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【一撃必殺で相手を吹き飛ばす】チリが産んだ最強の戦士!?フェルナンド・ゴンザレスのヒストリー#108

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介していきたいと思います。
 「ゴンゾ」の愛称で呼ばれている、チリ人のフェルナンド・ゴンザレス選手についてご紹介です。
 この記事では、最も驚異的なフォアハンドを持つ選手と言われた、ゴンゾが今までどのようキャリアを歩んできたのか、どのようなサポートを受けて成長をしてきたのか振り返ってご紹介していきたいと思います。(2023.01.22現在)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。

フェルナンド・ゴンザレス
1撃必殺のフォアハンドはたくさんの相性が存在するほど、驚異的なフォアハンドをもつチリ出身の選手。オリンピックで3種類のメダルを持つ世界唯一の選手。チリのサッカーチームのコロコロが好き。


「4歳テニス開始、11歳で家族でフロリダへ移住!」


若い頃のゴンゾ

 1980年7月29日チリのサンディエゴで産まれ、育ちました。アマチュアでテニスをプレーしていた父のもと、幼少期(4歳頃)はテニスとサッカーを経験しながら、6歳からラ・レイナテニスクラブで週3回のテニスレッスンを開始しました。
 11歳の頃には、ゴンゾのテニスの発展を望み、家族でフロリダへ移住し同じチリ出身のP .アペイが創設したアカデミーで4年間を過ごしました。
 14歳で国際大会デビューをし、18.4歳までの間で、126勝44敗(勝率74%)の成績を収めました。
ジュニアGSでは2つのシングルス、1つのダブルスのタイトルを獲得し最高位は4位でした。
 

「TOP100に勝利できなかった10代~20歳」


ツアー初優勝のゴンゾ


 19歳でWCにより初めてのツアーデビューで、I.リュビチッチ[100]を下し2回戦進出、19.9歳でツアー初優勝を達成しますが、他の試合は早期敗退が続きました。
 その状況を変えたのは2002年で21歳の頃です。初のツアー優勝はTOP100の選手は決勝戦のN.マチュー[83]で2001年の11月21.3歳のモンデビデオCでの優勝(スクショ)までは、TOP100の選手へ勝つことができませんでした。
 11月のモンデビデオまではTOP100への対戦成績は3勝19敗(勝率13.6%)でした。翌年の2002年になると、139位から18位まで躍進しました。


「2002年の躍進」


金・銀・銅のメダルをテニスで保持しているのはゴンゾだけ!?

 2002年になると、139位から18位まで躍進しました。この年は、TOP30への対戦成績が9勝7敗で上位陣へも勝利することができるようになりました。TOP30以上の敗戦した相手は、M.サフィン、A.ロディック、G.クエルテン、L.ヒューイット、C.モヤで世界ランク1位経験者です。そのほかに負けたのは、D.ナルバンディアンとS.シャルケンでした。
 2月に開催された母国のヴィニャデルマール250、9月パレルモ250で優勝、シンシナティ1000SF、GS・UのQF進出など上位大会での勝利により18位まで躍進することができました。


 世界最高位獲得は、26.6歳の頃の5位で引退は31.7歳でした。プロになった19歳から12年間で9年間連続でTOP100、8年連続で35位以上の年間ランキングを達成しました。
 引退後はチリで子どもを育てており、今後は自分がテニス留学をしたフロリダに移住をしたいと考えているそうです。また、機会があればテニスコーチやテニスに関わりたいとも考えています。選手時代は、ラケットはバボラ、ウェアはアディダスが印象的でしたが、現在はラケットもウェアもヨネックスです。日本との関係性が増していくことを楽しみにしています。今後もゴンゾのような一撃必殺をもつ選手が観れることを楽しみにしています。
 

逸話
チリには、ゴンゾの活躍を称えるために、彼の名前の通りがあります。

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PS.現在ヨネックスを使っている背景を知りたいです…!

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