見出し画像

センスの哲学のレビューが早速「センスの哲学」してた。

塾やってます!入塾者募集しています!

左利き専用の音読塾です
本塾では、「論語」を筆頭にした素読、音読塾です。

興味ある方はご連絡ください

左利きは直感や感性を司る右脳が優位ですが、言語能力を扱う左脳をうまく扱えず、幼少期ではどもり症など経験する方も多いです。
左ききの人は言語能力を上げることで、右脳と左脳が大いに発達し才能を開花させる可能性が大いにあります。文豪谷崎潤一郎、ノーベル受賞者湯川秀樹、そして実業家渋沢栄一も素読の必要性を説いています。
また現代となっては素読文化(のような教養文化)は、階級の高いご家庭に限られるようになりました。左ききの人たちが集まり高い言語能力を教養が身につけば、勉強、仕事、人間関係様など々な分野で恩恵を受けるでしょう。


千葉雅也氏、新作「センスの哲学」

新作が届きました。
千葉雅也先生のファンで小説は買ってないんですけど、何冊か著作を持っています。学生のときに「勉強の哲学」を読んでとても良い読書経験になりました。

知識や経験を蓄えていく自分をどんどん変えていくこと、「変態」していくことの話しが実に面白いです。

今振り返ると「勉強の哲学」がなぜ面白かったのか。それは2つの理由があったと思います。

1つ目は文化資本が高い人が見ている世界とはどういうものなのか。2つ目は現代哲学がバックボーンにあること、です。

1つ目の文化資本が高い人が見える世界が見える、について。
これはそもそも読書習慣がついている人にとっては当たり前の話ですが、それがない人にとってはその世界観は一つ隔たった別の宇宙です。つまり一生わからない世界です。その宇宙を、当時の僕に見せてくれたというのが大きな読書経験になります。

2つ目の現代哲学がバックボーンにあること、について。
千葉雅也先生はおもにドゥルーズなどの現代哲学を専門としており、考え方が非常に現代哲学的です。僕はこれをかっこいいと思っています。

だから同じ話をするにしても、他の人とは違う説明の仕方をします。それも現代哲学的な話し方です。でも個人的にはそちらのほうが説明として包括的だし、痒いところに手が届く説明だと思うし、教育的だと思います。

今回の著作で書き手のバックボーンがわからないと「何言っているのかわからなかった」となると思います。

「センスの哲学」という本だから漠然と「センスとはこういうものです!っみんなこれを意識してね!アートとはこうです!」と思って手にとって読むと、特別な小難しい言葉が出てきてよく分からなかったとなると思います(けどちゃんと「センスとはこういうものです!これを意識してね!アートとはこうです!」ってかなりはっきり踏み込んでわかりやすく書いてくれているんですけれども)。

現象としては映画の「JOKER」に近い感じですね。マーベルの作品とおもって見ちゃうとかなり社会に挑発的な作品で「思っていたのと違った」という印象です。

本書の内容(誤読してるので鵜呑みにしないで)

読んでいた印象としては、小さな記号のリズムに意識を向けるフォーマリズムの大切さを教えてくれている感じがしました。フォーマリズムという言葉を初めて知りました。

フォーマリズムとは、芸術のジャンルの一つ?だそうで作品の意味の追求ではなくて、そういう構図で作られているのか、どういう線、色、形が使われいるのかというフォーム「形」に注目するジャンルだそうです。

森に例えると、木に注目して、作品全体の意味とか物語という森はあまり重視しない、という感じでしょうか。だから映画を見たときに「この話がおもしろかったかどうか」よりも「あのカットが良かったね」といえる感覚でしょうか。

物語の話とか言ったものを「大きな意味」だとすると、その「大きな意味」から脱出すること「脱意味化」をまずは目指しましょうという感じですかね。「この作品のメッセージは〜」「このアニメは〇〇のメタファーで〜」とかよりも「なんか絵がきれかったね」「あそこのサウンドなんかいいよね」といったような意味を求めなくてよいという姿勢が大事なんだ、と言っているような気がしました。

なぜそんな話をするの?

なぜ「大きな意味」ではなくて形そのものを大事にする話をするのでしょうか。

それは意味を求めると生まれ育ちがいい人が勝つゲームになるからです。

結局は文化資本が高い裕福な家庭で育った人のほうが幼い時から美術館連れて行ってくれたり家に蔵書があるから彼らのほうが詳しいからです。「センスが良い」とは「裕福な家庭である」ということになります。それだとかなしい。

意味を求めることが「センス」ではなくて素材それ自体を楽しむことが「センス」を養う第一歩としたほうがいいそうです。そっちのほうがもともとなかった文化資本が養うことができるとかなんとか書いていました。もっと深い話してたので、気になる人は読んでください。

レビューが「センスの哲学」しててもはやアート

「大きな意味」とは「この作品は何を言おうとしているのか?」「この映画のメッセージは?」というもので、本書はそこからの脱却、つまり「脱意味化」を大事にしています。つまり「映画の話もまあよかったけど、それよりもあそこのカメラアングル俺好きだな・・」みたいな小さなミクロをそれ自体楽しむという姿勢を説いています。

そうしてアマゾンのレビュー見ると、「大きな意味」を求めている読者がこの本よんで苦痛を感じているのはなにかレビューも巻き込んでつくる一つのアート感があっていいです。

堀元見さんの「ビジネス書ベストセラー100冊」のレビューの現象に近い感じがあって面白いです。

この本は、ビジネス書100冊読んで成功の黄金律をを教えるという内容です。しかしこれは実は風刺、皮肉本です。蔓延する浅はかなビジネス書を風刺するギャグ本です。なので、この本のレビューでよくあるビジネス書と同じように「とても勉強になりました!」と書くことは実は一本取られているわけです。というアート本です。

この本発売されて間もないですが全体的なレビューと御本人の振り返りがとても楽しみです。

この記事が参加している募集

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?