を抱え込む方だが、
普段は意識していなくても、何か良いことをしたら喜んでくれたり、最悪の場合は、受け入れてくれるお守りみたいな血縁がいて、全然孤独じゃなかったりするのだ。
まったくの孤独って、どんなに辛いのだろうかと身震いした。

先ほどの少女の身寄りは、まだ2回しか会っていないおばあちゃんだけで、そのおばあちゃんとは小さな時に、母親のお葬式に会ったっきりと話していた。
少女にとって、幸多き一年でありますよう。