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無職になるからマルクス読んでみると、深イイ話みたいな感じで糞尿をぶっかけられた話 

こんにちは、ばっきーです。
マルクス資本論実況プレイしていきたいと思います。パート3です。

今資本論がそばにあり、これを読みながらメモを取っていくようにnoteをとっています。

ですので人にむけて書かれたものではないです、まして解説でもありません。
ただの年収300万以下の正社員を辞める人がマルクスと格闘する記事になります

書いていて思ったんですけど、わかるところは書いておりません。
これどういう意味なんだろう?と疑問に思ったところを取り上げてたりしてます。
あとは自分の理解ってこれであっていますか?という感じで書いています。

ではいきますね。
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労働様式の生産物が…p185

資本論第一巻

今マルクスの資本論を第一巻、180pまで来てます。
今回はその続きになります。

労働様式ってなに?

様式ってなに?
なんか様式のことをエートスとかっていってなかったっけ?ちがう?

生産様式というのはこのような財貨を獲得する仕方をさすものであって、マルクス経済学の基本的カテゴリーの一つである。
 生産様式はより狭い意味では、労働過程の技術的・社会的諸条件によって規定された生産の仕方をさすものである。

コトバンク

生産様式っていうのはマルクスの基本概念みたいな紹介されてるけど、労働様式ってなんだろうね。「労働する仕方」とかに言い換えられるのかなぁ。

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社会的生産有機体の量的構成は…自然発生的で偶然的である。p191

資本論第一巻

社会的生産有機体って具体的になに?笑

この労働は、すべての普通の人間が特別の発達もなく、平均してその肉体的有機体〔leilichen Organismus〕の中にもっている単純な労働力の支出である。

最後にわれわれは、目先を変えて、自由な人間の一つの協力体を考えてみよう。人々は、共同の生産手段をもって労働し、彼らの多くの個人的労働力を、意識して一つの社会的労働力として支出する。・・・
この生産物の一部は、再び生産手段として用いられる。・・・他の部分は生活手段として、協力体の成員によって費消される。したがって、この部分は彼らの間に分配されなければならぬ。この分配の様式は、社会的生産有機体〔gesellschaftlichen Produktionsorganismus〕の特別な様式とともに、またこれに相応する生産者の歴史的発展の高さとともに、変化するであろう。

http://www.marx2016.com/syakaitekiseisanyukitai.html

「他の部分は生活手段として、協力体の成員によって費消される。したがって、この部分は彼らの間に分配されなければならぬ。」=「社会的生産有機体〔gesellschaftlichen Produktionsorganismus〕」

でいいかしら。つまり「モノを作る複数の人々」ってことでいい?


 社会的生産有機体の量的構成は…自然発生的で偶然的である。p191

資本論第一巻

モノを作る人間たちの量的な塊の構成みたいなものは、自然で偶然で決まる、って感じでいいかしらねぇ。
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…独立の私的生産者…p191

資本論第一巻

私的生産者ってなに?笑
普通の商品を生産する人とどう違うの?

商品生産社会ではおのおのの生産者の労働の性格は私的労働である。しかしそれは自己の需要を満たすためのものではなく、商品交換を通して他人の欲望を満たす限りで意味をもっている。つまり商品生産者の労働は、私的労働ではありながら市場を媒介にして社会的労働の一分肢であることが実証される。

コトバンク

あーーこれおもしろい

「私的生産者」って言葉はまだわからないんだけど、「私的労働」が出てきた。

ちなみにコトバンクでは「私的労働・社会的労働」で一つのくくりになっていて、
はじめこの頁を見た時「あれ?私的と社会的って意味反対じゃね?同義語として扱っていいの?」って思ったんだけど、これによると

もともと人はなんで働くかっていうと、自分の欲望を満たすためだよね。
でも、その欲望って今自分が働いていることとは直接的に関係ないよね?

例えば事務関係の仕事している人って、事務の書類を食べたいから働いているわけないよね。事務の書類を整理する仕事をして、会社クンからお金をもらいたいから働いているよね。会社クンも会社クンで「あー誰か書類を整理してくんねーーかなーーーっ!!」っていう欲望があるわけで、事務仕事をする人と会社クンお互いの欲望を満たしあっているのがこの商品生産社会ですよね。

自分の欲望を満たすために働いて(=私的労働)いながら社会の歯車(=社会的労働)として貢献している、ってことかな?
自分のために働いているのが、しらない内に社会のために働いているって感じなのね。これがおもろい。
たとえ話にブレがあるね(さっきの事務と会社の例えはイマイチ、人と架空の法人を取り上げているから分かりづらいかも)。まいっか。

だから「私的生産者」も自分のために何かモノを作っている、ってゆー理解でいいか。

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もちろん糞尿は貨幣ではないが、貨幣は糞尿であることもあるp194

マルクス第一巻


貨幣は糞尿じゃねえよ笑

ここいいですね。ニヤけました。マルクスと漫才ができて光栄です。てかなんかエーリッヒ・フロムも金と糞尿に関する話そういやしてた!!笑

ちなみになんでマルクスが急に糞尿ボケしたかわかりますか?笑

本読んでいく中での勝手な解釈になりますが、
マルクスが言うんですよね

「商品売ってお金もらって、そのお金で新しい商品を買う。これは言い換えると、商品はお金に変わって、そのお金が別の商品に変わるのだ。」

これを「商品ー貨幣ー商品、W-G−Wと言おう」と謎の命名をします。

その命名いる?笑

といまのところそう思ってますが、どうやらいるかも知れません。まだしらんけど。

その中ですね、マルクスがこういうんですよ。
「はじめに、お前が汗水働いて作ったその商品があるやん?そこにはお前の労働力がこもってるやん?ほら見てみ?そのお前が作ったパン。その生地お前が朝早くコネて作ったんやろ?素敵やん?」

からの

「でもな?お前はそのパンを売ってお金に変えるやん?ゆーたらパンがお金になるやん?お前が作ったパンって、すごい愛情こもって見えるやん?けどお金見てみ?こいつから何か愛情見えるか?ただの札やで?ただの硬貨やで?何食わぬ顔した素材やで?愛情みたいなもの感じへんやろ?

お前がどんなものを愛情込めて作っても、無機質なただの硬貨に変わるだけやねんで?

お前がどんなにいいものたくさん食べても、反対に安いもの食べても結局は同じ糞尿やん?

貨幣って糞尿やん?


てゆーかんじでマルクスさん言ってました。


いや


貨幣は糞尿じゃねーよ

今日はp196まですすみました
10pほど進んだって感じですね。
途中でギター弾いてました
飽きたのでここまで。


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