無責任な「好き」

あなたに嫌いな人はいるだろうか?

自分は苦手だと思った人と関わろうとしないので、特別取り立ててこの人が嫌いだ!というのはあまりないのだけど。

しかも、たまたま自分と相性が悪いだけで、自分が苦手な人たちにも、話が合う人や仲のいい人もいて、自分にとって嫌だなあと思う行為の裏にも、不本意で行ってしまった事とか、その人なりの葛藤もあったりすると思うし。
その人にも家族がいて、愛する人が居るとも思う。

まあそれでも人を傷つける人とか、あまりにも価値観が違う人には少し引いてしまったりするんだけど…。

どこかで自分も誰かを傷つけているかもしれないし、他人が自分のことを考えずに、あれこれ言ってきた時にはこちらも悲しくなるわけで…
こんな風に相手の背景を考えたり、想像したりするけれど、


「好き」という感情も同じじゃないだろうか。

急に見ず知らずの人に、「好きだ」と言われたら、「え?なんで?」と思うだろう。
普通は相手のことを知っていくうちに、この人は気が合うし、もっと知り合いたい、話をしたい、好きだ、というふうになるような気がする。
(ちなみに今回恋愛だけの話ではないです)

雰囲気的な事もあるし、好きになるのに理由はいらないかもしれないけれど、無責任に好きを伝えてないだろうか。

もしかしたら相手は、「自分の何を知っているのだろう?」、「何を分かって好きだと言っているのだろう?」と思うかもしれない。

相手の事をよく知りもしないで好きだと伝え、その人を知っていくうちに、「こんな事をするのか」、「こんなものが好きなのか」、そんな風に自分が嫌だと思うところを見つけ始めて、好きじゃないかも…なんて思ってしまうのではないだろうか。

勝手にその人が自分にとって「良い人」、だと思い込み、都合よく理想に当てはめようとしてないだろうか。勝手な期待をして、信じていたのに…何て思ったりしてないだろうか。

別の視点でも思う。
たとえば自分がとんでもない悪人だとして、その悪人に好かれて嬉しいだろうか?
「私はこんなに悪いやつです」、なんて自己紹介して、相手が喜ぶとは到底思えない。

自分が第三者だとしても同じに思う。
自分が好意を寄せている人が、悪人に好かれていたら良い気分はしないし、なんなら近寄らないでくれ、なんて思う。


自分は、そんな風に「好き」にも責任が伴うと思う。
逆の立場で、たとえ自分の好意が一方的なものだとしても、少なくとも相手に嫌われたくはないし、潔く生きていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?