キョロ充が絶対にしてはいけない「失敗の対処法」
キョロ充はなぜこの記事を読むべきなのか?
「失敗」することを「恥」とみなしているから。失敗を恥とみなすから、自分が傷つくことにこれほどまでに恐れています。自分が傷つくことなしに、無い物ねだりしているから、キョロ充は苦しむのです。
この記事では「失敗」の価値観を180度覆します。キョロ充を直すためには必須の記事です。
要約
1つの取り返しのつかない失敗には、29つの軽微な失敗があって、29つの軽微な失敗には300個のささやかな失敗がある。だから失敗を人のせいにしたり、見て見ぬ振りしたり、失敗で病んだりして思考停止するのはやめよう。失敗に建設的な思考を持って取り組もう
みんな考えない「失敗」について
失敗は毎日起こりません。たまーーに起こるのが失敗です。もしくはある期間中に起こるものです。
失敗とは非常に局部的なものです。
あるポイント一点に失敗はおこります。
内容の全てが大失敗ということは稀です。
ここから失敗とはまるで宝くじと同じように考える人がとても多いです。
「あの人は失敗するが、自分ばかりは失敗しない。」といったふうに
失敗は宝くじのように基本的に「運」のようなものだとかんがえているから、なかなか私たちは失敗について真剣に考えようとはしません。
しかし我々弱者はとても失敗してしまいます。そして失敗を恐れてそもそも挑戦しません。
失敗にどう向き合えばいいのかさっぱりわからないのです。
今回この記事にたどり着け方は本当にラッキーです。失敗について考えてみましょう。
この記事の目標は
失敗で病むのではなく、失敗を考えるようになる、です。
失敗した時こういう反応していませんか?
失敗したときに、以下のような反応を取っていませんか?これらの反応は非常に危険です。必ず大きな失敗が再発します。
1,人のせい
とっさに自分を守るために「その話はしらなかった」「そんなことは聞いていなかった」「誰々からその話はきかなかった」「連絡をしないあそこが悪い」
常に責任を誰に押し付けるかについて必死に考えているのは大問題です。やばいです。
なぜなら防止策を考えていないからです。
責任は自分にないから、防止策を考える必要はない、というのは本当に良いのでしょうか?
良くないです。なぜなら防止策を考えていないとは、「いつ問題が起こりやすいのか」を考えていないことですから。必ず同じ問題が再発して、また責任のなすり付け合いに必死になります。最終的には取り返しのつかない問題が起こってしまいます。
2,見て見ぬ振り
本来向き合うべき問題を見て見ぬ振り、というケースがあります。これも問題です。見て見ぬ振りは心理的に仕方がない、といえます。ですがこれも危険です。
もし失敗に目を向けると、本当に悲しくなって泣けてしまう。泣くのはダサいから、適当に問題を受け流す。
この論理はめちゃめちゃ働きます。謝るや泣くという行為は社会的に「恥」というラベルが貼られています。もし真剣に失敗に向き合うと自分が恥ずかしい思いをしてしまう。だから人のせいにしたり、失敗を隠したりするのです。
ここで大事なのは「反省してる」といっても心の底では反省していないパターンです。
謝らないと周りの人に白い目で見られる、だから表面上謝るだけ謝る。しかし内面は全くしらないふり。このようなことが結構起こります。
真剣に「恥」を知る行為が「失敗を考える」ということなのです。将来の取り返しのつかない問題には「恥」が必要不可欠です。
3,病む
失敗したときに、「もう自分は本当にダメな人間だ。のんでこんなノコノコ生きてんだろう」と病むのも問題です。
理由は人格否定も失敗に真剣に向き合っていないからです。
人格否定は思考停止するための手段の一つなのです。
失敗について真剣に考えたくないから、「人のせい」か「知らんぷり」か「人格否定する」のうちどれかを選んで、たまたま「人格否定」を選んだだけなのです。
「病む」と「人のせいにする」は思考停止してる時点でレベルは一緒です。
君が思ってる以上に失敗は軽視される
失敗について考えるとは大事なことです。失敗にほんとうの自分が隠れていたり、新しいアイデアが眠っているのです。しかしこんなに素晴らしい失敗について考える機会がなさすぎます。
「失敗は成長のもと」という一言しか聞いたことがなく、それ以上の深みを本を読まなければ分かりません。「失敗は成長のもと」という言葉の意味でわかっていますが、その言葉を心の底から信じて挑戦しまくる人はすくないです。
なぜ失敗はこれほど軽視されるのでしょうか?
