アベノ橋筋七丁目2番地    プルor DIE?(長編)

歳と共に変わっていく事…
歳と共に変わらない事…
今回はシリアスな展開の話に成るかも知れませんネッ?

誰しも経験が増える事によって
段々、感受性や共感力が鍛えられていき
オトナになっていくという通過儀礼を
目の当たりにする事になるでしょう。

それが自分より早い人を見ると
アイツ変わっちゃったなぁ〜…みたいな
感傷的に独りよがりになったり
逆だとアイツまだそんな事してるんだ〜…

という風なキモ感傷に浸り
ツーブロックにピチピチのスーツ、
何故か素足に革靴を装備した色黒ジェルジャンキーちゃん達と同じ様な嫌悪感を抱いてしまう危険性があるので注意ダ!!
(自分はキムタクがCMしているギャツビーのジェルを毎朝塗りたくっている)

前置きが長くなりすぎたが
自分も昔からずっと変わらない事がアル。

それは
《幾つになっても家に近付けば近づく程
強烈な尿意が襲って来て漏らす直前のスリルと自尊心の天秤の狭間で死にそうになるコトだ!!!】

この現象は何故起こるのだろうか?

何度か人に聞いた事があるが男女共に
皆んな扉の前でプルプルした経験があるというのだ!

帰宅するまでにいくつものセーブポイント
(トイレ)はあるのだが毎回家が近づくとヤバいんちゃうん?!?ヤバいやつやん?!!って感じになってきて扉の前に来た頃には足を高速でジタバタさせながら独り言の高速ヤバい!ヤバい!という独り言を言いながら(声ちっさ!キモ!逮捕) 小鹿の様にプルプルしてなんとか鍵を開けて便座に飛びつく。
その際に男性諸君は焦るあまりベルトが上手く外れなくて死にかけた経験があるだろう。
俺もその1人でアル。そして1度死んだ。

21歳の冬である。

その日は心斎橋のスタジオにバンド練習の為に向かった帰宅中に起こった。
当時、自分は金も死ぬほど無かったのと歩くのが好きだったので自宅(高槻の山の方)から高槻駅まで歩き(45分)高槻駅から大阪駅までは電車に乗り梅田から心斎橋のスタジオ(1時間20分)まで重い機材を引きながら歩いて通っていた。

12月の夜である。
とても寒く風が強い日で雨が降っていた。
スタジオが終わると心斎橋から大阪駅までの間サッポロのロング缶を呑みながら歩くのが好きだった。
そしてなんなく大阪駅まで着き、新快速で高槻駅まで無事辿り着く事が出来た。
帰りは登り坂ばかり1時間くらいかかるので
駅でトイレを済ませて万全の状態で雨の中出発したのである。

重い機材をなんとか引いて坂を登り
もうあと少しで家というトコロで例の感覚が突然襲って来た!!!

【この感覚が来る瞬間は激痛が伴い
尿意のニュータイプ化と呼んでいる。】

ウゥ…と低い声が出た。
歩けないくらい腹が痛くなったがあと少しなのでゆっくり歩き出そうとしたのだが 
人間激痛すぎると本当に歩けなくなっしまいその場でうずくまってしまった(ベム?)
俺は当時も傘を持っていないので寒空の中雨に打たれていた。
ただ幸運だったのは少し下ると公園のトイレがあったのだ!!

藁にもすがる思いでゆっくりゆっくりと坂を下り誤爆に気をつけながらなんとか便器の前に辿り着いたのである。

ガッタガタ寒気が全身の神経を張り詰めさせ便器の前で足をバタバタさせながらベルトを外そうとしたのだがこの時カミサマは幼気な青年に悪戯をしたのだ。

なんと!焦りすぎた俺はガチャベルトを強く引っ張りすぎてしまい最悪タイミングでバックルの金属部分をカチンコチンに詰まらせてベルトが取れなくなってしまった。
なす術が無い状態で脳の信号をはやとちりしてしまった天使がこの冬のBrand new Skyに解き放たのだ。

正直ショックすぎてそのまま膝から本当に崩れ落ちた…情けなすぎて泣いたと思う。
20歳超えて失態したという現実を受け入れられず自尊心がボロボロになった。
目の前が真っ白とは本当にあるのダ!

幸い雨が降っていた為、ビショビショのジーンズは疑われないまま洗濯カゴに入れる事が出来た。
それから半年くらい俺はPTSDみたいになって漏らす恐怖に襲われて凄い短スパンでトイレに向かう生活を送るのだがそれを乗り越えて今では自在に尿意を操れる様になった。

怪我の功名としては人にも自慢出来ない
恥ずかしい話である。
恥は人に話す事で消化していくのだ。
人生ほんま暇つぶしィィ〜(IKKO)という事を
ジェルジャンキーちゃん達にも伝えたい。

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