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正社員やめてマルクスを読んだら、ドーナツ1ダース換算でしか考えられなくなった ②

こんにちは、ばっきーです。
マルクス資本論実況プレイしていきたいと思います。

今資本論がそばにあり、これを読みながらメモを取っていくようにnoteをとっています。

ですので人にむけて書かれたものではないです、まして解説でもありません。
ただの年収300万以下の正社員を辞める人がマルクスと格闘する記事になります

ではいきますね。
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今は第一巻のp160ぐらいまで来て貨幣の話になりました。

価値の尺度として、また価格の尺度標準として、貨幣は2つの全く違った機能を行う。p174

資本論一巻

「価値の尺度」と「価格の尺度標準」ってそれぞれどう違うんだろう。。
そのあとでは、「人間労働の社会的化身として、価値の尺度である。確定した金属重量としては、価格の尺度標準である」と書かれている。

マルクスは、まず「価値」という言葉を3つぐらいに分類分けしていて、この3つの価値がみんなごちゃごちゃにしてるからわかってないんだよなぁって言ってます(多分)

COTENRADIOさんがマルクスについて解説してくれています。今これ並行でききながら読んでいます。

解説は必要だし、わかりやすい説明も必要。
ですが、そのわかりやすい説明のメガネレンズをかけて資本論をよむとすこし読みのズレも出てきそうな気がするんですね。解説ででてきたわかりやすい説明って全くその通りに文章に出てこないんですよね。

ジャック・デリダの解説書よんで、頭が飛ぶぐらい面白くて、ジャック・デリダの「散種」を6000円払って読みましたが、解説みたいな読み方全然できなくて草。

マルクスも同じ現象出てます。逆にCOTENRADIOさんもそうですが、解説書くひとの読みの解像度深くてすげえな、といつもなります。

閑話休題(読み:すこし横道にそれました。)
マルクスはすべての商品の価値は労働力によって決まるって言っているんですね。
これは貨幣によって商品の価値が決まるのではなくて労働力によって決まると。

「商品の価値は値段でわかる」というのはマルクス的には誤解だと思います
これは「価格の値段(交換価値)」と「価値の大いさ」が混合した例じゃないかと思うんですね。

マルクスは商品の価値を3つにわかれると言っていて(これ僕自身ないなぁ、たぶんまちがっていると思うから間違っていたら言ってほしい)

「使用価値」と「交換価値」と「価値の大いさ」です(あってる?あってる?)
使用価値は、欲望を満たす価値があると(あってる?あってる?)。例えば食欲を満たす、服をきれいにしてくれる、とか。

交換価値は、肉一つで魚五つと交換できるような価値です。

価値の大いさは、これは労働力の量です(ここすごい自信ない。自分のわからないことかもしれない。)机を一つ作るのに投入された労働時間と肉体と精神のエネルギー

なんかネットで調べたけど、この岩波文庫の「価値の大いさ」という訳語は微妙ですね、という記事を見つけました。

英語では、「 in equal quantities 」とあって、これは同等の、ひとつふたつと数えることのできる量が主題であることがはっきりとわかる。やはりどう考えても、量的な概念を「大いさ」というのはおかしい。

https://plaza.rakuten.co.jp/eiyaeiya/diary/200505080000/?scid=we_blg_tw01


あ、そう

例えば交換価値で

「肉一つで魚五つと交換できますよー!」

ってあるけどなぜこれは交換できるのかというと、

これら2つの商品には同じ労働力が投入されているからなんですね(in equal quantitiesだから交換の等式が成り立つんです)

ってゆーノリで書くと

「商品の価値は値段でわかる」というのはマルクス的には誤解だと思います
これは「価格の値段(交換価値)」と「価値の大いさ」が混合した例じゃないかと思うんですね。

↑ってさっき書いたんですけど、
これはまず、

例えば

机が5000円で買えます、とします。

これは
机=5000円という銀行券

という等式にもとづいて交換できますよ、ですね。

これはなぜ交換できるかというと、机を一つ作ることに費やした労働力と5000円札を作るのい費やした労働力が同じなんです。

一枚の紙切れを作るのと、30時間かけて作った机の労働力は同じなんです

同じなんです!!(差し迫る)

まぁ多分当時はお札というより希少価値の高い金貨製造でしたので、金(きん)も希少だとおもうんですね。

貨幣は「価値の尺度」という労働力が投入された商品であり、「交換価値」をしめしてくれる「価格の尺度標準」という「使用価値」をもった商品なんです。お金は商品なんですね!!??(!!??)

価値の尺度として、また価格の尺度標準として、貨幣は2つの全く違った機能を行う。p174

資本論一巻

ってゆー理解であってる?あってる?

あーでも、間違っていても一回こういう感じで整理すると、なんとなくマルクスが見える(読める)。COTENRADIOさんでは「貨幣は商品のKING」と言っていました。なぜならば貨幣は「何にでも交換できる」という商品だからです。金さえあれば何でも買える、からですね。お肉たくさん持っていても、腐るしキャバクラに行けないし、にゃんこをもふもふすることもできません。「交換価値」という「使用価値」を持っているのが貨幣です。貨幣だけちょっとメタな商品なんですね。

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…貨幣尺度標準の可除部分を表現するだけに…p179

資本論第一巻

「可除部分」ってなんですか?

検索したど、この記事ではよくわからなかった。
だけど

17世紀や18世紀には、金銀産源の新しい発見による金銀の流通量の増大という事実があり、その一方で商品価格の高騰という現象がありましたが、このことから俗流経済学者たちは商品価格が高騰したのは、多くの金銀が流通手段として機能したからだ、との間違った結論を出しました。しかし金銀(貨幣材料)の価値が下がった結果として諸商品の価格が上がったのに、彼らは転倒した貨幣数量説を振りまいたのです。このような誤った見解は今でも、物価変動には貨幣の流通量の調節が必要という資本の陣営のイデオロギーとして流布されているとの確認を行いました。

http://study-capital.la.coocan.jp/2-houkou1/report2-1-021.html

ここの説明おもろい。

検索するとすげえ面白いツイートみつけた

可除部分=割り切ることのできる個数部分、という感じで思っておきます。

ちなみにこの方「可除部分の意味少しわかった気がしました」とおしゃっていますが、一体どういうツイートにメンションをつけていたのかというと、

っていうツイートなんですね。

なにこれオモロ

てかこのツイートみてここから「あーマルクスの可除部分少しわかった気がする」って普通辿り着きますか?

資本論に出会ってしまい、恵まれたブルジョワ階級の中で行ってきた過去の自分を振り返り、資本主義への強烈なアンチテーゼを抱く青年スネ夫を想像してました。

タイトル忘れた本に書いてましたが、当時マルクスがぶいぶい言わせてた時、やはり金持ちの人たちも大きく共感していたそうです。ノブレス・オブリージュになるんですかね、貴族みたいな人たちも、「今の社会構造を解放せねばならない!!!」ってなってたんですって。

…貨幣尺度標準の可除部分を表現するだけに…p179

割り切ることのできる個数部分を表現するだけに、という感じで読みます。

今日は終わり
p182まですすみました

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