1結果良ければ全て良し説
どんな失敗しても、結果が良かったらもうどうでも良いんじゃないの?という風潮がとても強いです。
「なにかひやっとすることあったけど、パフォーマンスうまくいったからいいんじゃない?」「お客に迷惑かけたけど、怒らなかったから別に良いんじゃない?」
「失敗したけと、プロジェクトうまくいったから良いんじゃない?」
取り返しの失敗をしたときにしか、失敗について考えないのはあまりにももったいないです。
2失敗=悪という風潮説
失敗すると人事評価に響き、降格されてしまう。失敗すると周りの人に期待されなくなってしまう。失敗するのは「恥」である。失敗するとみんなから怒られる。失敗すると大事なものを失ってしまう。
失敗をする勇気が以上の理由よりなくなってしまいます。
本来は「取り返しのつかない失敗」を防ぐために「ささやかな失敗」から教訓を得るべきなのです。
しかし失敗を恐れていると、価値のある教訓を持たないまま「取り返しのつかない失敗」を迎えてしまいます。
失敗について悪いイメージを持っている人は長期的な視点をもてていません。「バカ」という言葉を当てはめても良いと思います。
失敗を真剣に考えていない人は、最終的には取り返しのつかない失敗で大きな損をしてしまうのですから。
ハインリッヒの法則で成長スピード倍速!
ヒヤリする事故に命を注いで分析しよう!
ハインリッヒの法則の法則とは「一つの重大な事故には、29個の軽微の事故がある。29個の軽微の事故には300ものヒヤッとするような事故がある」という法則です。
「ヒヤッとするような事がおこったが、結果が良ければ全て良し」なんていう発想は今すぐ捨てた方がいいのです。
ヒヤッとするミスが起こった時点で、取り返しのつかない失敗へのカウトダウンは始まっているのです。
だからこそ失敗への対処法を自分なりに「考える」べきなのです。
これは人間関係にもあてはまります。
イラッとする言動が大いに重なって、周りの人が協力してくれなくなったり。
キョロ充の小さな「偏見」が重なって、人間関係に恵まれなくなります。
失敗への対処法と言いましたが、
「次からはちゃんとやる」は対処法ではないです。
これは「見て見ぬ振り」と同じです。ささやかな失敗をささやかにしています。
ささやかな失敗を「深刻」に捉えなければなりません。
そして「深刻に失敗」をとらえると聞いて、
「失敗したから自分は終わりだ」
「こんなこともできないのか自分は」
といった病みや自己否定も思考停止です。失敗の本質を考えていません。
では失敗について考えるとはどういう事なのでしょうか?
それは
自分の中で会議を開く、ということです。
まるで学者たちや知識人たちが集まったかのように会議を開くのです。
ノートやスマホのメモをつかって、
「ミスの最大の原因はなんだったのだろうか?」
「それは自分の力で防ぐ事ができるだろうか?」
「もしめんどくさいという気持ちが湧いたらどうするべきなのだろうか?」
「自分は問題に出くわした時、なんで人のせいにしているのだろうか?」
「なんで謝りたくないと思うのだろうか?」
「今回の失敗からなにが得られたのだろうか?」
「今回の失敗は、自分の性格と関わっているのだろうか?」
「問題がおこる前に、予測することはできるのだろうか?」
「不注意してしまう理由はなんだろうか?」
と建設的に疑問をぶつけて、自分なりの答えを出していくのが「考える」ということなのです。
素朴な疑問文を出してあげましょう。
ここで注意なのが、自己否定の意味を帯びた疑問文は全く意味がありません。あくまで素朴に自分を分析しましょう。
失敗した時に落ち込んでしまったら、すぐさま「この失敗からなにが得られたのか?」を考えて書くと、ネガティブな感情は和らぎます。これは科学的に証明されています。
「失敗からなにが得られたのか?」がおススメです。
いかがでしたか?
失敗は頭ごなしに否定するような浅はかな問題ではありません。
失敗は人生を位置づける重要な財産です。
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